冬の田舎道

夏風風鈴

冬の日

 この街を歩いていると、哀愁が私の心を満たし、何とも言えぬ空白感が襲ってくる。

今、歩いている道は中学時代に登下校を繰り返した道である。登校時は一人で鬱屈と戦いながら学校へトボトボ向かい、下校時は友人と楽しさを共有しながら家へと向かった。

 私はもうすぐ三十代へと突入しそうな年齢であった。東京で就職し、最初の年は慣れない社会人生活や入り乱れる都会の喧騒にストレスを感じ、余裕がない生活を送っていた。それも、昔を振り返る時間もないほどに。だが、そんな生活にも慣れ、時間ができたので、有給をとって帰省したのである。 

 この田舎道には何もなかった。まっすぐと森へと続く農道の横を稲穂を刈ったあとの寂しげな田園風景が着飾り、稜線が美しい山々は優しい眼をした両親のようにこの地域を見守っていた。

 あと十分ほどで実家に着こうかと思う頃、田んぼの間に、あばら家のようなものを見つけた。その小さな家は黒く汚れていた。とても人が入れるようなものではなく、もはや影を好む昆虫や動物の住処と言った方がしっくりとくるようなものである。

 昔はもっと綺麗であった。私が小学生、中学生の頃はここを秘密基地にして放課後や休日に遊んだものである。決してこの中で特別なことはしないが、隠れ家的な存在を持つことで、少年の憧憬心のようなものを満たしていたのだろう。

「やっぱり、ここは落ち着くね」

「ここなら勉強しなくてもお母さんに怒られないし、自由があるよね。自由が」

 少年少女の両親からの乖離というちっぽけな自由を手にし、喜びに浸っていた過去を思い出した。毎日のように、美智子とここに来ていた。

 美智子は私の隣の家に住んでいる。中学校までは同じ学校に通っていたが、高校では離れ離れになってしまった。それから、一切連絡をしておらず、地元で働いているのか、それとも県外で働いているのか。全く情報がなかった。

 そんな幼馴染に私は恋心を抱いていた。ずっと隣にいたせいか、その気持ちに気づいたのは高校に入ってからのことだった。だが、高校に入ってからは、出会う機会も少なく、大きな消失感に苛まれ、痛く後悔したものだった。

 だが、そんな気持ちは大人になるにつれてうっすらと陰りを見せた。まるで、葉を全て落としてしまった冬の木々のように。

 美智子はどのように人生を歩んでいるのだろうか。今、歩いている田圃道のように素直に生きていることだろうか。

 このように彼女のことを思案していれば、再開できるような気持ちがした。直感的ではあるが、そんな気がした。

 一縷の望みを持ってとうとう実家の前にたどり着いた。家の中はリフォームして変わっているが、外装は生まれた時から全く変わっていなかった。瓦屋根の何も変哲のないものだ。

 だが、その外見と懐かしい実家の匂いは私を妙に落ち着かせる不思議な力を持っていた。

 黒い鉄格子の門を開けて、玄関へ向かうと母が世間話をしていた。

「あら、お帰りなさい。遅かったんじゃないの」

「電車が遅延しちゃってね」

 遅くなった旨を伝えると、母と話していた、女性がこちらに話しかけてきた。

「こんにちは。美智子の母よ。しばらくぶりね。覚えているかしら」

 女性の正体は美智子の母であった。久しく会うものだから、後ろ姿では認知することができなかった。

「ええ。覚えていますよ。二人は相変わらず仲が良いのですね」

「まあね。近所だし。子供が同い年だから、縁があったからね」

 そう母が答えた。美智子の母は「それじゃあ、息子さんも帰ったようだし」と遠慮がちに玄関を後にした。

 玄関に入ると、母は背中を向けながら「美智子ちゃん結婚したんだってね」と何気無い風に言った。

「そうか」

 と私は短く答えた。驚いて、このような単調な返答しかできなかった。だが、以外にも私の心は穏やかであった。

「あんたは彼女ができる雰囲気もないのよね。美智子ちゃんの家は心配事が減って羨ましいわね」

 不要な気遣いと少しの嫉妬心を含んだ言葉を母は言った。私はそれに答えることもなかった。

 冬の閑散とした田舎の風景が頭の中から離れなかった。その風景の中には、私だけが一人佇んでいた。少年のあの頃の姿で。

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