32 犬飼さん、猿川の忠告、あの香り

犬飼いぬかいに聞き覚えがあるのか?」

「お前になくてもな」


 猿川は口角をあげて意味深に笑う。


 拓海が「ん?」とおれと猿川を交互に見てくる。だから、猿川に軽く首を振って示すと、「ま、それはいいとして」と彼は髪をくしゃくしゃかき乱した。


「ついに出たな、犬っころが。足りねぇのは犬だけだったが、まさか捕まってたとはね。ナギサは犬飼に覚えがねぇらしいが、雉も同じか?」


「おう。さっき、クラスメイトかなーって、モモと話してたんだ」

「へー、クラスメイト。桃田、どう思う?」

「猿川」


 つい声が大きくなる。


「クラスメイトだと思うよ。それよりお前はどうなんだ。犬飼結衣の名前に聞き覚えがあるのか」


「ある、といっておこう」


 猿川はメガネを外すと、無造作にシャツで拭い始める。


「どっちだよ」


「怒んなよ、桃田。犬の知り合いなんていねぇと思ってたけど名前を聞いて、こう、もやっとするというか。何か思いだしそうなんだ」


「当てになるのか、その記憶」


 低くつぶやくと、拓海が小声で忠告してくる。


「モモ、態度に気を付けたほうがいいぞ。メガネを外したら、スーパー猿川になって殴りかかってくるんだ」


「雉、聞こえてんぞ」

「ひゃいっ。あっはー、じょーだんですよ、じょーだん」


 手を揉みしだく拓海。こいつは、まったく。


「こっちの世界にも影が出てきた。猿川は、どうしてだと思う?」


 聞くと、猿川は、「さーな」と肩をすくめる。


「祠を見つけたら、影が幻想街から出張って邪魔しに来たんじゃねぇのかって考えもあるが。でもよ。もっと単純に、その祠に犬っころがいなくなった原因があるなら、ぶっ壊したら全部解決すんじゃねーか?」


「それはちょっと」

「そうだぞ、罰当たりだぞ」


「ま、最終手段だ」


 笑っているが、この調子だと本当に蹴り壊しそうだ。頼りになると期待したが、猿川に期待して大丈夫だろうか。


「昨日は夢を見なかった。お前らもだろ?」


 コンビニの店内に視線をやりながら、猿川がいう。


「ああ」

「左に同じく」


「やっぱな。ナギサも見てねぇって」


 と、猿川はおれを見て。


「そういやさ、お前、ナギサと喧嘩したらしいな」

「え、何事?」


 拓海が勢いよく顔をのぞきこんでくる。


「『モモ、やる気なくって。邪魔ばっかり』って、ピーピー愚痴ってたぜ」


 裏声まで出して面白がる猿川に、拓海が「おい、モモ。何があった」と騒ぐ。


「べつに、喧嘩っていうか」

「そのあと家に誘ったんだろ?」

「モモ! このっ、スケベっ」


「おいっ、叩くな。お前らが連絡つかねぇからだろ。公園で待つのは不気味だったから」


「鬼の襲撃を口実にしたのか」

「部屋に呼ぶなんて、不純よっ」


「ナギサはすぐ帰ったし、妹もいたっつぅの」


 猿川は「へぇ」とじろじろ見てきたが、「おれにゃ関係ねーか」とメガネをかけると位置調整を始める。でも拓海は「ずりぃぞ、おれも呼べよぅ」としつこい。



「呼んでもこなかったんだろ」

「もっと何度も呼べよぅ」


「うるせぇぞ、雉」猿川が怒鳴る。

「お前、ナギサに気があるらしいが、絶対ねーわ」


「何っ、意義アリだぞ! 何がねーっていうんですか」


 拓海は抗議したが、猿川のイラ立った視線を受け即座に下を向く。 


「あ、このズボン、ずいぶん古くなったなー。新しいの買おうかなー。モモゥ、どんなのがおすすめぇ?」


「桃田」


 猿川があごで店内を示した。見ると、ナギサがちょうどレジにいる。


「お前、ナギサと仲良くなりすぎるなよ」


「何だよ、いきなり」

「あ、それは賛成」


 拓海の挙手を無視して猿川は続ける。


「呪いをかけたやつがいる。そいつにとって都合の良い世界が、今のこの世界なわけだ。いいたいこと、わかるよな」


「……わかる」

「え、何が?」


 きょとんとする拓海に、「おめぇは何で雉だったんだろうな。邪魔だわ」と毒づく猿川。自転車のハンドルをつかみ、またがる。


「じゃあ、おれは祠を見てくるわ」

「でも、あそこは影が」


「わかってるよ。けどナギサは行きたがらねぇし、おれは祠が見たい。ってわけで、行く」


「ちょっ」

「ナギサから場所は聞いた」

「猿川っ」


 じゃーな、と猿川は自転車に乗り去っていく。


「あれ?」


 ナギサがコンビニから出てきた。


「修二くんは?」

「祠を見に行くって」


「うそっ、また影が出たらどうするの」

「さあ」


「あいつ、集団行動できないタイプだよね」と拓海。

「いいじゃん、ほっとこうよ」


 それより、とナギサに近づく。


「何を買ったのぉ」


 と、ぴく、と顔が引きつる。

 あの香りが漂ってきた。


「もしかして」

「ソフトキャンディとお茶。あとから揚げ買ったの。食べる?」

「あ、そーなのね」


 思わず吹き出す。とナギサは「え?」と当惑していた。

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