18 二重の記憶、桃田の彼女

 猿川は説明した。


 本来の自分はメガネをしてなかった。

 高校には通っていたが男子校で、桃田――おれとはクラスメイトでもなんでもなかった、と。


「成績だって悪かったんだ。それが今じゃ、テストはすらすら解けるし、メガネがねぇと視界はぼやけるし。知らねえ高校に、毎朝電車乗ってチャリこいで坂あがって、授業出て塾まで行くんだ。わかるか、この苦痛が」


 猿川はメガネを振り回して怒鳴るように吐き捨てる。そして、すちゃっとメガネをかけた。


「メガネほど邪魔くせぇもんはねーな。裸眼が懐かしい」


「コンタクトにすれば?」


「ヤだよ。なんで眼球に異物なんか」


「そうか」


 小さくうなずくしかない。


 猿川は、

「あの夢じゃ、前みたいに見えるんだ」

 と鼻で笑う。

「体も軽いし。こっちだとうまく自分が出てこなくなる」


 猿川には二重の記憶があるという。真面目で成績優秀な自分と、それとは異なる生活を送る自分。本来の姿は、どちらなのか、彼はわかっているのだが、気を抜くと優等生でいる自分にとって代わりそうになると話す。


「あの夢がなかったら、本当の記憶は、もうなくなってたかもな、って。お前は、ナギサのこと以外に、記憶が狂ってることはないのか」


「そうだな……髪と、あと苗字」


「苗字?」

「キノジョウじゃなくて、ナギサだった気がして」


 猿川もピンとくるかと期待して反応を見たが、彼は「は?」とたずねてくる。


「ナギサが名前だろ?」

「いや、いいんだ。それより髪型が気になる。長すぎる気がして」


「だろ。けどナギサは、『髪は切った』って言い張るんだ。あいつの記憶が正しいのか、それともこっちが間違ってるのか。おれは、二対一で、ナギサの記憶が書き換えられてるんだと思ってる」


「記憶を書き換える?」

「そうだ。誰かがいじってんだ、この中を」


 猿川は頭をこつんと叩いた。


「誰が何の目的でそんなことをするんだ」


「わかんねー。でも見たろ? さっきもそうだったように、重要だと思う記憶は消される。ナギサの髪型を、おれは猿だって話をしてたんだろ?」


「そうだよ。そのあと何か話そうとして」


「そこだよ、何をいいかけたか。でもそいつは消された。今は何をいおうとしてたかも思い出せない……いや、待て」


 猿川の表情が明るくなる。


「思い出した。あいつ、いったんだよ。髪を切ったのは、彼氏の好みだからって。だからよ、『そんな猿みてぇなの、誰が好きになるんだ』って笑ったら、すっげぇ、怒ってさ。だから長かったのか、元々は……いや、だから、あれ? 中学の時の話だっけかな」


「ナギサの話をしてるんだよな?」


 彼氏の好み、てフレーズが気になってしまったんだが……。


「髪の話だろ?」


 猿川は記憶をたどるように目を細める。


「今、パッと浮かんだ光景があんだよ。家の近くでばったりあいつと会って、髪見て引いて。また虐められて切ったのかと思ったんだ。で、どうした、って聞いたら……うん、思い出してる。この記憶は本来のおれが持つやつだ。感覚でわかる」


 猿川は、「やっぱ、記憶が二重にあんだよ」とうなずく。


「お前もそうだってんなら、より確信が持てた。桃田、夢だけじゃねぇ」


 親指で地面を示す。


「こっちの世界も普通じゃねぇ。誰かに現実がいじられてんだ」


「記憶だけじゃなく、てことか?」


「ああ。だってよ、おれは裸眼で平気だったんだ。おかしぃじゃねぇか」


 よほどメガネが苦痛らしく、外すと目をぐりぐりこすっている。


 この世界は普通じゃない。

 確かに違和感がある。


 でもおれはナギサの髪型と苗字以外、違和感を抱いたことはない。猿川の本来の姿というのも、愛想なくとも黙々と勉学に励んでいた頃の姿が印象に残っている。


 でも。


 今話している猿川が、無理をして自分を偽っているとは思えない。彼自身が説明するように、こちらが本来の姿なのだろう。


 顔をしかめながら話を聞いていると、猿川は、「あの街が関係してるはずだ」と身を乗り出した。


「同じ夢を見るなんて普通じゃないからな。そこに何かヒントがあるはずだ。おれたちの共通点は『桃太郎』だとわかってる。だから、鬼退治すりゃ、こっちの違和感も解決すると思うんだ」


「鬼退治するって、影を倒すのか?」

「あの影は鬼だし、退治できるからな」


 あのな、と猿川は饒舌になっていく。


「夢の街で鬼退治するだろ。そうすることで、この世界をもとに戻すんだ。ナギサは短髪猿だし、おれは男子校に通ってて、お前とは接点なんてねぇ。こうして中庭で話すなんてこと、本当ならあり得ねぇんだよ」


「でも」


「そういう現実があったんだよ、桃田。おれは自分の記憶を信じる。この世界から抜け出す。そのためには鬼退治だ、ちがうのか?」


「ナギサと拓海は? あの二人にも二重の記憶があるのか? そんな話、聞いてないけど」


「ナギサは完全にこっちの世界に染まってんだろ。何も違和感ねぇみてぇだ」


「だったら」


「でもお前は違和感あんだろ? 桃太郎、しっかりしろよ。絶対、何かあるんだ。何度も何度も同じ夢を見る。その原因がこの現実の違和感と関係してるんだ」


「猿川はいつも戦ってたのか? あの影と毎回?」


「そうだ。最初はあいつらにすぐ捕まった。そうすると目が覚める。繰り返しているうちに、わかったんだ。あいつらに取り込まれると、ジ・エンド、夢は強制終了する」


 強制終了――つまり、目が覚める。


 猿川は強制終了するなら、影にとって自分は邪魔者、街にいてほしくない存在なんだと考えた。では、なぜ邪魔者なのか。あの街には何かあるんじゃないか。


「古いアパートの中で服や手袋、それからブーツを見つけた。こりゃ装備がそろったと思ったね。で、効果ありだ。時間稼ぎに成功した。それからは移動距離が増えて、影をまく方法も見つけた。アーケードの商店街に、交差点、駅前まで進めたのはつい最近だ」


 猿川は現実の違和感を解くカギがあると信じて、ひとり奮闘していたようだ。


 お前は夢で何してたんだ、と聞いてくるので、おれはただ誰かを探しながら走ってた、と説明した。


 そして、その「誰か」が、誰なのか。

 わかった気がする、と。


 昨日、階段から落ちたあとのことを、猿川に話した。出てきた相手が拓海だったことは伏せようとしたが、ごまかそうとしたのがバレて、「詳しく話せ」と怒鳴るので、キスのことまで話してしまった。


「つまり、雉島きじしまの口を借りて、そいつはお前に助けを求めたんだな。夢に出てくる場所は幻想街で、そこに閉じ込められていると。鬼影おにかげだな? 鬼影の呪いのせいで、あの街ができた、って」


「ああ、そうだよ。でも拓海は何も覚えていないのか、今日会っても何もいってこない。だから拓海に化けてたのかも。この話、まだ猿川にしかしてないから」


「そうか。まあすぐに共有しなくてもいいだろう。あいつら、こっちの世界に文句ねぇみてぇだし。おれたちとはちがう」


 と猿川は真剣だった表情を軽く砕けさせる。


「ところで、あいつらデキてんのか?」

「あいつらって?」


「キジとナギサだよ。ずいぶん仲が良さそうじゃねーか。いまも二人で何やってるか」


 意味ありげに眉をあげる。


「バカバカしい」

 口調が荒くなってしまった。

「あの二人は仲良くない。拓海が一方的に好きなだけだ。ナギサは拓海のことなんて、どうも思ってないだろ」


「わかんねぇよ」猿川は笑う。


「同じ夢を見てて、しかも怖い夢だってんだ。ナギサはいつも夢だと逃げてるか誰かから隠れようとしてるって、全然楽しそうじゃなかったからな。吊り橋効果ってあんじゃん。キジとは合流できてるみてぇだし、近々くっつくんじゃねぇの。お前、賭けるか?」


「興味ない」


「なんだよ、ノリがわりーな」


「あのな」


 猿川のにやけ顔に、腹が立って声が大きくなる。


「だいたい、おれたちだって同じ夢を見てるだろ。条件が同じなのに、なんでナギサと拓海が」


「お前さ」


 猿川は急に真剣な口調になると、探るようにこちらを見てくる。


「もしかして、ナギサが好きなのか?」


「ど、どうしてそうなるんだよ」


 声がひっくり返る。ごほ、と咳をした。


「あり得ないって話をしてるんだ。あのな、拓海はついこの間まで好きな相手がいて、しつこく付きまとってたんだぞ。そういうやつなんだって」


 早口にまくしたてたが、猿川はべつのことを考えているのか、視線を上向け、首をひねっている。


 それから、じっと目を合わせてきた。


「桃田、お前さ」

「なんだよ」

「彼女いたよな?」

「はい?」


「彼女だよ、カ、ノ、ジョ。別れた?」


 ぶわっ、体温が上がってしまった。


「だっ、誰と勘違いしてんだ。彼女なんていたことないって」


「本当か?」


「本当だって。誰とも付き合ったことないっ」


 なぜこんなセリフを叫んでんだか。

 かっかしながらも脱力するが。猿川はまだ不思議そうに首を傾げている。


「そうだっけか?」


 納得がいかないらしく、ぶつぶついっていたが、突然、はっと目を見開いて叫んだ。


「そうか。その記憶も消えてんのか!」

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