第5話 「…何かいい事でもあったの?」

「…何かいい事でもあったの?」


 今夜は、親父と姉ちゃんが二人で暮らしてる、父さんのマンションで食事会。


 和室ではみんながリズを囲んで大騒ぎ中。

 俺はひとしきりリズを腹に乗せて遊んで…疲れて…の休憩。


 …ここ数日、思いがけず…腰を使ってる。

 怠い。

 でも…信じられねーぐらい…

 気持ちが昂ったままだ。



「…なんで。」


 コーヒーを持って隣に座った咲華さくかは、俺の顔をじっと見て。


「何だろ。日曜までの聖と違う気がする。」


「日曜までの俺?」


「ギスギスしてた。」


「……」


 ぶっちゃけ…

 仕事でイラついてたのと。

 F'sのライヴを一緒に観に行った華月かづき詩生しおにあてられたのと。


 …いやいや。

 そんな事を俺は表に出さない。

 自信がある。

 でも…咲華に言われるぐらいだ。

 よっぽどだったのかな。


 …『何かいい事』…の方が。



「ま、早く帰ってみんなとこうしてるのが、いい事だよな。」


 ソファーの背もたれに深く寄り掛かると。


「…デートとか、しないの?」


 咲華の、探りを入れてるような目。


「…誰とだよ。」


「誰とって。彼女とか。」


「カマかけんなよ。」


 笑いながら言うと、咲華は首をすくめた。


「だって、今日の聖キラキラしてるから…浮いた話でもあったのかなあって思っちゃったのよ。」


「キラキラって。」


「ほんとに。ついでに華音かのんまでキラキラしてる。」


「……」


 ノン君、確かに今朝会社に来てあれこれ相談してた時とは…表情が違う。

 ちゃんと思うように、紅美に接することが出来たのかな。



「…聖、ごめんね。」


「あ?」


「その…あたしが海さんと結婚って…」


「なんで俺にごめん?」


「…泉ちゃんと近くなるかな…って。」


「…あー…」


 確かに、咲華が海さんと帰って来た時は…少し思ったが。

 今の今、それは全く気にならねー。

 …優里さんの存在って…すげーな。

 まだ知り合って三日だって言うのに。


「別に関係ねーよ。あいつとは世界も違い過ぎたしな…」


「……」


「ま、おまえはこのまま幸せになれよ。」


「…もう幸せたっぷり。」


「ははっ。ごちそーさま。」



 志麻と一緒にいた頃より、本当に自然体の咲華。

 海さんのキャラも、なんて言うか…俺が知ってるそれと違って思えて。

 あの人はあの人で、二階堂のトップとして抱える物があって…大変なんだろうけど。

 咲華との結婚で、緩めてもいい所っていうのを知れたのかな…って。


 二階堂は秘密組織じゃなくなる。

 …だったら、俺と泉も…って思わなくもなかったけど。

 泉がどんな想いで身を引いたか。

 それを考えると、簡単によりを戻すとか、そんな気にはなれるはずなかった。



「明日、聖は見送りに行くの?」


 咲華とは反対側に座った華月が、俺の前に置いてあったドーナツを手にして言った。


「ああ。って、おまえまだ食うのかよ。」


「そんなに食べてないもん。」


「太るぞ?」


「太らないもん。明日仕事ないの?」


「あるけど見送りの時は抜ける。」


「暇なのねー社長。」


「うるせーぞ。二流モデル。」


 華月の手から、食べかけのドーナツを取って口に入れる。


「あっ。もー!!」


「うそうそ。何のストレスか知んねーけど、あんま食いすぎんなよ。一流モデル。」


「……」


 やっぱな。

 昨日の動物園とか水族館に詩生が来なかったとかで、ちょっと落ち込んでる華月。

 平日の昼間に社会人が勢揃い出来るかよ。


「思うようにいかない事には強いだろ?」


 もう歩けないとまで言われたけど、奇跡の復活を遂げた華月。

 あの苦境を乗り越えたんだ。

 自信持てよな。って気持ちを込めて、華月の頭をポンポンしながら言うと。


「…ありがと、片割れ。」


 華月も俺の頭をポンポンした。



 片割れって。


 俺ら双子じゃねーし(笑)



 * * *


「聖、少し痩せたんじゃないか?」


 サラダをごっそり皿に取ってると、父さんが言った。


「あー、少し痩せたかな。でもちゃんと食ってるから心配ないよ。」


 咲華とリズ、ついでに沙都さとと曽根さんを空港で見送って。

 親父と姉ちゃんがイチャイチャしながら二人で消えて。

 俺は父さんと母さんとでホテルのレストランに寄り道。



「あっ、でも一昨日知花の所に行ったんでしょ?アレ作ってもらいに。」


 はっ。


「あー…姉ちゃんに口止めするの忘れてたー…」


 母さんは時々変なヤキモチを焼く。

 しかも、今のこれだって姉ちゃんに妬いてるように思えるけど…


「あたしだって知花の所行きたかったのに。」


 …ほらな。

 俺にも妬いてる。


「うちに菌を持ち込みたくなかったからさ。」


 母さんの皿にサラダを取り分けながら言うと、母さんは唇を尖らせたまま首をコキコキと左右に倒した。


「姉ちゃんのスケジュール知ってんだろ?行けばいーじゃん。」


 おー…ここ、スープ美味い。

 お代わりできねーのかな。


「知ってるけどぉー…せっかく水入らずなのに悪いかなあって。」


「一人になる時間もあるって。」


「そうだけどぉー…」


「聖、あまり言ってやるな。さくらは知花と二人きりで会うのが照れくさいんだから。」


「はっ?何だそれ。」


「だって…最近の知花、めちゃくちゃ可愛くて…あたしの娘とは思えないって言うか…」


「ぶはっ。まあ確かに最近の姉ちゃん、いくつだよって感じだけどさ。そんなの母さんだって同じじゃん。年齢不詳。親子って事だな。」


 俺は何の気なしに言ったんだけど、母さんは背筋を伸ばして。


「聖、お肉あげる♪」


 満面の笑みになった。

 …単純だなあ。



「そう言えばさ…DEEBEE、上手くいってねーの?」


 華月が暗かったし、ちょっと詩生に探りでも入れてみるかなと思ってLINEすると。


 詩生から。


『スランプ中』


 って一言。


「…どうなの、会長さん。」


「次期会長はどう思う?」


「あっ、いきなり話を振るー?」


「意見を聞きたい。」


「ぶー……」


 さすがにこういう時は、仕事人の顔になる父さん。

 話を振られた母さんはブーイングしたけど、少し間を開けて…


「…正直、今のままじゃ先が見えちゃってる…って感じ。詩生君と彰ちゃん次第かなあ。」


 意外と…ハッキリ言った。


「詩生と彰次第か…。希世は?」


 どちらにともなく問いかけると。


「及第点かな。」


 父さんが答えた。


 詩生と彰…行き詰ってんのか…


「…聖。」


「あ?」


「…もし、おまえにも嫌な想いをさせたら…すまない。」


「え…?」


「俺は今から…それほどの事をしてしまうかもしれない。」


「……」


「さくらにも。」


「…どういう事?なっちゃん。」


「……」


 俺と母さんには、分からなかった。

 この時父さんが…何を始めようとしてるのかなんて…。



 …何も。



 * * *


 さすがにここ数日の怠け具合で、仕事が溜まった。

 一日と空けずに優里さんの所に行きたい…けど…

 さすがに盛りの付いたオスみたいだと思って我慢する事にした。


 …が。

 ふと…気付いた。



 俺、優里さんの連絡先…携帯の番号も知らねーや。

 在宅で仕事してるって言ってたし…急に行ってもいいもんなのかな。

 て言うか、仕事が詰まって行けない日も声は聞きたいし…


 何で気付かなかったんだろ。

 番号交換とか…普通するよな。

 …舞い上がり過ぎだっつーの…



「社長、まだお帰りにならないのですか?」


 声をかけられて顔を上げると、深田さんがいた。


「あっ、深田さん残ってくれてたんですか?申し訳ない…先に帰って下さい。」


「いえ、何かお手伝いできる事があれば…」


「俺の仕事ですから。最近俺の代わりにあちこち動いて下さってますし…ここにある書類は全部目を通して処理しておきます。」


「そうですか…ではお言葉に甘えて、お先に失礼します。」


「はい。お疲れさまでした。」


「おやすみなさい。」



 深田さんは…親父より少し年上で。

 ここに入ってすぐに、桐生院の父に仕えた人。

 その時には第一秘書の辻さんという男性もいて、他社の秘書が女性ばかりなのに、うちはなぜか男性だけ。

 桐生院貴司は男色じゃないか。なんて噂が立ったことがある。って…入院中、ベッドの上で話してくれたっけな。


 俺は別に男でも女でもいいけど、深田さんはすごく信頼できる人だし…仕事を知り尽くしてる。

 たまにお酒の席で昔の話をしてくれるけど『桐生院貴司の人望』についての話は…

 ちょっと俺の胸を熱くした。



「…よし。出来た。」


 深田さんが帰ってどれぐらいだろう。

 山積みだった書類も何とか片付いて。

 俺は鞄を手にすると社長室を出た。


「あ、まだお残りでしたか。ご苦労様です。」


「いつもありがとう。おやすみなさい。」


 警備員に声をかけてエレベーターに乗る。


 はー……


 ………


 …会いたい。


 腕時計を見て…いやいや、こんな時間に行くなんて非常識だ。って頭を振る。

 …でも…会いたい…


 どうした俺。

 こんなに…のめりこむなんて。



 会社の前でタクシーを拾って。


「……」


「どちらまで?」


「……新井田町の…千本橋まで。」


 ああ…

 我慢足りねー…!!



 優里さんの家の少し手前でタクシーを降りた。

 ゆっくりと歩きながら、胸に灯る逸る気持ちを落ち着かせようとした。


「……」


 白い息を吐きながら、優里さんちを見上げた。

 でも、ここから見えるのは屋根だけ。

 家の明かりは…点いてるような…点いてないような…

 ああ…マジで我慢足りねーよ俺。

 もし今から行ったとして、嫌われたらどーすんだ?



 泉の時は…驚くほど積極的だった。

 あいつは園の事好きだったのに、それでも押して押して…

 全然振り向いてもらえなくて、一瞬くじけた。


 泉を忘れるために、他の子と付き合ってみたものの…全然気持ちが入らなくて。

 結局嫌われて終わる。みたいな。


 俺は泉じゃないとダメなんだ。

 そう思った。


 それで…泉の恋の応援をした。

 本気で応援した。

 だけど、泉の恋は成就しなかった。


 もしかしたら、園がダメだったから…の俺だったとしても。

 付き合い始めてからの俺達は、上手くいってた。

 ちゃんと…想い合ってた。

 …もしかしたら、別れてもずっと…想い合ってたんじゃねーかなー…なんて。

 勝手に妄想したりしてた。


 …でも。

 今、俺の頭の中は…優里さんの事でいっぱいだ。

 もっと彼女の事を知りたい…



「にゃー。」


「えっ…」


 足元でまさかの鳴き声。

 驚いて足元を見ると、クロが俺を見上げてる。


「…クロ。おまえ、こんな時間まで縄張りを回ってたのか?」


「んにゃっ。」


 頭を低くして、俺の足元に擦り寄るクロ。


「…ほんっと…おまえもシロも人懐っこいな。」


 しゃがみ込んでクロのあごを撫でると、クロはゴロゴロと喉を鳴らした。


 …癒されるなー…


 うちでは動物を飼った事がない。

 ペットと言えるかどうかは謎だけど、昔からいるのは…庭の池の鯉ぐらいだ。

 だいたい、俺の周りでペットを飼ってる奴って…誰かいたか?



「おまえのご主人様ってさ…めちゃくちゃ可愛いよな。」


 クロに向かって話しかける。

 答えはないけど、ゴロゴロと喉を鳴らすクロ。


「癒されるっつーか…マジで…毎日会いたいなーとか思っちまう…」


「んにゃにゃっ。」


 両手でわしゃわしゃっと撫でると、クロは地面に仰向けになって俺にお腹を見せた。


「…ははっ…可愛いな。おまえも。」


 ほんとに…ここに来ると癒されっぱだ。

 クロを顔を向き合わせた感じで持ち抱える。

 そのまま、よっ。と立ち上がると…


「はっ…」


「……」


 すぐそこに、優里さん…!!


「あっあ…い…いつから…」


「…え…あ…クロの鳴き声が聞こえたから…」


「あ…そ…う…。」


「……うん……」


「……」


「……」


 聞かれた…

 絶対聞かれたよなー!!

 てか、優里さん!!

 気配なかったし!!


「…仕事…帰り?」


「…ああ…はい…」


 仕事帰りだなんて…俺んち、全く反対方向!!


「…上がる?」


「…いいの?」


「うん…」


 優里さんは足元に置いてた俺の鞄を持つと。


「…クロ、抱っこしてもらっていいね。」


 俺の腕の中にいるクロを見て、言った。


「にゃー。」


 いいでしょ。と言ったかどうかは謎だけど…

 クロの返事を聞いて玄関に向かい始めた優里さんに続いて、俺も階段を上がる。

 ドキドキする胸を押さえて…まずは忘れないうちに…と…


「…優里さん。」


「…はい。」


「携帯の番号…聞いていい?」


 背中に問いかけた。

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