8 部活、ペットボトル、あの街の夢を……。

「好きな人もいないよー」


 明るい声のナギサ。視線を感じた気がして顔をあげたが、彼女は拓海のほうを見ている。


「ほ、ほんとにぃー」


 裏返った声を出して乙女みたいにぐうの手を胸に当てている拓海。ぱちぱちと大きくまばたきまでしている。


「あー、そうだね。いいなー、って思う人はいるかなぁ」

「えー、そうなのぅ。それって、もしかしてぇ」


 拓海は、もじもじと体を揺らす。ナギサは、わかっているくせに、とぼけている。ちらちらと今度こそ意味ありげな視線を確かに受ける。救助要請かな。


「拓海。ナギサが困ってる」


 くねくねしていた拓海は、目を見開いて背筋をぴんと伸ばした。


「えぇっ、ごめん。困ってた?」

「うーん、ちょっと」


 ナギサは苦笑すると、大きく安堵の息をついている。


「そうだっ。午後からもテストだね。明日から授業もびっしり。二人とも部活入ってる?」 


 必死に話題を変えようとしている姿に、思わず吹き出してしまった。ナギサがむっとした顔をする


「あー、部活か」おれは頬をかき、

「……なんだっけ」戸惑う。


「おいおい、モモは自分が入ってる部活がわかんねぇのかよ」


 拓海があきれている。


「おれらはどっちも部活は――」

「あ、美術部だっけ」

「え?」


 拓海がナギサを驚きの目で見る。


「あれ、ちがう? コンクールに出してなかった?」


「コンクールぅ?」

 拓海が訝るが、

「出した」

 おれはうなずく。


「中学の時。冬に出して、賞もらったのは夏前。絵、どっかに飾るって」


「わたし、見たよ。美術室前にある掲示板にあった。たしか小さい子が……」


 ナギサは、一点を見つめると急に口をつぐむ。


「ナギサ?」


「おれたちは帰宅部」拓海がいう。

「ナギサちゃんは?」


「わたし?」

 ハッ、と顔をあげるナギサ。

「わたしは、わたし……帰宅部なのかな」


「なんだよ二人とも。夏ボケかー?」


 拓海が笑うが、ナギサとおれの眉間には皴がよる。


「なんか」

「うん、頭の中がもやもやして」


 二人して考え込むように黙っていると、拓海が勢いよく立ちあがって吠える。


「やめろよ、仲良しアピールはうんざりだってんだ」


「拓海?」


「お前、おれをからかってんだろ。だいたいな、ボトルを二本買うから、おれにくれんのかと思ったら、ナギサちゃんに『どうぞ♡』だとぉ? このっ、エロももピンクマン! 成敗してやる」


「何怒ってんだよ。欲しかったんなら自分で買えばよかっただろ」


「そういう話じゃない」


「あの、飲む?」


 ナギサが未開封の紅茶ボトルを差し出す。


「ちーがーう」じたばたする拓海。


「なんか、今日のモモ、変っ。すっげー、変」

「変ってなんだよ。変なのはお前だろ」


 拓海はジト目で見てくる。


「お前、本当にナギサちゃんと付き合ってないんだよな。応援するっていったよな!」


「応援?」とナギサ。

「いやその」


 拓海にアイコンタクトで黙るよう伝えようとしたが、ふんすふんすと鼻息荒く怒ってばかりいて通じない。


「モモ、隠し事してるだろ。吐け、コソコソはゴキブリだけが許される行為だといったろーがっ」


「隠し事なんて」


 と、脳裏に映像がよぎる。誰かがいる。ショートカットの女子だ。笑っている。夏だ。『秘密にしよう』。そう彼女がいうから。だから、おれは……。


「モモ」


 ぱちんっ、と光が弾けた。ナギサが心配そうにこっちを見ている。彼女の隣には拓海がいて、弁当を頬張っていた。


「お前、どうした?」

「え?」

「お前、ぼけぇ、として。昼の時間なくなるぞ?」

「あ、ああ」


 手には紅茶のペットボトルがある。キャップをひねるとカチと音がする。


「わたし、ツナ好きなんだ」


 ナギサがサンドイッチにぱくついている。具はツナだ。傍らには緑茶のペットボトルがあって、半分ほど飲んでいる。


「そうだ、拓海くん。お茶、買ってくれてありがとう」

「いやいや。お気に召してなによりです」


「二人はテストどうだった?」

「ダメだね」と拓海。

「名前はきっちり書いたけど」

「なぁにそれ。拓海くん面白いね」

「いやあ、それほどでもありますかねぇ」


 二人の会話を聞きながら、ボトルにくちをつける。よく冷えた紅茶が、いつもより苦く、何かが体から消えたように感じる。


「モモはテストどうだった?」


 ナギサが聞いてくる。


「まあ、そこそこ。次の英語が問題かな」

「わたしも英語苦手。興味あるんだけど、頭に入ってこないんだ」


「へえ、そうなんだ。ナギサちゃんって何が得意科目?」

「うーん、国語かな。現代文だけど」

「あっ、ミートゥ!」


 拓海がきゃっきゃしている。こいつに得意科目があったことが驚きだ。


「食べたら眠くなってきた。テスト中、寝ちゃうかも」


 ツナサンドを食べ終わったナギサは軽く伸びする。


「きのう遅くまで勉強してた?」と拓海。


「ううん。そうじゃなくて」


 ナギサは言いにくそうに眉を下げる。


「毎晩ね。何だか不思議な夢を見るんだ。それで起きても目覚めでもう疲れちゃって」


「寝て疲れるとか最悪じゃぁん」

 拓海が騒ぐ。

「そうだよね」

 笑うナギサ。


「でも面白いんだよ。面白いっていうか、本当は不気味なんだけど。いつも同じ街が出てくるの」


「ほお、同じ街ですか」


 拓海は腕組みすると大きくうなずいている。……同じ夢、か。みんな似たような夢を見るものなんだろうか、と考えていると。


「同じ街の夢なら、おれも見てるな」

 拓海がいった。

「場所はまちまちだけど。全体の舞台っていうの? そういうのはいつも同じだ」


「拓海くんも?」


 ナギサがびっくりしている。本当に驚いているというより、拓海に調子を合わせている感じだ。おれも同じように思っていたのだが、次の言葉でどきりとする。


「駅前を曲がるとアーケードの商店街があって」


「商店街っ」


 ナギサと同時に声をあげる。


「え、そうだけど」

 拓海はナギサとおれを交互に見る。

「何だよ、商店街が夢に出てきちゃ変なわけ?」


「そういうわけじゃ」

 ぞく、とする。

「似た夢を見てるから」


「わたしも」ナギサは身を乗り出す。

「アーケードの商店街があって、近くには」

「銀行がある」とおれ。


 拓海がぱっと笑顔になり、


「あるある、信用金庫だろ、ちがう? 駅前の交差点を渡って曲がると銀行があるんだ。駅はでかいやつ。新幹線とか来てそうな」


「そうそう」ナギサが興奮気味にいう。


「すごいね、わたしの夢もそんなだよ。都会だよね、あの街。車がずっと走ってて、ビルも多いっていうか。駅前の交差点を渡るとアーケードがあるんだけど、そこを渡る信号が」


「わかる」拓海がぽんっと手を打つ。

「横断歩道の信号がさ、すぐ」

「赤になる」


 おれが答えると、ぴり、と空気が張りつめた。


「え、冗談じゃないよね?」


 そう、戸惑いを見せるナギサ。

 おれたち三人は互いに顔を見合わせた。

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