19 絵を描く妹、呪い、消えた彼女
「にいに、これなーんだ?」
妹が胸にかかげて見せた画用紙には、ドレスを着た女の子が描いてあった。ピンク色でスカートは三段フリルになっている。たぶん妹本人だろう。その隣には毛もじゃの謎の物体がいた。
「うーん、何だろうな」
とぼけると妹は「こっちはあたしー」と女の子を指さす。
「こっちはペットのわんちゃんだよー」
犬? モップ犬にしても毛もじゃがひどいと思ったが、おれは「上手いなー」と手を叩く。
「へへ、へーん」
妹はむんと胸を張る。それからまたリビングの床にうつぶせになると、新しい絵を描き始めた。ふんふんふーん、と鼻歌つきだ。
「あのさ」
おれは妹が上機嫌なのを見て質問した。
「この前、怖い夢を見たっていってただろ?」
妹は、ぴた、と手を止め顔を上げる。
「ゆめぇ?」
「鬼がどうとかいってなかったか? いや、忘れたんならいいよ、怖い夢なんだから」
「うーん」
眉根を寄せ、ぐりぐりと赤いクレヨンで渦巻模様を描いている。
「なんかねー、見たような気がするけど、わすれちゃった」
「そうか」
微笑を返す。妹も「うふふ」とはにかんで、また画用紙に戻って絵を描き始めた。その姿を眺めながら、おのずとため息が出る。
猿川との会話のあと、おれは拓海やなぎさが待つ教室には戻らなかった。猿川のほうも、「今あいつらと話すことはねぇ」と帰ったので、拓海たちには申し訳なく思う。でも。
――彼女がいただろう?
猿川がいったとき、すぐに否定した。事実……いや、実感として本当だ。だから戸惑うしかない。でも猿川は「そういうことか」とテンションが上がっていた。
「見つけて、とキジの顔して頼んできたのは、お前の彼女だ。でも呪いのせいで幻想街にいて、この現実にはいないことになってる。消えたんだ。この世界から、そしてお前の記憶からも」
でも猿川が覚えていた。桃田には彼女がいたことを。
「この呪いは完璧じゃねえ。現にお前の彼女は助けを求めてきているし、おれたちは共通の夢を見ることで、幻想街の存在を知った。記憶の改変にも気づいてる」
「あの夢はそういうことなのか?」
猿川は、そうに決まってる、とパシと手のひらに拳をぶつける。
「よっしゃ、すげぇはっきりしてきたな。お前の彼女を幻想街――つまり夢ん中で助け出せば全部解決だ。この狂った現実も戻る。おれの視力は回復するし、お前も彼女を取り戻す」
猿川は解決法がわかったとすっきりした表情をする。でもこっちはそんな気分にはならなかった。
「でも誰なんだ」
消えた彼女。でも全く記憶になく、猿川も「いたことは確かだけどなあ」と名前や容姿の特徴も覚えていなかった。
何が手掛かりはないかと携帯の画像やメッセージを確認したが、ピンとくるものはなかった。出てくるのはどうでもいいような空の画像や野良猫、花、食べ物、拓海のふざけた変顔ばかり。やり取りの記録も、家族と拓海のものばかりだった。
「お前、友達いねぇのな」
「たまたまだって。溜まるの好きじゃないからすぐ消すんだ」
「へぇ、そうか」
猿川は励ますように肩を叩いてくる。
「ま、どのみち、夢で彼女を探し出したらいいんだ。そしたら全部思い出す」
「そうなんだろうけど」
それでも帰宅すると、やっぱり何か見つけたいと、部屋中を探した。でも本棚を探り、机の引き出しをひっくり返しても、記憶を呼び覚ますようなものは見つからない。
呪いのせいで記憶がなくなっている。ここが、この世界が、呪いによって生み出された世界なら、その中で暮らす自分には彼女がいないことになっている。
でも向こうは覚えている。おれに「助けて」と訴えてきた。相手の記憶から存外が消えている、ってどういう気持ちだろう。この世界からも消えてしまって、彼女はひとりぼっちなんだ。
「……かわいそうに」
「にいに?」
ハッとして顔をあげると、妹が不思議そうに首を傾げていた。
「にいに、どこか痛いの?」
「え?」
「にいに、泣いちゃだめよ」
すくりと立ち上がる。
「いたいの、いたいの、とんでいけー」
頭をぐしゃぐしゃなでてくると、妹は全身を使って「とんでいけー」と腕を振る。自分が転びそうになり、「おっとと」と足踏みをして。その姿がおかしくて。
「かわいいな、お前は」
そう口にしていた。妹がぽっと顔を赤らめる。そんな妹を抱き寄せ、もう一度いった。
「かわいいな、**は」
……妹の名前を、このとき、口にしたはずで……。
でも、ふわ、と意識が遠のき――。
「にいに?」
妹がこて、と首を傾げている。床に寝転び、絵を描きながら、こちらを見上げている。
「ん?」
「にいにも、絵、かいてぇ」
「よし、じゃあ何、描こうかな」
そして一枚の画用紙に二人で犬の絵を描いた。妹は満足して、きゃっきゃ笑っていた。
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