2幕
17 猿川の性格、視力、メガネ
翌朝、駐輪場で拓海と顔を合わせた。
第一声が、「お前、大丈夫か?」だったので、あの血だらけの光景が脳裏をよぎり、どきりとする。
でも、「猿川から聞いたけど」と拓海が続けたので緊張が解けた。
「モモ、階段から落ちたんだろ? 何があったんだ?」
「目が覚めただけ。それより、猿川と向こうで合流できたってことか?」
聞けば、拓海、ナギサ、猿川は、公園で顔を合わせたという。だが言葉を交わそうとした瞬間、拓海は目が覚めたようだ。
「合流を嫌がってるやつがいるのかもな」
拓海は寝癖のついた髪をかき乱す。
「何かあるんだよな、あの夢って。視線を感じるっていうか、監視されてるような気がしてさ」
拓海もか。おれも感じていた。やっぱり、あの夢は普通の夢なんかじゃない。何者かが意図しておれたちを呼び集めている。
猿川は「桃太郎」がカギだと思っていたようだが……。と、ナギサと猿川が自転車を押して駐輪場に続く坂を上がってきた。
「おはよう」
明るく手を振るナギサ。その横で猿川は、盛大にあくびをしている。
「猿川」
声をかけると、猿川は露骨に迷惑そうな顔をした。
「ねみぃ」
「え?」
「話しかけんな、うるせぇ」
またあくびをしている。乱雑に駐輪スペースに自転車を押し込むと、猿川は背を向けて行ってしまった。
「なんだ、あいつ」
「態度わるっ」
おれと拓海の不平に、ナギサは肩をすくめる。
「いつもあんなだよ。ずっと不機嫌」
教室でも猿川の機嫌は悪かった。話しかけようと思うのだが、拒絶のどす黒いオーラが立ち上る背を見ていると喉元まで出ていた言葉も逃げ出してしまう。
「先生にも態度悪かったもんな、あいつ」
昼休み、机に突っ伏して寝ている猿川を見やりながら拓海がいう。
昼に猿川を誘うかどうかで、おれたちは教室の後ろで躊躇していた。
「でも頭良いから許されんだ。見たろ、先生の反応。へらへらして。おれだったら、教科書でブッ叩かれてるよ。不公平だよな」
拓海がぼやくと、猿川の背がむくりと動く。
「やべ」
拓海は素早くおれの背に隠れる。が、猿川は伸びをしただけで、再び寝始めた。
「あの猿、おどかしやがって」
「お前なぁ」
「あいつ、性格変わったよな」
拓海がささやく。
「だな」
猿川は、クラスメイトに愛想がなくても、もっと真面目な生徒だった。
それが二学期になると、授業には出ているが教科書も出さず寝るか、窓のほうを向いて頬杖をつくか。どの教科の先生も戸惑いが隠せないようだった。
入学早々、次、生徒会長になるのは猿川だ、なんて噂のあった秀才が、夏休みの間にすっかり様変わりしている。
もしかして、あの夢の影響だろうか。夢とはいえ、影を殴ったり蹴ったりを繰り返していたなら、ひと夏で性格が粗暴になっても理解できそうな気がする。
結局、おれたちは猿川を昼に誘うのはやめ、中庭に下りていくことにした。
拓海がナギサを誘おうとしつこく粘ったが断固拒否した。彼氏でもない、他クラスの男子とそうたびたび昼を食べたってナギサも面白くないだろう。変な噂でも広まったら、それこそ迷惑がかかる。
拓海は弁当、おれは総菜パンをかじって腹を満たした。あの血だらけの姿が、白米を頬張る拓海と重なり、食欲が失せていく。
あの夢の内容を話すべきかどうか。拓海を見ているかぎり、普段と変わりなかった。
あの出来事は何だったのか。気になるけれど、どう話を切り出せばいいのかわからなかった。お前血を噴き出して、とか、キスしてきて、とか。……話題にしにくい。
で悩んでしまい、猿川の異変ばかり話題にして昼休みは終わってしまった。それでも、放課後、一度、四人で話し合おうということになり、拓海はナギサを呼びに、おれは午後から姿が見えなくなっている猿川を探しに教室を出た。
学校を出たんじゃ、と思った猿川だが、中庭で見つけた。植木の裏で、腕を頭の下に敷いて警戒心ゼロで寝ている。
「猿川。おーい、猿川」
そっと声をかける。軽く腕をつつくと、猿川は片目を開けた。
「桃田か」
「うん。あのさ」
「ハァ、やっと来たか」
「やっと、て。待ってたみたいな言い草だな」
猿川は、のそり、と上体を起こした。
「そりゃあ、話あんだろうと思ってたからな。朝からちらちらこっち見てたろ、お前ら。で、ひとりか。雉島は?」
「拓海はナギサを呼びに行った。教室に集まって四人で話そうと思って」
「ふーん」
猿川が立つ素振りを見せないので、おれも腰を下ろした。猿川は肩を回しながら――ボキボキ鳴っている――あごをしゃくる。
「お前、おれに聞きたいこと、あんじゃねーの」
「聞きたいこと?」
「向こうで落ちる前に、何かいってたろ」
一瞬、首を傾げかけたが、ああ、と思い出す。
「ナギサの髪型か」
「そういうこと」
猿川はあぐらをかくと、自分の髪をつつく。
「あいつ、おれの記憶でも短髪だった」
「やっぱり!」
違和感を抱いていたのは、自分だけじゃなかった。嬉しくなって、はしゃぎそうになったが、次の言葉で喜びも弾けた。
「もっと猿みてぇな」
「猿はないだろ、猿は。女子に向かって」
むっとくる。ナギサを猿なんて。だいたい、猿はお前だろ、そういいそうになったが、目つきの鋭さに黙る。
「女子だろうがなんだろうが、猿は猿だろ。すっげぇ、へんちくりんだったんだよ。何でそんなに切ったんだ、って聞いたら、あいつ、お前が――」
と、猿川は、ふわ、とのけぞり、目を瞬く。
「猿川?」
「おい。おれ、いま何の話してた?」
「え、何の話って。ナギサの髪型のことだろ。夏前はもっと短くて」
「あ、ああ。そうだった」
猿川はメガネを外して顔をこすった。
「ちっ。また記憶が飛んだ」
「記憶が飛ぶ?」
「あるだろ、お前も」
真剣な眼差しを向けられて、反射的に「ある、かも」と答えていた。
「だろ? その時消えた記憶が重要なんだ。今はナギサの話をしてたな」
「ああ。お前が猿みたいだって」
「猿ってなんだよ。お前、おれのことなめてんのか」
荒ぶるので、慌てて否定する。
「ちがうって。ナギサは猿みてぇ髪してた、ってお前が。そのあと何かいいかけてたけど」
「何かって何だ」
「わかんねーよ、そんなの。自分のことだろ」
猿川はむっつり口を閉じる。しばらくしかめっ面をしていたが、舌打ちすると、メガネをかけなおす。
「目も悪いんだ、腹立つことに」
「頭は良いじゃないか」
つい反応すると、「あ?」とすごんでくる。
「怒るなよ、ほめたのに」
「ちげぇ。頭は悪かったんだ、おれ」
「じゃ、じゃあ、努力したんだ、な?」
戸惑いながら返すと、猿川は「はあぁ」と長く息を吐きだして、「下手な説明だけど、聞くか?」と目をのぞきこんできた。
「何だからわかんないけど、聞く」
「じゃ、聞け」
猿川はうなずくと、「おれたちには、二重の記憶があるだろう?」と切り出した。
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