15 影の正体、苗字が示すもの
「お、鬼ぃ?」
素っ頓狂な声が出る。猿川は、「ツノがあるだろ」とうごめいている影の集団を示す。
どうやらこの階段あたりまで来ると、縄張りの外になるのか、影はあまり積極的には攻撃してこなくなっていた。
壁際で伸びたり縮んだりして、こちらを見ているようすだ。その影をよく見ると、確かに頭の部分に一本や二本のツノらしき突起が生えている。
「ツノが一本と二本で何か違うのか? 二本のほうが強い?」
ふと疑問に思ってたずねると、猿川は明らかにバカにした顔で見てくる。
「知るかよ。自分で確かめたらどうだ、桃太郎」
前に押し出そうとするので、慌てて横に飛びのく。
「や、やめろよ」
ち、と舌打ちする猿川。見下してくる視線が痛い。と、様子見だった影の集団が、やっぱり襲ってみよう、といわんばかりに一挙に突撃してくる。
猿川はかったるそうにマントを拾いあげると、網漁でもする要領でマントを投げた。影の集団にヒットして、またシュウウと音を立てて消えていく。
「全部倒せたのか?」
「いや、またわいてくる。だから、早く行けよ、桃太郎。階段が怖いわけじゃないよな」
「行けばいいんだろ、行けば」
そう答えたものの、地の底まで続いていそうな長い階段を前に、恐怖心が全くないわけじゃない。
奇妙なことに、この場所からだと、眼下にあったはずの街が見当たらない。路地裏を右に左に移動したので、出た方角が違うのかもしれないが、それにしたって、ぽっかりした空間に階段だけ伸びている光景は異質だ。
この下に商店街があるなんて。でも夢の中なのだ。異質で当然、もう行くしかない。
猿川に蹴り出される前に、おれは階段に踏み出した。傾斜がきつくて踏み外しそうになる。それでも徐々に慣れてきたので、二段三段と段差を増やしながら飛び降りるようにして進んでいると、すぐ横をぶんと風を切って飛んでいく猿川が視界に入る。
「遅い」
猿川は、十数段ごとに跳んで進んでいく。まるでバッタだ。ぐんぐん姿が小さくなり遠ざかっていく。
「お、おい、待てよ」
思い切って自分も強くジャンプしてみた。爪先が着地する瞬間に、またぐっと踏み込んで跳びあがる。下っ腹がふわっとなるが、風を切る感覚は楽しかった。
「猿川、あのさ」
かなり跳びまくってやっと追いつく。でも、まだまだ階段は下に伸びている。
「お前、この夢に詳しいのか?」
「お前よりは詳しそうだ」
猿川は涼しい顔で軽く蹴ると、十メートルは先まで跳んでいった。こっちは全身を使ってジャンプする。それでも、猿川の半分の距離しか移動できない。彼のペースに合わせるには、常にぴょんぴょんしてないと無理だった。
「おい、猿川。ちょっとペース落としてくれよ」
猿川は「あ?」と低い声で振り向く。怖い顔。でも、おれが追いつくまでその場に動かずにいてくれた。
「ごめん、コツがわかんなくて」
「コツなんかねえ」
「あ、あのさ、猿川」
「なんだよ」
猿川はまた進み始めた。でも鬱陶しそうな顔ながら、こっちのペースに合わせて階段を跳んでいく。
元々話しかけにくいタイプの秀才だと思っていたが、今は完全に近づきたくないタイプの不良みたいだった。影を蹴散らす姿もさまになっていて、こいつの裏の顔を見てしまったのかもしれない。
「猿川はナギサ、……
「仲良いわけじゃなく、家が近所なだけ」
「でも幼馴染だって」
「はあ?」
「にらむなよ……。あの、メモ。本屋に書いてただろ。どうしておれたちの計画がわかったんだ?」
「寝てたんだよ、植木の裏で。そうしたら、お前らが来てベラベラベラベラ。で、移動しようとしたら、夢の話、お前らし始めただろ?」
まさか、すぐそばに人がいたとは思わなかった。しかも寝てる猿川なんて……。
「なんか、その夢、既視感っつぅの? あったからさ。だから、試しに本屋行ったら、あるじゃん、メモが」
「だから、『お前らも』って書いたのか?」
「ああ。で、ナギサが声かけてきて。集合するのは面白れぇと思った。あいつ、あの、うるせぇ奴、
「拓海? そうだよ。
「で、メンバー勢ぞろいだよな」
「メンバー?」
「桃太郎だ」
猿川は、移動する速度を落とした。十段から三段飛ばしに変わる。階段は徐々に先細りして、幅も狭くなってきた。
「桃田。お前、気づいてないのか?」
「何が?」
猿川は顔をしかめる。
「マジかよ。お前、アホだろ」
「そ、そりゃあ、秀才のお前からしたらアホだろうけど……」
猿川は、盛大なため息をつく。
「お前は」こっちを指さしてくる。
「桃田で桃太郎。おれは猿川で猿、雉島は雉。ナギサは犬かと思えば鬼だけどな」
「苗字? だから同じ夢を見てるとでも?」
笑ってしまったが、猿川は真剣な顔をしている。
「たぶん犬っころもいるぞ。お前、犬がつくやつを知ってるか?」
「いや、知らないな。クラスにはいない……」
すぐそう答えたが、ふっと何か心当たりがあるような気がしてきて、口をつぐむ。
「どうした」
「あ、いや……、誰かいたような気がして」
「犬か」
「うん、でもやっぱり知らないかな」
「何だよ、お前は桃太郎だろ。キビ団子持って犬探して来いよ」
「そんなこと、言われても」
「あっそ」
はっ、と息を吐きだすと、猿川は、黒の皮手袋を外して、脇に投げ捨てる。気づけば、階段だけがこの場に存在していて、両側は谷底のように真っ暗だ。
「いいのか、捨てて」
なんとなく影との戦いぶりから、あの手袋とブーツ、それにマントは重要装備な気がしていた。
素手だとたぶん当たった瞬間に何らかのダメージ――強制終了だっけ―――があるはずだ。周りをかすめた程度でも、冷やり肌をなでるような不気味な感覚があったから。
でも猿川は、「もう鬼は追ってこねーよ。それよりムレんだよ、コイツ。手が臭くなる」と舌打ちする。
「毎回、こっち来たら、全部、戻ってるしな。標準装備ってやつ。一度、見つけてからは、ずっとあるんだ。お前は何か見つけてないのかよ。丸腰の桃太郎なんてあり得ないだろ」
「あり得るも何も」
ちょっと腹が立った。桃太郎、桃太郎って、何なんだよ。だから、つい声がとがったが、ぎろりとした目で見られて、もごもごとトーンダウンする。
「いつもは、その、街にいるんだ。こっちじゃなくて駅前とかアーケードとか。それに、あの影は初めて見た。鬼なんだろ?」
思い出しただけでも、ぞっとする。気味の悪い影だった。それを装備ありだとしても、殴る蹴るで応戦した猿川は、相当肝が据わっている。
「鬼だと思ってる」と猿川。
「正確には知らねぇよ、ガイドブックがあるわけじねぇし。推測だよ、推測。ツノがあって桃太郎がらみの奴が街にいるとなりゃ、アレは鬼だと思っただけだ」
「桃太郎か」
変な感じもするが、他に共通点だってない。同じ夢を見ているおれたちには、苗字に「桃・猿・雉・鬼」がつく。
「猿川」
「なんだ」
立ち止まってしまった。猿川は進みかけたが、少し下がった位置で止まって、こっちを見上げる。
「お前、ナギサと幼馴染なら、よく知ってるよな?」
「知ってるって、何が」
鋭い眼光に、ひるんでしまうが、どうしても確かめたくて質問を続ける。
「髪型だよ。ナギサって、もっとその……ショートじゃなかったか。いつの間に、あんなに長く……」
「あぁ、何だ」
猿川は最後まで聞かずに答える。
「そのことか。お前、やっぱ鈍いよな」
「え」
ガタッ、と段差が動いた。はっとした瞬間には、眼前に猿川が履くブーツの先があった。
「桃田!」
猿川がひざをついて手を伸ばす。さっきまでおれが立っていた場所が崩れてなくなっていた。猿川が叫んでいる。落ちていく。どこまでも……。そして突然、真っ暗になった。夢が終わった、そう思った。
でも、ちがった。
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