46 妹
たたた、と駆け寄ってきたのは妹だった。小さな手で腹に抱きつく。
「にいに、好きよぉ」
「結衣」
そう妹の名前は結衣だ。そしておれに妹はいない。一人っ子だから。
「なぁに、にいに」
見上げてくる目、ふっくらした頬、しがみつく手。
「お前」
引き離し力なくひざを折る。妹、いや犬飼と目線の高さが合う。
「どこまで人の心をもて遊んだら、お前の気はすむんだよ」
犬飼はけらけらと笑う。
「モモはこっちの結衣ちゃんのほうが好きだよね。にいには結衣にやさしいもん、カワイイカワイイしてくれるよね。そうでしょう、にいに。妹が大好きだよね」
妹、妹、妹。
吐き気がする。耳をふさいだ。それでも犬飼の幼く高い声がする。
「にいには、いっつもやさしいもん。ゲームして絵を一緒に描いて。結衣がすることは、なぁんでも許してくれたもん」
「妹だと、そう思ったから」
「うん、そうだよ。今度は結衣、モモの妹になる。ね、ね、ね、そのほうがいいんだよね。彼女より妹なんだよね、わかったよ、結衣、妹になるからね、ね、ね、ね、ね」
小さい手でぺたぺたと叩いて訴えてくる。怒りを通り越して虚しくなる。あの妹は偽りだった、大切に思う気持ちも、可愛がる気持ちも、土壌にあるのは偽りだった。
「やだよ、もう」
「結衣のこと好きでしょう?」
信じきった目だ。こいつは犬飼なんだ、妹じゃない。妹だと思っていた、そのときは可愛いと思っていた、大切な妹だと信じていた、でも、ちがうちがう、こいつは犬飼だ、呪いで、こんな世界で、妹になって、満足して、笑って、甘えて、騙して、バカにして。
「ねえ、この世界だったらずっと兄妹でいられるよ」
抱きついてこようとする、その手を振り払った。
「いたっ、やめてよぅ」
もう何も目にしたくなくて背を向ける。にいに、と呼んできても、うえぇん、泣き声がしても振り向かない。駆けてくる軽い音がした、裾を引っ張る小さな手があった。
でもおれは振り向かず、手を振り払い、走って――がくんと視界が上下に揺れる。アスファルトの路が砂地に変わった。
そこにいた二人が同時に振り返る。
「なんだ桃田か」
猿川とナギサだ。以前、鬼影が出た区画に出たようだ。石造りの廃墟とガラスの破片が散らばっている。
「いきなり現れたな。飛ばされたのか?」
猿川が近づいてくる。ナギサが、「おいおい、幽霊でも見たような顔してるにゃんね」と笑った。
「キビちゃんか」
「こいつ、すげーぞ」
猿川はあとをついてきていたナギサ姿のキビちゃんに腕を回して自慢げにする。
「影が大量に出たんだけどよ。片方貸せっていうから渡したら、まあ殴る殴る」
「渡した? ……ていうか、お前離れろ」
「こいつにゃん」
キビちゃんが左手を上げる。皮手袋をしていた。猿川は肩に回した腕を離さず続ける。
「この猫、大活躍だぞ。つっても、次々わいて出るからきりがなくてよ。んで、逃げ回ってたんだが、いきなり全部消えて」
「そうしたらお前が来たにゃん。何があったにゃ?」
「犬飼を見つけた。全部あいつの」
「――自作自演だろ」
猿川はくしゃくしゃと髪をかく。
「だいだい思い出した。呪いが解け始めてんのかもな」
「そうか。それよりお前腕を」
「ユイちゃんを悪者にしようなんて、あの犬、最低だにゃん。パンチしてやるにゃん」
シュッシュッ、とキビちゃんは腕を突き出す。
「頼りにしてるぜ」
猿川がキビちゃんの頭を、うりうりと撫でる。
「ちょっ」
見た目がナギサな分、抵抗があるのだが、キビちゃんは満面の笑みでふんぞり返る。
「任せるのにゃ。こっちは生後六か月まで野良生活してたにゃんよ。影も犬も余裕で狩ってやんよ、ニャーハハハハ」
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