第4話 事件発生?

 授業が終わり、ホームルームも終わり、とうとう心待ちにしていた放課後がやって来た。やはり、部活の勧誘開始というのは、上級生だけでなく俺たち1年生にとっても待ちに待ったことなのだろう。クラスメイトはみな我先にと急いで教室を出て体育館に向かっていってしまった。見る見るうちに教室から人が減っていく。

 そして、逆木兄妹を待っているうちに教室に残っているのは俺だけになってしまった。俺は二人と他愛のない世間話をしながら、体育館までの長い廊下を歩く。走って体育館へと向かう同学年を見ても、俺の心には欠片の焦りもなかった。彼らの必死の形相を見ていれば、多少変わったかもしれないが。

 白状しよう。確かに油断していた。部活の種類が豊富だと言っても、たかが知れているだろうと高をくくっていた。部活に熱心な高校という評判を確かに舐めていた。恐らく、中学まで真面目に部活をしていても俺と同じような認識になるに違いない。しかし、だからと言って、これは想像できなかった。


 


 体育館の扉を開けると、そこは地獄だった。

 人、人、人人人。呆れるほどの人だかりで視界が埋め尽くされる。

 この空間に全校生徒の全てが収まっているのではないかと錯覚するほど、人で埋め尽くされていた。入学式や体育の授業でこの体育館を使っているときは、大学や市営の体育館ですらここよりも狭いのではないかと考えていたのだが、人だかりの圧迫感であの広々とした解放感はもはや見る影もない。天井もかつてより低く感じる。加えて、あちこちからひどい喧騒が出来上がっていた。隣の奴らよりも大きく目立つように。向かいの奴ではなく、こちらに振り向いてもらえるように。声だけでなく、全身の動きやアピールの仕方、さらにはブースのデコレーションまでにオリジナリティを出して何とかして新入部員確保してやろうという意思をひしひしと感じる。誰よりも多くの新入生を捕まえる。今隣の部活で説明を聞いてるやつもこちらに引き込んでやろう。無理矢理にでもビラを押し付けて恩着せがましく頼み込んでやる。そんな意思が空間のあちこちから漏れ出ている。自分の意志の押し付けがうるさい。頭が痛い。イライラする。吐き気がする。全員消えればいいのに。近くにいる奴から殴ってやろうか。あーもう————。


 俺はその熱気に当てられ、思わず扉を閉めてしまう。


「……やっぱり今日は帰らねえ? ほら、これじゃあまともに部活を探すことも出来ねえだろ、な?」

 逆木兄妹を振り返り、帰宅を提案する。

 二人はお互いを見合い、ハアと深くため息を吐く。

「なあ、悠人。お前が人混みが嫌いなのは知ってるが、そんなん言ってたらいい部活に入れなくなっちなうぜ。比較的人気な部活の中には、人数制限かけてるところなんかもあるんだからな」

「って言ってもよ、これは流石に酷くねえか? 確か長机が並べてあって部活ごとにブースがあるんだよな? 俺には長机なんか見えなかったぜ?」

「でも、宗史の言う通りよ。ここで泣き言を言ってる間にも人気な部活は埋まっちゃうし、多分だけどこれから先も多少減ることはあってもこんなのが続くと思う。そして、どんどん向こうの必死さが増していく。そっちの方が嫌じゃない?」

「うーん」

 確かにそうかもしれない。それにさっさと決めた方が、後から慌てて適当なところに決めるよりはましなのかもしれないけど。それでも、これはちょっときついな。

 俺が頭を抱えてうんうん悩んでいると、二人は愛想が尽きたように小さく肩を竦めた。そして、俺を置いて先に行こうとする。

「俺らは先に適当に回ってるから。覚悟出来たら入って来いよ」

「じゃあ、先に行ってるね」

 そう言って二人は先に入っていってしまった。

「おいおい、マジかよ。やっぱ、すげえなあの二人」

 ただ、それでも、俺を置いて行ってしまうとは思わなかった。ちょっと寂しい気持ちにもなるが、うだうだ文句言っていたのは俺なので仕方ないとあきらめる。

 流石にそんなに簡単に覚悟が決まりそうになかった俺は、終わる直前まで待ってからもう一度行くことに決め、それまで校舎内で時間を潰すことに決めた。


 自分の教室までの廊下を一人歩く。この階には一年生の教室しかない。ほとんどの奴が部活を見に行ってるのだろう。外の風の音や道路を走る車の音、遠くで子どものはしゃぐ声が小さく聞こえるだけでほとんど無音に近い状態になっている。ただ、自分の足音だけが静かに廊下に響く。『咳をしても一人』という詩を思い出すほどには、そこは静寂に包まれていた。

 たまに、小さく金槌で何かを打つ音が聞こえる。どこかで工事でもやっているのだろうか。少し外を見ても工事している様子が見えないことから、おそらく校内から響いている音だ。もしかしたら、これも何かの部活動をしている音なのかもしれない。例えば、工作部とか日曜大工部とか。そんな部活あるのかどうかも知らないが。

 段々大きくなっている気がしていたので何を作っているのか気になったが、不意に止まったのでもう作り終わってしまったのだろうか。棚だろうか、それとも机とか。少し気になる。

 そんなことに夢想を広げながら教室に近づいていくと、ある違和感がその夢想を消し飛ばした。他の教室と比べても、自分の教室だけどこかおかしい。そして、その違和感の正体はすぐに分かった。


 その教室だけ、暗いのだ。それも異常と言ってもいいほどに。

 確かに放課後になって多少時間が経っているが、ここまで暗くなるほど外は暗くない。それに、これはカーテンが閉まっているとか、日陰になっているとかそういうレベルの話ではない。それは、いっそ、暗いというより黒いと言って差し支えのないものだった。そう、まるで、廊下側の窓に黒い布でも張り巡らされているような——。

 教室の前まで来て、その疑惑は確信へと変わった。明らかに教室の中が見えないように内側から黒い布が掛けられている。そして、ドアには新聞の文字を切り貼りして作られたような張り紙が張ってあった。曰く——


『式場悠人様へ。

 やあやあ、初めまして。我々は、非公式部活連合のトップ、仙才鬼才会である。通称、仙鬼会と呼ばれているが、まあ、君たちはまだ知らないだろうね。

 今回は、君たちの入学を祝福して、ささやかなもてなしを用意させてもらった。楽しんでくれると嬉しい。あわよくば、我々の勢力への参加を希望するが、まだそこまで気にする必要もない。それでは、また会える日まで。』


 ドアの前で小さく頷く。

 なるほど。どうやら、何か面白いことが起こってるようだな。しかも、俺が最後教室から出る前には何もなかったことを考えると、俺が体育館に行き帰ってくるおよそ20分程度の短い時間で起こったのだろう。極めつけは、それが俺宛てということだ。

 思わず、ふふふと笑い声が漏れる。

 あそこで教室で時間を潰すという選択をした俺を全力で褒めてやりたい。これは、部活選びなんかよりも面白そうだ。部活の勧誘が終了する時間は確か、十七時五〇分。今が十六時半くらいだから一時間ほどの制限時間があるわけだ。

 いいだろう。この謎、俺が一時間で解いてやろう!

 柄にもなく密かに興奮している自分を律しながら、それでも教室のドアに手をかけて勢いよく開ける。


 しかし、扉は開かなかった。

 それには鍵がかかっているようで、ガタと少し動くだけで開く気配は一切ない。

 ここまで煽っておいて何故施錠してるんだと思う反面、意気込んでた分やはり少し落ち込む。

 ……教室のカギを借りてこよう。

 少し冷静になった頭でとぼとぼと職員室に向かう。その背中は恐らく小さく見えただろう。

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