第2話 「ふっ……ふ…」

「ふっ……ふ…」


 さ…寒い…!!

 とにかく寒くて…言葉になんねー!!


「それ、脱いで。」


 俺同様、びしょ濡れになってる女が、俺にバスタオルを差し出しながら言った。


 ふ…服…脱げっつったのか…

 ぬ…ぬ…脱ぎたくても…ゆっ指…動かねー…



「にゃー…」


 俺の周りを、土手にいた方の白い猫がウロウロと歩き回る。

 川に落ちてた方の猫は…女がバスタオルに巻いて、ゴシゴシと…


「ごめん…電気もガスも止まってるし…ストーブは…灯油ないから…」


 な…

 なんでそんな家に俺を連れ帰ったー!!


 歯をガチガチ言わせながら、懐中電灯で照らされた家の中を見渡すが…

 とにかく暖を取るような物が見当たらない!!


 こ…こ…これじゃ…

 凍え死ぬ。


 そう思ってると…


「少し我慢して。」


 女が…俺の服を脱がせにかかった。

 とにかく寒くてたまらなかった俺は…その女が至近距離にいてもどんな顔をしてるかも分からなかったし…

 脱がされながら何か言われてると思ったが…

 その言葉もだんだん耳には入らなくなった。


 だが…


「こっち。」


 手を引かれて…這うようにして…たどり着いたのはベッドで。

 女もそこで服を脱いで…


「来て…」


 俺の手を引いて…隙間がないほど密着した。


「……」


 お互い冷え切ってて…温まるような感覚はなかった。


 頼む。

 救急車呼んでくれ。


 そんな事を頭のどこかで念じ続けてると…

 …首筋に…温かさを感じた。


 女が…俺の首筋に唇を這わせてる。


 …マジかよ…

 こんな時に…そんな気分に…


「…一番手っ取り早く温まる方法だと思わない…?」


 女はそんな事をつぶやいたかと思うと…ゆっくりと唇を重ねて来た。


「……」


 ぶっちゃけ…冷たくて…感触なんて分からねー……けど…

 手を取られて…胸を触らされてると…

 女の心臓がドキドキしてて…

 ああ…生きてるんだなー…なんて思うと…

 …少し、熱が戻った気がした。






 パチッ。


 目を開けると…明るかった。

 見慣れない天井。

 俺ー…どうしたっけ?


 ゆっくり起き上がると…自分が全裸な事に気付いた。


「……」


 三枚も掛かってた毛布をゆっくりとめくりながら…夕べの事を思い返す。


 …確か…川に入って…

 ここに連れて来られて…

 …手っ取り早く温もる方法だとかなんとか…


 ……



 やった。

 俺、やったよな。

 知らない女と。


 うわーーーーーー…


 バカだ。


 社長に就任してからは、そういうバカな事しちゃいけねーって、覚悟決めただろーが。

 責任取れとか、そういう事態になったら…どうする…



 大きくうなだれたままでいると…


「にゃー。」


 白い猫が、足元に来た。


「…おす…」


「にゃっ。」


「…飼い主は?」


「にゃー。」


「……」


 …足元に着替えらしき物が一式置いてあった。

 封の開いてない紺色無地のトランクスと靴下とアンダーウェアと…

 こっちは…柔軟剤の匂いがする、スウェット上下。

 ついでのように、毛布の上に…はんてん。


 ああ…こりゃいいな。

 暖かい。


 部屋を見渡すと、ガラスの引き戸のそばにレトロなストーブがあった。

 その上には最近見ないような大きなやかん。


 …夕べ、灯油ないって言ってたような…

 だとしたら、買いに行ったのか?

 ま、何にせよありがたい…


 …が…


「…ふぁ…っ…」


 何か気配を感じたのか、足元にいた猫がさっと俺から距離を取った。


「ぶぇーっくしょん!!」


 両手で顔を覆ったものの、大きくくしゃみをすると。

 どこからか…もう一匹の猫が様子を見にやって来た。

 夕べはよく見えなかったが、白に黒の模様。

 何となく『ホルスタイン』と思った。


「ぶ…はー…」


 そばにあったティッシュを取って、両手と顔を拭く。

 こりゃ…帰って滅菌君だな…

 いや、もう今更だな…こんな状態…

 …って…今桐生院には父さんがいる。

 風邪をうつすわけにはいかねーから…

 今、マンションで今更の新婚生活してる姉ちゃんとこに行って、あの激マズの特製ドリンク作ってもらうか…


 てか、俺…スマホどうしたっけな…

 鞄に入れたままだとしたら…もしかして、まだあの土手に…


 財布も名刺も何もかもあの中だ。と思うと、さーっと血の気が引く気がした。


 今何時だ?

 そして、あの女はどこに?


 少し怠い体で立ち上がる。

 すると二匹の猫は俺の足元に擦り寄って来た。

 …人懐っこいな。



「……」


 ガラスの引き戸をゆっくり開けると、いい匂いがした。

 そして、俺の視線の先に立ってる女の後ろ姿は…朝日が入り込む窓からの逆光で、シルエットだけのように見えた。


 …確か、俺と同じぐらいびしょ濡れだったはずなのに…

 何ともねーのかよ。

 強靭だな。


 て言うかさ…

 猫を助けに川に入ったのに、助けられた俺…

 しかも、女に。


 …カッコ悪っ…



「えーと…おはよう…ございます。」


 後ろから遠慮がちに声をかけると、女がゆっくり振り返った。

 振り返ったが…逆光で顔が見えない。


「あ…おはようございます。」


「…えー…あの…あ、これ、ありがとう。」


 着る物一式を。って意味で、自分をポンポンと叩く。


「あ…いえ。スーツは今乾かしてるので…もうしばらくそのまま…」


「あ、それはー…どうも…申し訳ない…」


「それと…鞄はそこに。」


 指差された場所を見ると、まさに…俺の鞄。


「一応…中身確認して下さい。」


「あー…はい…」


 しゃがんで鞄を開けると、恐らく昨日お偉いさんとの飲み会の後に突っ込んだままの状態。

 財布も名刺もスマホも…ある。


 ホッ


「大丈夫そうです。」


「そうですか…体調は…?」


 部屋の中は照明がなくてもそんなに暗くはないんだが、とにかく朝日のせいで逆光。

 それに目が慣れ始めて、見え始めたのは…

 もしかして、ライフライン全滅中か?

 流しの横に、カセットコンロ。

 そして、ペットボトルの水が数本。

 …俺が寝てる間に、全部買い出しに…?



「あの…」


「あ、はい…大丈夫。ちょっとくしゃみが…出るぐらい。」


 男として不甲斐ない…って思いながら、ゆっくり立ち上がる。

 すると、やっと…顔がハッキリ見えた。


「……」


 すげー…色が白くて…

 ショートカットの髪の毛は、毛先がクルッとしてて…

 形のいい耳…

 そして何より…


 ……超美人だ…!!


 俺…この美人とやったのか…!?

 あーーー!!

 なんで覚えてねーんだよ!!

 もったいねー!!


 てか…


 こんな美人に、はんてん着て挨拶してる自分ーーー!!

 あー!!

 どこかからか、やり直したい!!



「え…えっと…昨日は…助けてくれて、ありがとう…」


 つい、しどろもどろになってしまった。

 だってさ…

 こんな美人に助けられたなんて…

 ますますカッコ悪っ…!!


「…いえ…あたしこそ…猫…」


「あ、君の猫だったの?」


「…はい…」


「……」


「……」


 警戒されてる…のか?

 いや、そりゃ当然だろ。


 あまりにも続かない会話に、居心地の悪さを感じた。

 カセットコンロにかかってる鍋が立ててるグツグツという音だけが、わざとらしく響ている気がする。


「名前…聞いていいかな。俺は…」


 桐生院…と言いかけて…止まった。


 桐生院聖…

 検索すれば、とことん出て来る名前。

 いい方にも悪い方にも。


「俺は…高原たかはら きよし。」


 完全に嘘ってわけじゃない。

 俺の父親は高原夏希だし…母親だって…結婚して高原姓になった。


「あたしは…」


 朝日の位置が高くなった。


「あたしは、前園まえぞの優里ゆうり…です…」


 前園優里の耳に光るピアスが、朝日に照らされてキラキラと輝いた。


 何だろ…

 俺、今…完全に見惚れてるよな。

 すげーシンプルな格好に、シンプルなエプロン。

 それに、たぶんすっぴん。


「前園…優里…ちゃん。」


 俺よりいくつ若いんだろ。なんて思いながら、名前を繰り返すと。


「…あたし、きっと…あなたより年上…」


 前園優里は、少しだけ苦笑いをした。


「え?そんな事ないだろ。俺、25だぜ?」


 俺的には…『もう25』だ。

 俺の周りは25までに成功した男ばかり。

 …マジで自分の不甲斐なさにガッカリする。


「あたし…」


 前園優里は俺の年齢を聞いて、苦笑いから困った顔になって。


「…32歳です…」


 とても、小さな声で言った。


「……はっ!?」


「……」


「あっ…ああああ、ごめん。全然…そんな歳に見えないから…」


「そんな歳…」


「あっ!!いやっ、違う!!ととととにかく、32歳とは思えない!!肌艶いいし、しわなんてないし、めっちゃ綺麗だし!!」


「……」


「いやほんとマジで!!俺より年下かと思ったぐらいだから!!綺麗だし可愛い!!」


「……」


「ほんとに!!嘘とかお世辞とかじゃなくって!!マジで可愛い!!」


 色白の前園優里の頬が、じんわりと赤くなった気がして。

 それでやっと俺は…



 自分が、とてつもなく恥ずかしい事を言ったと気付いた。

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