5 夏祭り、浴衣、たこ焼き
八月の半ば頃のことだ。
夏祭りに行ったおれと拓海は、三十分もしないうちに混雑のなか互いを見失った。携帯で連絡を取り合うが、いっこうに合流できない。
もういいや、と「帰る」と送って、本当に家に帰ろうとした。と、誰かが転ぶ音とキャッの声がして視線をやった。
そのとき、転んでいたのがナギサだった。石畳にしりもちをついている浴衣姿の女子がいて、二十代くらいの男が三人、その子を見下ろしている。
ガラの悪い男たちだった。派手な髪色に銀色のピアスが行燈の下でぎらついている。彼らにぶつかって転倒したのだろう。
彼女は転倒の衝撃で、すぐには立ち上がれそうになく、浴衣がはだけて素足がかなり見えている。
誰かがその子を助け起こすか、声をかけるかしていれば、そのまま背を向けて家に帰った。周りには人がたくさんいたんだから。
でも視界の端で、誰も彼女を助けようとしていないのに気づいてしまい、おれはくるりと方向転換した。
「大丈夫」と、わざと大きな声で呼びかける。彼女と、彼女を囲んで見下ろしていた彼らの視線が自分に向く。
「立てる?」
「あ、うん」
こくんとうなずく浴衣女子に、手をかしながら、男らのほうを見る。突っかかって来そうな顔をしていたが、彼女の肘をつかんで、路の端に寄ろうとしているうちに、見たらもうそばにはいなくなっていた。
からまれたらどうしようと、正直焦っていたので助かった。浴衣女子も緊張が解けたのか、大きく息を吐いている。
「ありがとう。あの」
彼女はおれを見て、驚いたように目が開く。黙って見つめてくるので気まずくなった。人波の邪魔になりそうだったので移動する。彼女もあとについてくる。
屋台が並ぶ通りを眺める位置まで来て止まる。行燈の灯りが届くか届かないくらいで薄暗いが祭りの喧騒は感じられる場所だ。
彼女は、ぱたぱたと浴衣を払い、襟やすそを引いて着崩れを直し始める。視線を屋台に向けておくが、なんとなく気恥ずかしくなった。
「あ、あの、本当にありがとう。ともだちと来たんだけど、はぐれちゃって」
屋台から彼女へ視線を戻すと、暗がりでもわかるほど動揺した表情をする。なんだろうと首を傾げると、「あ、ありがとう」とまた頭を下げてくる。
「べつに。それより怪我したんじゃない? 結構な音してたよ。ばちーん、て」
「そうか、かな。あんまり、今は、痛くない気がす、します」
「そう。なら受け身がよかったんだろうね」
「えっ、う、うけ?」
会話が弾む気配がなく。
変な間が開く。
「あのさ」
「ひゃいっ」
跳びあがって反応するので、こっちもびくっとなる。
「いやあのー、たこ焼き食う? 帰って食べようと思ったのがあるんだけど」
提げていたビニール袋を軽くあげて見せ、返事を待たずパックを出して輪ゴムを外した。
甘辛い匂いが鼻孔をくすぐる。拓海と屋台食べまくりを計画していたので、実は昼前から何も食べてなかった。
「まだ熱いかも。さっき買ったばかりだから」
端に刺さっていた楊枝を抜き、渡そうとしたところで、彼女が手に取る気配がまったくないのに気づいた。焦る。
「あ、いらないよね」
苦笑して気まずさをごまかそうとしたが、彼女が下ばかり見ているのが気になった。やっぱり派手に転倒していたし、どこか痛くなってきたのかも。
かがんで表情をうかがおうとすると、彼女は首をすくめてぐらつく。悪いことしたと慌てて、背筋を伸ばした。
「ごめん、図々しくて」
「い、いります。食べます、たこ焼き」
ぴっと手が伸びるので、「どうぞ」と楊枝を渡す。
たこ焼きは罰ゲームみたいに熱々だった。半分ずつ食べながら、二人ともともだちと祭りに来て見失った、という悲しい境遇を打ち明ける。
「浴衣まで着て張り切ってたのに、みんないなくなるし、怖い人にぶつかって転ぶし。もう泣きそうだった」
「あとたこ焼き食えっていってくる奴にもあうし?」
「それは良かったこと」
素直な笑顔を見せられてまごつく。たこ焼きはどんどん減っていき、最後のひとつになる。さて、ここからどう行動すべきなのか。
誘って屋台をめぐるか、見失ったともだちを一緒に探してあげるべきか。それとも、さっさと解散して何事もなかったかのように、帰路につこうか。
わざと飲み込まずにいるタコを咬みながら迷っていると、彼女が声をあげた。
「あ、見つけた」
指さしている方向を見ると、浴衣女子が数人いる。困り顔で周囲を見ていたが、隣にいる彼女が「おーい」と呼びかけると笑顔になり、手を振りあう。
「じゃ、じゃあ……、ありがとう。またね」
彼女はせわしなく頭を下げると、ともだちのほうへ走っていく。輪に戻った彼女を迎える浴衣女子たち。何やらどつきあいが始まりからかわれている。
ともかく、向こうは集合できたのだ。こっちの集合はあきらめ、家路につくことにする。
……と、そんなことがあった。
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