10 本屋、実験、名前
――夢の中だ。
おれはアーケード下で立ち止まっていた。いつもは闇雲に走り続ける夢も、強くべつの目的を意識したら、わりと簡単にコントロールできた。
時刻は夕方ごろだろう。
商店街には人通りがあり、どこかで見たことあるような人たちが歩いている。
幼い子の手を引く女性、カートを押して歩くおばあさん、チワワを散歩しているおじさんと、携帯をいじりながら歩く茶髪とギャルのカップルが、横を通り、アーケードから陽の下へ出て行く。
ここが夢の中だとわかるのは、自意識があるからだけ。とても平凡な光景に、現実ではないかと錯覚する。
毎回アーケード下に入ると薄暗く、夜がうごめくような不気味さがあるのだが、今は暗幕を払いのけたかのように明るく、妖しく影めく気配は感じなくなっている。
感情の変化からそうくるのか。誰かを探し求める焦りと、飢餓に似た絶望は、仄暗く胸の奥底にあるが、今日はある目的があるため、そちらに気が向いて高揚している。
ナギサが話していた本屋は、商店街の中ほどにあるはずだ。誰かを探しながら走っているとき、看板を見かけたような気がする。ナギサによると、商店街にある本屋は一軒だけだから、迷うことないそうだ。
本当に同じ夢を見ているのか。ナギサが考えた方法は簡単だった。でも実現したら、ぞっとすると同時に、つまらない現実が愉快なものへと一変する。
本屋は書籍だけじゃなく文具もあるそうだ。そこにある試し書きのペーパーに、名前を書いてくる。本当に同じ夢を見てるなら、誰かの名前があるだろう。もしくは自分が書いた名前を他の二人が見つける。
見失いかけたが、本屋はあった。カラオケ店の大きな看板の裏にあるガラス張りの店舗は小さく、流行のアニメや漫画のポスターがたくさん貼ってある。念のため、アーケード端まで行って往復したが、ナギサのいうように、本屋はこの一軒しかなかった。
「ここか」
ぞわっと期待に心が騒ぐ。
表から見ると、店は横にガラス戸四枚分あるくらいだったが、ドアを手前に引いて中に入ると、奥に長く、思ったよりも広い。軽やかなアイドル曲が流れている。
文房具があるコーナーは右奥だった。ボールペンが並ぶ棚が見える。はやる気持ちに胸が痛くなり、ふっ、と息をひとつつく。
付箋型の試し書きのペーパーが、マーカーやボールペンが差さる棚の前に、ひとつだけあった。ギザギザやクルクルとインクを試したあとが一番上に書いてある。それだけ。
落胆と苦笑交じりの息を吐き、黒のボールペンを取ってページをめくった。
おれが一番に来たという可能性もある。名前を書こう。そう思ってペン先を乗せたところ、下に透けて見える文字に目を細める。数枚、紙をめくる。ラメ入りのピンクの文字だ。
『ここに来た。N。一番乗り?』
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