少女画家と戦闘機(五)

 ガリアルダ半島は、アードラー大陸の最西部に位置している。

 内陸部では東にオーディンバルト、南にパッサカリアと国境を接し、西方海ヴェスト・ジーに突き出した半島部はゆるやかなL字を描く独特の地勢をもつ。

 大竜公国グロースドラッフェンラント時代はガリアルダ辺境伯領と呼ばれていたこの土地は、古来から海上交通の要衝として栄えた一方、内陸部には険阻な山々がそびえる天然の要害としても知られている。

 過去にもガリアルダ半島では何度か大規模な農民反乱が発生し、攻めるに難く守るに易い土地に立て籠もった反乱分子は、歴代の大竜公ドラッフェン・ヘルツォークをおおいに苦しませた。

 時は流れ、アードラー大陸の支配者の座がポラリアへと移り変わってからも、やはり反乱の歴史は繰り返されたのだった。


 もっとも、土地をめぐる歴史や政治の問題は、パイロットには与り知らぬ領分でもある。

 ユーリは操縦桿を固定すると、膝の上に四つ折りの地図を広げる。

 海上に出たサラマンドラは、高度一万メートルを時速五五◯キロで巡航中。

 右手にはパッサカリアの白い岸壁が蜿々と連なっている。

 国家の主権は陸地から一定の距離にしか及ばず、公海上の通行は自由である。その原則は船舶だけでなく、航空機にも適用される。

 海上を遊弋しているパッサカリア海軍の空母艦隊だけが気がかりだったが、どうやらいまは母港に戻っているらしい。

 空母所属の航空隊に追いかけられ、振り切るのに無駄な燃料を費やす心配はないということだ。


 白い岸壁がふいに途切れた。

 ある地点から陸地そのものが切り落とされたように消失し、入れ替わりに現れたのは見渡すかぎりの広大な湾だ。

 操縦桿をわずかに傾け、機体を右方向に旋回バンクさせる。

 岬を回ったところで、ユーリは彼方にうっすらと浮かんだ陸地の影を認めた。

 ガリアルダ半島だ。

 ラウラの故郷エルベナシュは半島中部の山岳地帯にある。

 そこに到達するまでには、沿岸部に設置された対空陣地の真上を通過しなければならない。

 機関砲は高度を上げさえすれば問題なくやり過ごせるが、高射砲は別だ。

 大竜公国で開発された十二センチ高射砲FLAKは、対空砲の最高傑作と名高い。

 その射程は一万メートル以上の高高度にもおよび、重爆撃機にも一発で致命傷を与えるほどの威力をもつ。

 数多くのポラリア軍機だけでなく、味方であるサラマンドラを四機も誤射・撃墜した戦歴を持つこの砲は、終戦とともにアードラー大陸の各地に高射砲台ごと遺棄された。ガリアルダ人民戦線ではおよそ三百門ほどが運用されているという。

 ポラリアや周辺国の航空機がガリアルダ半島に近づけないのも、沿岸部に配置されたこの砲の威力を恐れてのことだった。

 強電界層の干渉によって電探レーダーは一定高度以上ではほとんど役に立たないとはいえ、対空監視員に発見されれば猛烈な射撃が始まるのだ。


 眼下で金属光がまたたいたのはそのときだった。

 白い航跡雲を引きながら、こちらにむかって二機の航空機が急上昇してくる。

 まるで機首が三つあるような独特のシルエット。遠目にも普通の戦闘機でないことはあきらかだ。

 AF-21D「ケルベロス」――。

 大戦中、ポラリア空軍で運用されていた双発重戦闘機である。

 ケルベロスという名前は、機首と両翼に据え付けられた二基の発動機エンジンが一列に並んださまが神話の三頭犬を彷彿させることに由来する。

 ポラリア空軍の機体が明るい灰色グレーであるのに対して、サラマンドラに接近しつつある二機はどちらも全体に赤褐色の塗装が施されている。黄色い正三角形を二つ重ねた翼章をみるまでもなく、ガリアルダ人民戦線に所属する機体であることはすぐに分かった。

 ポラリア軍が撤退時に放置していった機体を接収し、自軍の戦力として運用しているのである。

 戦闘機としては大柄なサラマンドラよりもさらに一回りほど巨大なケルベロスの特色は、豊富な搭載量ペイロードとすぐれた汎用性にある。地上掃射や対艦攻撃も器用にこなし、長大な航続距離と安定した飛行特性を見込まれて偵察機に改造された機体も少なくない。

 むろん、戦闘機としても充分な性能を有している。機首の二◯ミリ機関砲四門と、両翼に計六門搭載された十二・七ミリ機銃は、空戦において絶大な威力を発揮するのだ。一斉射撃をまともに浴びれば、いかにサラマンドラとて撃墜はまぬがれない。


 二機のケルベロスは、高度一万メートルに達する直前に散開ブレイク

 サラマンドラを左右から挟み撃ちにするつもりらしい。

 双発機ならではの大馬力を活かした一撃離脱は、ケルベロスの最も得意とする戦法だ。

 ユーリは操縦桿とフットペダルを巧みに操り、機体をすばやく反転させる。

 そのまま高度六千メートルまで急降下。並外れた高剛性をほこる機体は、激しい空気抵抗に晒されても小揺るぎもしない。

 ケルベロスはゆるやかな二重螺旋を描きながら、サラマンドラの後を追って降下する。

 スパイラルダイブに入った三機の航跡は絡み合い、青空に奇怪な模様を描き出す。

 異変が起こったのは、高度四千メートルで水平飛行に移ったときだった。

 気づけば、サラマンドラは二機のケルベロスのあいだに挟まれるような格好になっている。

 偶然などではない。ケルベロスのパイロットたちが意図的にそのような状況を作り出したのだ。

 円陣戦術――デス・サークルとも呼ばれるそれは、旋回性能に劣る双発機が軽量な単発機に勝利するために編み出された技術である。

 一機が囮となって敵機にわざと背後を取らせ、僚機がさらにその背後から攻撃を仕掛ける。攻撃のためには機位を安定させる必要があるため、いったん照準に入った戦闘機はとっさの回避運動を取ることが出来ない。その瞬間を狙い、背後から猛烈な砲火を浴びせるのだ。

 ユーリは深く息を吸い込むと、操縦桿をぐっと握り込む。

 サラマンドラが右方向にバレルロールを打ったのと、背後のケルベロスが全力射撃の口火を切ったのは、ほとんど同時だった。

 否――時間にしてわずかコンマ数秒、サラマンドラの反応が勝った。

 ほんのすこしでも判断が遅れていたなら、サラマンドラは強烈な射撃を受けてたちまち破壊されていただろう。

 サラマンドラを打ち砕くはずだった十条の火線は、そのまま前方のケルベロスへと吸い込まれていく。

 双発の巨体は一瞬のうちに爆炎に包まれ、あっけなく四散した。

 サラマンドラには一切の武装が搭載されておらず、そもそも攻撃準備にすら入っていなかったとは、まんまと味方を撃墜したケルベロスのパイロットは夢にも思わなかったはずであった。

 円陣戦術デス・サークルを仕掛けたつもりが、実際には罠に嵌められたのは彼らのほうだったのだ。


 いまや一機だけになったケルベロスは、今度こそサラマンドラを撃墜すべく急迫する。

 ケルベロスとサラマンドラの運動性能には天と地ほどの差がある。格闘戦に持ち込まれれば、まずもって鈍重な双発機に勝ち目はない。

 海面すれすれまで高度を下げた二機は、ガリアルダ半島の陸地にむかって一直線に飛行する。

 ケルベロスが急上昇。上方から一方的に攻撃を仕掛けようというのだ。

 サラマンドラはいまにもプロペラが海面に触れそうなほどの超低高度を這っている。三次元的な回避機動を取ることはもはや不可能だ。

 ケルベロスの機首から放たれた二◯ミリ弾が激しく海水を叩き、白い水柱を立てる。

 サラマンドラは方向舵ラダーだけで右に左に機体を滑らせ、高度を低く抑えたまま、ケルベロスの攻撃をたくみに回避していく。

 一向に命中弾が得られないことに業を煮やしたケルベロスは、知らず知らずのうちに高度を下げていった。

 ついにサラマンドラを必殺の間合いに捉え、射撃を開始する。

 次の刹那、ケルベロスのパイロットの視界いっぱいに広がったのは、信じがたい光景だった。

 それまでの超低空飛行から一変、サラマンドラが海面を蹴って舞い上がったのである。

 雄々しくも美しいその姿に見惚れる暇もなく、ケルベロスはみずからの攻撃が作り出した巨大な水柱に激突していた。

 空気取入口から大量の海水が侵入し、左右の発動機に致命的な破壊をもたらす。推進力を失ったケルベロスは、盛大な水しぶきを立てて海面に突っ込んでいった。

 ユーリは後方で沈んでいくケルベロスにはもはや一瞥もくれず、陸地をめざして機体を飛ばす。


 海岸のあたりで光点がちらちらと明滅した。

 そう思ったときには、サラマンドラはすでに回避運動に入っている。

 ほんの一秒前まで機体があった場所に十二センチ砲弾が飛来し、ユーリの直感の正しさを証明した。

 耳をつんざく発射音が大気を揺さぶり、空は数百とも数千ともつかない火線に埋め尽くされていく。

 海岸線に設置された対空陣地がサラマンドラを射程圏内に捉え、弾幕を展開しはじめたのだ。

 ユーリはスロットルレバーを緊急出力に叩き込むと、対空砲火の真っ只中へと飛び込んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る