「僕」と「彼」の『物』語

しまるえんじ

第1話

「はぁ。全くもってどうしてこうもこき使うんだろうなぁ。」

と、ため息を吐いた。


その“彼”は人ではなく、ひとつの家庭に置かれている古いエアコンなのだ。家主が床に入るため、スイッチを切ったので、ようやく彼は束の間の休息ができるのであった。


すると少し離れたところから、別の何かが彼に声をかけた。


「あなたはいいよ。僕なんかずっと日の目を見ずに暗い押入れに押し込まれているんだから。」

と寂しそうに呟いた。


それはもう何年も使われていない石油ストーブであり、長年使われていた為あちこちすすけており、黒ずんだまま今では袋を被せられて押入れの奥へとしまい込まれている。灯油の高騰により使われず仕舞いになっているという始末だったのだ。


「僕はこうしてこのままいつかそのまま捨てられちゃうんだろうな。」

というと、寂しそうに体をキリキリ軋ませた。


彼は少し間をおいてから、“僕”に囁いた。


「でも俺は君が羨ましいよ。」


「えっ?こんな押入れのお荷物になってる僕があなたは羨ましいの?…嘘ばっかし」


そういうと、また僕の体のどこかがカチンと音を立てた。


「僕はあちこちススだらけ。寿命だってあなたの方が長いし、燃料だってお金がかかるし、臭いだって気になるんだろうね。このままきっと僕はこのまま」


そんな僕に彼はこう言った。


「考えてもみてごらんよ。君は今はしまわれているかもしれないけど、君が仕事をしている時、君の周りには“人”が集まるじゃないか。俺はどんなに仕事をしてもたくさんの空気を暖めたりしなきゃいけないからみんな距離をとるんだ。」


そういえば…と僕は記憶を遡っていた。


僕が活躍する時、人は僕の周りを囲み、時には水の入ったヤカンを置いたりしていた。少し重いのだけれど、時には何かを僕の上で焼いたりしている事もあった。


だからその見張り番ではないけれど、少なからず仕事中人がそばから離れる事はあまりなかった、とても楽しく温かい時間だった。


「俺は夏も冬も仕事をしているけど、最近は昼間も人がいなくたって仕事しなきゃいけない事もある。それだけだって大変だけど、まあエアコンが最高って言われるから頑張っていたんだ。」


彼はそこでまたフゥとため息をついた。自動クリーニングが終わったらしい。


「…まさに汗をかきながらずっと俺は頑張ってたんだ。だけどどうだ。最近なんかは『エアコンで空気が乾燥して風邪をひいた』って言われるんだぜ?休みなく働いて風邪まで俺のせいにされる。」


僕はかける言葉が思いつかず、ただ黙って耳を傾けていた。


「しかも最近は、『一日中つけっぱなしでも温度設定が適切なら電気代はさほど変わらない』ってどこかの誰かが吹き込んだせいで、休みなく働いているんだ。俺の体をいたわってもくれないんだ。」


そういうと彼は一度何か思いつめたように言葉を止め、そのせいか僕は妙に静寂が深く感じた。


重い空気が流れたあと、彼は静かに僕に語りかける。


「いいかい。君はいつでも必要とされている事にそろそろ気づけよ。今は暗い押入れの中かもしれない。…でもなんで捨てられないんだ?」


なぜだろう?たしかに彼のいう通りだった。ただのお荷物ならきっととっくに捨てられていただろう。


「わからないけど、しまってあるのを忘れているのかな?」


僕がそう返すと、苦笑の混じった彼の声が聞こえた。


「そうかもしれないな。でもそうじゃないかもしれない。君は乾電池が使えて持ち運びもできるし、燃料さえ手に入れば外でも使える。祭り事にだって災害の時にだって。でも俺はここでしか動けないんだ。だからその時のためにしまってあるんじゃないのか?」


ああ。

なるほど。


そういう事を思ってもみなかった。

こんなに大きい体なのに、ずっとしまわれているのは、そういう理由があるのかもしれない。


「考えてもみなかったよ。僕はあなたがキラキラ輝いている、主役に思えてたんだ。だから嫉妬してしまっていた。でも嫉妬するような事じゃなかったんだね。僕もあなたも同じように暖めるものだけど、それぞれに悩みがあって、今こうしている。なんだか自分が恥ずかしいよ。」


「ははは。少しは自分に自信が持てたか?君が必要とされる日が必ず来るから。例え来なかったとしても、その君のススの分だけ思い出だってこびりついているだろ?」


「うん。僕は僕らしくまた活躍できる日を夢見てじっと待つよ。また温かい時間を楽しみにして。」


「そうだよ。その意気だ。…と、俺はそろそろ眠るとしよう。なんだか疲れがとれなくてねぇ。また明日も朝から猛仕事が待ってるからさ。」


そういうとスッとまた静寂が訪れた。


もう眠っているかもしれないと思いつつも、“僕”は“彼”に


「ありがとう。お疲れ様。おやすみなさい。」


と声をかけ、眠りについた。





翌日、ふいに僕は押入れからひっぱりだされて目が覚めた。


まさかこんなに早く日の目を再びみれる日が来るとは。でももう何年も使われていなかったのになぜだろう。


ふと上を見ると、そこには眠りについたままの“彼”と、リモコンを何度も触っている人がいて、時々コンセントを抜き差ししたり、彼を叩いていたりしていた。


ああ、そうか。

彼は役目が終わったのだ。


“人”がどこかに電話している様子をみながら、そう悟った。


そのうち新しいエアコンが届くのだろう。そうしたら僕はまた押入れの中に戻るのだろうけど、今度はもう嫉妬したりもしないし、じっくり温かい思い出に浸りながら待つ事もできるだろう。


この新しく重なった、ススを見つめながら。

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「僕」と「彼」の『物』語 しまるえんじ @shimaruenji

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