39 にゃー!
ナギサは郷土資料がある棚の前にいた。
背伸びをして、頭よりも高い位置にある本を取ろうとしている。
「ナギサ」
声をかけると驚かせたらしく、本を取り落とした。首をすくめ目を閉じるナギサ。おれは本をキャッチすると棚に押し戻した。
「モモか」
ナギサが見上げてくる。
「拓海くんは?」
「まだ上で探してる」
ナギサは身じろぎした。おれが向き合うすぐ前に立っているから。それでも引き下がらず見下ろす格好で話しかける。
「あの本。『ヘブンリーブルー』。ラスト、どうなるか思い出した?」
「え、ううん。いきなり何?」
「たぶんあのラスト。少女が呪いをかけて世界を変えてしまうんじゃないかって、そう思ったんだ」
「なにそれ、あの話に呪いなんて出てこないから」
「だったら最後はどうなるんだよ」
「ねえ、どいて。わたし、拓海くんのところnに行ってくる。早く絵本を見つけないと」
「もう探す必要ない。犬飼さんを救う方法がわかったんだ」
「本当に?」ナギサの視線が鋭くなる。
「どうやるの」
「……ナギサが解けばいいんだ」
耳に顔をよせ、ささやく。
「まさか解く方法を知らないのか?」
ナギサと視線を合わそうとのぞきこんだ。だが閉じかけた目はうつろで、遠くを見ているようだった。
「ナギサ、まず呪いを解こう。おれ、何度でも謝るから。ナギサを責めたりしない、だから犬飼さんを呪いから解放しよう」
「モモって」
ゆっくり視線が合った。ナギサは冷めた目で見返してくる。
「お前、どこまでクズなんだよ」
しゃっ、と張り手が飛ぶ。のけぞってかわそうとしたが頬にぴりと痛みが走った。触ると血がつく。ナギサが爪でひっかいたのだ。
まじまじと見つめ、動けずにいると、ナギサは「シャアア」とうなる。黒目が大きくなり、らんらんと輝いている。
「てめー、またユイちゃんをいじめる気かにゃっ。相手してやんよ、かかって来い、フシャアアア」
……え?
「おうおう、ふざけやがって。どんだけユイちゃんがてめーに傷つけられたか、わかってにゃーらしいにゃ。このすっとこエロももピーチマンめ。おめぇは病院行ってタマとってこいってんだ。今すぐ引きちぎってやってもいいんにゃよ、おうおう」
ナギサは、にゃにゃにゃーっ、と顔めがけて飛びかかる。
わけがわからないまま、手首をつかんで攻撃を止めようとがんばる。が、「にゃにおぅぅ。こうしてくれるにゃっ!」足を蹴り上げてきた。
「っぶね」
手首をつかんだままくの字に身体を曲げた。ナギサは、「避けるんじゃにゃーよ」と、がぶっと腕に噛みつく。
「痛っ」
「フガフガフガ」
本気噛みだ。申し訳ないが、ひたいを力いっぱい押して引きはがす。
「うにゃにゃっ、まっじー手だにゃっ」
ぺっ、と口を拭うナギサ。
「ナ、ナギサ?」
「うるせーにゃっ。ユイちゃんに二度と近づくんじゃにゃー」
フシャーと威嚇だ。猫だ。いや猫だとわかったところで事態は飲み込めないのだが。豹変したナギサはしゃべりまくる。
「いいか、おみゃーが、ひとり呪われようが鬼に食われようが、どっちだっていいんだにゃ。でもにゃ、ユイちゃんを巻き込むのは許せねーにゃっ。悪いのはお前だにゃ。お前がひとりで消えるにゃり地獄行くにゃり、好きにするんだにゃ」
「お前、何だ?」
歯形がついた腕をさすりながらたずねると、そいつは、ふんっと腰に手を当てふんぞり返る。
「キビちゃんだにゃ」
「キビ団子?」
「ちがーにゃ」
かっと目をむくナギサ。黒チュニックのすそをまくり上げると、「キビキビ俊敏だから、キビちゃんにゃ」と、シュンシュンと高速で反復横跳びをする。たたっ、たたっと靴音が図書館の静まり返った室内に軽快に響く。
「見るのにゃ、キビちゃんのこの華麗にゃステップを。世界の猫が驚愕するにゃろう。ニャーハハハハハハ」
「わ、わかった。とにかく、シーっ。怒られるぞ」
「うるせーにゃ。おみゃーに、つべこべいわれたくにゃーにゃっ」
「わかったから。とにかくシーっ。な、シーっ!」
落ち着かせようと肩に手をやるとナギサ――改めキビちゃんは、「触るにゃっ」と振り払う。
「いいかにゃっ。お前は早くこの呪いを解くんだにゃ。それが終わったら二度とユイちゃんの前に現れるにゃ、話しかけるにゃ、こっちを見るにゃ、息するにゃ。もうお前死んだらいいにょに」
向けてくる半眼が怖い。でもこの呪いを解くってどういうことなんだ。ユイちゃんとくり返してるが、ユイは犬飼の名前だ。
「解くって、ナギサに猫が憑りついたから?」
「バカにゃあああ」
シャアァァァ、と頭を抱えている。
「キビちゃんはユイちゃんを守るためにこうしてるにゃっ」
「守る?」
「にゃからっ、呪いがユイちゃんに降りかかった瞬間、ユイちゃんと一緒にいるため、キビちゃんも呪いに飛び込んだにゃっ。お前が解くのは鬼影の呪いにゃろ。あいつがかけた呪いを、おめぇが責任もって解くんだにゃ」
「だからナギサが呪いをかけたんだろ?」
「にゃひぃ、まだいうかっ」
キビちゃんは、「ふんがー」と鼻息荒い。
「まだわかんにゃーか!」
「そのユイちゃんって犬飼のことだよな?」
ナギサに憑りついた猫が「ユイちゃんを守るため」とはどういう意味だ。だがキビちゃんは「にゃーああああもうっ」とじたばたとじれったそうにする。
「モモなんてきらいだにゃ。二度と抱っこ禁止だにゃ。だいたいお前は最初から、あやちかったにゃ。ユイちゃんは夏のゆぅわくに負けちまったんだにゃ。もう終わったんだにゃ、あっち行け、ユイちゃんに関わるんじゃにゃいっ」
夏のゆぅわく?
もしかして……。
ナギサは黒い服を着ていた。昨日も今日も、全身黒い服でかばんも靴も真っ黒で、毛もじゃのキーホルダーを大事にして常に持ち歩いているようだった。
猿川は「こんな服しかねー」と自分の服に文句をいっていたが、ナギサも黒の服しかないのだとしたら。憑りついた猫のせいで黒しかないのだとしたら。
「喪にでも服してるのかと思ってた」
「にゃにっ、失恋の悲しみでかにゃ。ありえんにゃ、どんだけ自己中な男だにゃ。この黒毛の美学がわからんにょか」
「お前」
「お、やっとわかったかにゃ」
「あの猫なのか」
「にゃっふん」
キビちゃんは舌をぺろっとさせた。
「またツナサンド、食べたいにゃー」
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