第3話 「ぶぇーっくしょん!!」

「ぶぇーっくしょん!!」


「…大丈夫?」


「ふぁ…」


「はい、ティッシュ。」


「は…はん…ぶしゅっ!!」


 前園優里の家は、あの川からほど近い、少し高台の場所にあった。

 俺は深田さんに電話で少し仕事に遅れる事を告げて、会社の近くの病院に行ったが…



「病院行った方がいいんじゃないの?」


「待合室…すげー混んでたから…」


 その待合室を見て、心が折れた。

 あそこで待っていられる気がしねー…


 ソファーでグッタリしてると、姉ちゃんが額に手を当てた。

 それで治るわけじゃないんだけど、なぜか良くなるおまじないみたいな気がした。

 あー…自分の姉ながら…姉ちゃんはマジ癒し系だな…



「こんな日ぐらい休めば良かったのに。」


「あー…だよなー…姉ちゃん、いつものアレ作って…」


「いいわよ。ちょっと待ってね。」


 姉ちゃんがキッチンに立ってるのを横目に、俺はソファーでグッタリしたまま、アレが出来るのを待った。



 …前園優里…

 目を閉じて夕べの出来事を思い返す。


 川で…助けられて…

 家まで、抱えられるようにして歩いた。

 濡れた体に夜風が冷たくて…死ぬかと思った。


 …バカだよな。

 猫を助けるつもりが…死にかけたなんて。

 しかも、俺より七つも年上の女性に助けられるなんて…

 まさに…トホホ…だよ…



 …ん?

 そう言えば…

 川の中で、俺…

 髪の毛の長い女を見たような気がする…


 うっすらと目を開けて、天井を眺めながら…記憶の奥底に彼女の残像を探す。


 そうだ。

 髪の毛…長かった。

 抱えられるようにして家に帰った時も…

 背中に回した手に、髪の毛が絡まってた。


 …でも今朝は…ショートカットだったぞ?


「……」


 パチパチと瞬きをした。

 彼女…助けてくれた人とは別人か…?

 いや…朝一で髪の毛切った…とか?


 ま、もう死にそうでもうろうとしてたから…うろ覚えかもしれない。

 そんな事より…


『…一番手っ取り早く温まる方法だと思わない…?』


 …痺れる。

 彼女が言ったと思うと…余計痺れる。


 あー!!

 なんで覚えてねーんだよ!!

 …って、もしかして、やってねーとか…

 いや、でも…何となくだけど、やった感覚はあるんだよな…

 腰も怠いし…

 胸元に…キスマークらしき物もついてたし…



 …どれも川での出来事のせいかもしれねーよな…

 あまり期待するのは…やっぱやめとこ…


 とは言え…

 美人だった。

 今まで、俺の周りにはいなかったタイプだ。

 そこそこに遊んできたつもりだけど…

 なんつーか…ちょっと緊張した。


 …俺、なんか…らしくなかったよな…

 今朝のテンパリ具合を思い出すと、こっぱずかしくなる。


「……」


 今は…

 この具合の悪さを治すのが先決だ。

 こんな状態じゃ、頭も回らねー。



 俺の考えがまとまった所で。


「出来たけど…飲めそう?」


 テーブルに『アレ』が並べられた。


「うん。」


「はい。どうぞ。」


「…いただきます。」


 こぶりなサイズのグラスに入った、激マズドリンク。

 俺はいちいち『まずっ』なんて言いながら、それを飲み干した。


「少し休んだら?」


「…姉ちゃん午後からだっけ。」


「うん。聖、時間あるなら寝てていいから。」


「親父は?」


「休みだけど仕事行った。でもたぶん夜まで帰らないよ。」


「そか…じゃ、お言葉に甘えて…」


「あ、上着脱いで。」


「あー…ん。」


 俺と姉ちゃんは…22歳差。

 俺と同じ歳の娘もいる。

 そして俺より年上の双子もいる。

 親子って言ってもおかしくないからか…マジで姉ちゃんには甘えちまうんだよなー。


 …俺と姉ちゃんの母親は…

 なんつーか…

 危なっかしいイメージのが強くて。

 甘えたいと言うよりは、ほっとけないタイプ。

 本当はすげーしっかりしてるけど…

 謎の多い人。



「…何か要るようだったら声かけてね。隣でアイロンかけてるから。」


 姉ちゃんが、俺の上着をハンガーにかけながら言った。


「ああ…うん…サンキュ。おやすみ…」


 ブランケットを掛けながら、ソファーに横になる。

 目が覚めたらすっかり元気に…

 なってるといいなー…。


 …すー…





 …一番手っ取り早く温まる方法だと思わない…?


 ああ…確かに…


 でしょ…?ほら…触って…


 あー…柔らかい…



 パチッ


 すげーリアルな夢を見て目が覚めた。

 天井を眺めながら何度か瞬きをしてると…


「あ、目が覚めた?」


 姉ちゃんが俺を覗き込んだ。


「あー…うん…」


「調子どう?」


 額に、手。


「熱はない気がするけど、寒気はす……ぶぇっ!!」


 姉ちゃんにもうつしちゃまずいと思って、慌ててブランケットをかぶってくしゃみをした。


「んあー…悪い。これ、菌だらけになったかも。洗って返す。」


「何言ってんの。気にしないで。それより…電話鳴ってたわよ。」


「あ?」


 時計を見ると…12時。


「やべ…深田さんかな。」


 鞄に入れてたスマホを取り出すと、深田さんから着信が二件。


「…もしもし。深田さん、すみません…」


『あ、病院どうでしたか?』


「それが…混んでたので姉の所で秘伝の薬を飲ませてもらって休んでます。」


『ああ、それは良かったです。ですが鼻声で』


「ぶしゅっ!!はっ…あっ、すみません…」


『…今日はもうお休みになって下さい』


「えっ、でも会議…」


『完治が最善です』


「…ですよね…すみません…」


『スケジュールは調整しますので、気になる点がありましたら連絡ください』


「ありがとうございます…」


『では、くれぐれもしっかりとお休みください』


「はい。」


 桐生院の父さんの片腕としても、ずっとそばにいてくれた深田さん。

 めちゃくちゃ頼りになる。

 ありがたい。



「休めって?」


 キッチンからいい匂いがする。


「うん。」


「じゃ、楽になるまで休んでて。何か食べられそうになったら、お鍋にスープがあるから。」


「激ウマのスタミナスープ?」


「ふふっ。このスープを激ウマって言うのは聖だけよ。」


 激マズの秘薬とは違って、スタミナスープは美味い。

 でもノン君は『ゲロマズ』って言うんだよなー。

 ニンニクたっぷりで、俺は好きなんだけど。



「あたし仕事行くけど…鍵持ってるわよね?」


 親父がここで一人暮らしを始めた時に、桐生院家は全員がここの合鍵をもらった。

 最初はそれぞれ親父が心配で通ったけど…

 姉ちゃんが一緒に暮らし始めてからは、合鍵も用無しになった。


「…たぶんある。」


「もうっ、たぶんって。」


「あるある。」


 適当に返事をしながら、さっきの夢を思い出す。


 …ちょっと思い出した。

 今更だけど…腰が怠いはずだ。

 風邪のせいとか、昨日の川のせいとか思ってたけど…

 違う。

 何回も…何回もしたせいだ。



 それに…

 俺…



 避妊しなかったよな…。


 …今更だけど…




 大丈夫かな…(汗)





『あっ…あ…』


 パチッ


『ダメ…もう…』


 パチッ


『やだ…あたし…』


 パチッ



 それからの俺は…

 ウトウトしては、夕べの事を思い出して目が覚める繰り返しで。

 悶々として寝てるどころじゃなくなった。


「あーーーーー…」


 ソファーから起き上がって、頭をグシャグシャにする。



 …前園優里。

 美人だった。

 可愛かった。

 スタイルも良かった。

 セックスも良かった。

 …たぶん。


 今朝…あれから飯を並べてくれて、テーブルで向かい合ったけど…

 あまりにも俺がくしゃみを連発するから…


 沈黙。


 くしゃみ。


 大丈夫ですか?


 大丈夫…


 沈黙。


 くしゃみ。


 大丈夫ですか?


 大丈夫…


 の、繰り返し。


 ああ…情けねー…



 それに…客観的に見て…どうだよ。

 グレーのスウェットに、赤のチェックのはんてん姿の俺と…

 彼女は…ザックリとしたセーターに…ロングスカートだった。

 …少し長めの袖から出てる手首が細くて。

 あんな細い腕で、俺を川から引き揚げたのか。って、それも…恥ずかしくなった。

 俺が盛大にくしゃみしてるのに、平気そうな彼女…それも、恥ずかしかった。


 弱い。

 弱すぎる、俺。

 弱っちい!!



「くっそ~…」


 何が何だかわからないが…

 妙に悔しい。

 この気持ちは…何だ?


 ソファーに四つ這いになって、眉間にしわを寄せたまま…

 色んな後悔の念に囚われてると…


「……あれ。」


 寒気とくしゃみが収まってる事に気付いた。


「……」


 四つ這いのまま、顔だけ振り返って。

 もういない姉ちゃんの残像をキッチンに見ながら。


「…さすが…」


 小さくつぶやきながら、大きく感謝した。



 とりあえず…深田さんに調子が戻った事を電話して。

 明日は朝から出社する事を伝えた。


『桐生院家の秘薬、さすがですね』


 と深田さんにも言われて…それはちょっと自慢だった。




 …帰り間際、玄関先まで送ってくれた前園優里。

 二匹の猫と一緒に。

 手を振りながら…俺はつい『じゃあ…また』って言ってしまった。

 すると彼女も…つられたように『…また…』って手を振った。


 …また?

 またって何だよ、俺。


 …いや、助けてもらったんだから…

 ちゃんと礼するのが筋だよな。


 …礼か…


 何か贈り物…

 んー…


 ソファーに正座して、過去の色々を考える。

 女にプレゼントって…どうだったっけ。



 この時俺は…あれだけ毎日考えてた泉の事。



 すっかり、忘れてた。

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