52 最後の抵抗、ヤジ

 キビちゃんは袋小路に犬飼を追いつめていた。犬飼はまだ拓海の姿をしている。


 猿川がしなやかに着地すると、「結衣、桃田がプロポーズしてくれるってよ」と手荷物状態のおれを投げた。


「え、ちがっ」


 あたふたと立ち上がり、剣を構えるか構えないかで迷ったあげく後ろ手にして隠す。犬飼は胡散臭そうに目を細めると、「その剣は鬼に使うためのものよ」と口を尖らせた。


「桃田が張り切ってお前を倒すそうだぞ」


 と猿川が尻を蹴ってくる。


「ほら、行け」

「あのさ、犬飼」


 おずおずと前に出る。


「もう終わりにしよう。あちこち崩壊してるから。全員でこの世界から抜け出そう」


「だったらモモは結衣の彼氏でいてくれるのね。結婚もするのね。お墓も同じでずうっとそばにいて仲良くしてくれるのね、そう約束して神さまに誓うのね」


 表情を変えず、淡々という。


「それは」とうなだれると、キビちゃんが叫んだ。


「ええい、貸せにゃいっ」


 剣を奪い、ばっと離す。


「にゃふうう、チリッてきたにゃ」

「まさか」


 猿川が拾い上げようとしたが。


「うおっ。なんだよ、さっきは持てたのに」

「だってモモのだもん」


 犬飼が含み笑いをする。おれは恐る恐る剣を拾い、何も変化がないことを確かめた。


「モモに結衣が斬れるぅ?」


 犬飼は拓海の顔でニヤニヤしている。


「こいつは斬る、バッサリな」


 猿川が勝手に請け合う。


「お前のことなんて、全く好いちゃいねえ、むしろ恨んでやがる。そうだろ、桃田。躊躇なくいけ、くだくだしてたら時間切れになる」


「そうだにゃん、さっさと斬るにゃん」

「あーら、そう」


 剣を構えて向き合うと、犬飼は両手を広げ肩をすくめた。


「だったら、こうするもん」


 ふわっと風が吹き、犬飼が拓海から姿を変えた。


「にゃにゃっ、ちびこくなったにゃん」

「あー? まんま昔の結衣じゃねぇか。もしかしてこれが妹か?」

「うん」


 犬飼は目に涙をためた。


「にいに、斬らないでぇ」

「よせよせ、もう通じねえよ、結衣」


 笑った猿川だが、動かないでいるおれに気づき、わめく。


「お前、勘弁してくれよ。こいつまんまガキの頃の結衣だぞ、全然可愛くないだろ。見ろ、あの目。ダンゴムシを収集して瓶詰製造する女だ」


「でも」


「にいに、やめてぇ」

「桃田」


「モモ、しっかりするにゃん。ユイちゃんに会いたくにゃいのか。呪いが解けないとユイちゃんとキビちゃんは合体したままにゃん。ユイちゃんが猫娘のままでいいにょかっ。こら、モモっ。ユイちゃんに会って土下座するにゃ。ちびこい犬に負けてる場合か」


「にいにぃ」


 犬飼に一歩ずつゆっくり近づいてくる。


「世界、崩れそうだから。もう終わろう」

「やだ」


 いやいやと首を振る。


「にいに、結衣のこと嫌わないでぇ」


 ぽろぽろと涙をこぼす。妹じゃなく犬飼だ。でも嗚咽を聞くと剣を持つ手に力が入らなくなる。全部演技だ。おれを騙そうとしているとわかっている。


 それでも決心がつかずにいると、猿川とキビちゃんが「くそ」や「やれにゃアホ」と罵り始めた。


「クズが」


「こにょ、すっとこ腰抜け桃太郎め。恥ずかしいにゃ。こんな桃太郎、弱すぎて、キビちゃんまで恥ずかしくなってくるにゃ」


「なんでこいつが桃太郎なんだよ。結衣は趣味が悪すぎる。マジで解放してほしい、家来やめたい、猿苗字とか先祖恨むわ」


「キビちゃんは猫にゃんだぞ。桃太郎かんけぇにゃーぞ。二人でやっててほしいにゃん、この腑抜け野郎め。さっさと家に帰らせろってんだ、ポンコツ桃太郎」


「結衣、いい加減に目を覚ませ。こいつのどこが良いんだよ。世界にはもっとマシな男がいるって。な、もう家帰ろうぜ。良いやつ紹介してやるから。バイク持ってるのとかどうだ? 遊びに連れてってくれるぞ。夜中でもお前の相手するって。桃田なんて八時には寝てそうじゃねーか。お前と生活サイクルあわねえって」


「そうだにゃん、犬飼よ。こんな野郎にこだわるなんて人生損にゃ。キビちゃんもユイちゃんによくいったもんだにゃん。なにゆえ、この男が良いにょかと。答えはこうであったにゃん。『ももは優しいんだもの』。こいつの優しさのせいで、全員が迷惑こうむってるというのに。一体全体、どう責任とるつもりにゃん」


「そうだぞ、桃田。好きじゃねー、斬りたくねー、妹は可愛い、結婚は無理だで、どうやってここから抜け出すつもりだ。てめえらの痴話喧嘩に巻き込まれた身にもなれってんだ」


「にゃあ、もういやんにゃっちゃう」


「マジで共感。やってらんねー」


「かーえーりーたーいー、にゃああああ」


「解放、解放、解放っ」


「……お前ら」


 犬飼に背を向けるのは危険かと思ったが、二人があまりにも感じ悪いので振り返る。


「もうちょっと応援しようとか、支えてやろうとか、同情する気持ちがないのかよ」


「にゃいっ」

「ない」


 声を合わせる二人に殺意がわいたとき。


「モモ。き、斬ってく、れ」


 心臓が跳ねる。振り向くと拓海がいた。


 苦しそうに呼吸している。ひたいには汗の玉が浮かんでいた。

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