50 嘘ばかり

「結衣」


 猿川が前に出だ。キビちゃんも斜に構え、皮手袋をぎゅっとはめなおす。


「モモとナギサ。本当に仲が良さそうで」


 拓海の姿をして笑う。


「それで気づいたの。この人たち付き合ってるんだ、結衣を騙してたんだ、って。よく見たら履いてるスニーカーがサイズ違いなだけで同じなの、おそろいなの」


 犬飼は、ふっ、と鼻を鳴らした。


「あいつ、ナギサ。いつも顔を合わせたら、『おはよう』だって。無視しても、『おはよう、犬飼さん。おはよう』。良い子ちゃんぶって。そうしたらモモ、あなたも結衣に声をかけてきた、『おはよう』って。モモは結衣に優しかった」


 拓海の目で、犬飼はじっと見つめてくる。


「シャーペンを落としたら拾ってくれたし、廊下で人にぶつかったときも、『大丈夫?』って心配してくれた。『犬飼さん』って、名前も覚えてた。ユイってナギサさんと同じなんだね、って。そうでしょう?」


「優しくしてるじゃねーか」


 猿川の言葉に、いや、だって、と目を瞬く。


「そんなの普通だろ?」


「結衣は」と強く言い放つ犬飼。


「ナギサに聞いたことがあるんだ、『桃田くんは好きな人いるのかな』って。そうしたらあの子、『どーかな』だって、笑ってた。どーかな、どーかな?」


 口調の圧力にあとずさると、猿川が「あーあ」と低くつぶやく。


「結衣のことバカにしてたのよ。あいつ、自分が彼女だってわかってるくせにっ。何も知らずに聞いた結衣を、あいつはあざ笑ってたんだ」


 どんと地面を鳴らす。と振動が起こった。ばらばらと建物の一部が落ちてくる。地面が小刻みに上下する。


「桃田、あいつを刺激すんな」

 猿川が肩越しに振り向く。

「こいつ、前にも雉に化けてたんだよな?」


 そうだ、とうなずきかけると、


「あはは、化けてなんかいないよ」


 犬飼が笑いだす。ねえ、と近づいてこようとするのを猿川が制止する。


「結衣、終わりだ。負けたんだよ、お前は。桃田にかまうな、あきらめろ」


 犬飼は笑顔のまま首を振る。


「わかってないなぁ、修ちゃんは。結衣はまだ勝ってるんだよ、だってこの世界は結衣が作ったんだもん。この世界の王は結衣なの。正義も結衣、神さまも結衣、結衣が絶対なの。修ちゃんも邪魔するなら排除しちゃうよ、いいの?」


「バカいうな、見ろ」


 猿川は周囲を示した。振動は激しくなってきている。どこかで巨大な建物が崩壊したような音がした。


「お前が作った世界が終わろうとしてるじゃねーか。いい加減降参しろ。雉に化けてねぇでおれたちを解放しろ」


「だーかーらぁ」


 犬飼はバカにした目を猿川に向け、「記憶戻ったならわかるよね」と猿川越しにひょいっと顔をのぞかせる。


「モモ、わかるよね?」


 黙っていると、猿川が「なんだよ」と怪訝な顔を向ける。唾液を飲み込み、土の臭いがする空気を吸った。声が震える。


「いないんだ、拓海は」

「は?」

「拓海も妹と同じだ」


 きゃははは、と笑い声。犬飼は腹を抱え、目じりを拭う。


「ごめんね、モモ。でも楽しかったでしょう、友達だもんね?」


 記憶が、濁流のように蘇る。


 夏祭りは拓海とではなく、犬飼と来ていたのだ。そうしてはぐれたところ、困っていたナギサを助けた。


 あの時のナギサの表情。戸惑い驚く顔を思い出す。冷たくしたくせに、ああして声をかけてきたおれを、さぞ怪訝に思ったことだろう。


「どういうことだ」


 猿川が怒鳴っている。犬飼はずっと笑っていた。


 拓海との思い出は偽りだ。昔からの友情なんて何一つなく、あるのは呪いにかかってからのやり取りだけだ。


「どういうことだ、雉は存在しねーのか、なあ結衣」


 猿川が犬飼の肩を揺さぶった。


「うん、いない」

「はっ」


「なあに修ちゃん、怒ってるの? 雉島拓海が気に入ってた?」


「そうじゃねぇだろ」


 すごむ猿川に犬飼の笑顔も引きつる。


「修ちゃん怖いよ。怒ってるの、ごめんね、拓海は偽物だったの、結衣が作ったの、雉が必要でしょう、桃太郎だもん、ね、ね、モモに親友をあげたの、結衣hあ優しいよね、そうだよね」


「あほかっ」


 猿川は犬飼の頭をはたく。


「彼女は奪う、妹には成りすます、親友まで偽って騙した。そこまでして、まだ足りねぇのか」


「だって。だってだって結衣は」


「何が世界の王だ、バカ野郎。お前に呪いのやり方教えたのは誰だよ。いえって。そいつをぶん殴ってやりてぇから、早く呪いを解くんだよ」


「やだもん」

「やじゃねー!」

「やだっ」


 叫ぶ犬飼。


「修ちゃんまで結衣のことバカにするのね。せっかく頭良くしてあげたのに、全然感謝してない。お家だってお金持ちにしてあげたのに元の世界に戻りたいなんて。修ちゃんのぜいたく。一緒にこっちで楽しめばいいのに」


「うるせぇ」


 猿川はまた犬飼の頭をぺしぺし叩いた。


「文句は元の世界に戻ってから聞いてやるから、さっさと呪いを解くんだ。方法はあるんだろ、ねーのか?」


「な、ないっ」


 ぶわ、と犬飼の背後から影が数体飛び出した。猿川が後ずさると、横からシャッと黒い服が飛び込んでくる。


「キビちゃん!」


 だが空振りする。


「にゃきしょう、逃げたにゃん」


 鬼影も犬飼も姿を消していた。

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