第5話 衝突
「んだよ、ったく」
誰もいない廊下を一人愚痴りながら歩く。
あそこまで煽った文章張り付けて、加えていわくありげに装飾された教室。それで、ささやかなプレゼント……。いや、面白そうだと期待するだろ普通。何、一丁前に鍵かけてんだ。無駄に防犯意識たけえな、クソ! 一応、中の様子までは見てやるがそれまでだ。
それにしても、やはり気になるものは気になるもので。
仙才鬼才会。通称、仙鬼会か。非公式部活連合と言っていたが、この学校まさかあんな大量の部活のほかに非公式のものまで存在してるってのか。そして、そのトップがあいつらか……。仙才鬼才とは、他に比べて抜きんでた才能のことを意味する。ならば、随分とふざけた態度の連中だったが、あいつらが言いたかったことは仙鬼会には短時間であそこまで工作する組織力があるってことだろう。
しかも、それは並大抵のものではない。
その理由は、あの教室が施錠されていたからだ。
暗幕は、教室の内側に張ってあった。ならば必然、施錠されたのは暗幕を張った後ということになる。そして、教室の鍵を管理しているのはもちろん教師ないし職員だ。つまり、この胡散臭い仙鬼会とかいう集団は職員側にも顔が利くってこと。
随分と闇の深い組織もあったもんだな。非公式のくせに学校側とも関係があるってことだからな。これは、なかなかに黒い奴に目を付けられたものだ。恐らく目立つ逆木兄妹の近くに居たからだろうが、それでも俺を名指しで指名する意図が分からない。
何とも掴みどころのない集団だな、仙才鬼才会ってのは。
気になることと言えば、些細なことだがもう一つ。奴らは、俺個人宛ての手紙の中で、君たちと書いた。ミスだろうと割り切るのは簡単だが、どこか引っかかる。
もし、作為的に書いたものだとするのならば、誰のことを指す? 俺が入るのは確実だとして、他は? やっぱり柊と宗史だろうか。しかし、そうなるとあの文章にその名前を入れるのは少し違和感がある。
あの文章はあくまで俺宛てだ。それなら、少なくとも俺がそれを見ることは分かっていただろう。今日、俺が教室に戻ろうとしたことは偶然だ。それでも準備が出来たことを考えられると、俺が教室に戻ろうとした時点で準備したと考えられるだろう。それなのに読むことのない逆木兄妹を含めて君たちと記述するだろうか。やはり、別の誰か? それも俺と同時にあの張り紙を見る可能性のあるやつか。とするのならば誰だ? 自慢じゃないが、この高校生活において俺はまだ幼馴染二人以外と話した回数は数えられるほどだ。君たちと表現されるほどの奴はいないはず。それに事実、俺はあの張り紙を一人で見た。それならば、やはり相手のミスだと割り切る方が都合がいいか。いや、しかし、それでも——
俺は、乱暴にガシガシと頭をかく。
「だーーっ! 全くまとまらねえな! さっさと鍵とってきて、教室に入るか。あそこまで細工したんだ。なんかおいておかないと嘘だろ」
少し駆け足で廊下を行く。やはりはしゃいでいたのだろう。それとも、この世界に自分ひとりであると錯覚していたか。どちらにせよ、油断しっぱなしの俺は曲がり角すらも駆け足のまま曲がろうとした。その角をこちらに曲がってくる人がいることにも気づかずに……。
*
初めは何かにぶつかった衝撃だけだった。
俺も駆け足だったが、どうやらぶつかった奴もそれなりの速さで動いていたようだ。俺は不意を突かれ尻もちをつき、その拍子で後頭部を壁にぶつけた。目の前がチカチカと発光したように明滅する。この痛みという衝撃が最初に来た。
後頭部を抑えてうずくまっていると、鈴のように澄んだ随分と可愛らしい声が降ってくる。どうやら、女子とぶつかったらしい。
「あの、大丈夫? 随分勢いよく後頭部を打ったみたいだけど。ごめんね、ちょっと急いでてさ。あはは。…………ねえ、本当に大丈夫? キツイなら保健室までついていくよ?」
その声には
それらを紛らわすために顔を上げる。どんなガタイのいい奴が突っ込んできたのか見てやるためだ。あわよくば、ゴリラみたいなガタイをした奴ならいい。そんな奴になら吹っ飛ばされても仕方ないし、恥ずかしくもない。ああ、失敗したなと思うだけだ。ゴリラがこちらに走ってきていたのに音で気付かなかった俺が悪いのだと、そう思える。
だが、顔を上げて相手の顔を認識した時点で俺は後悔することになった。ああ、これは失敗したなと。これでは、恥ずかしさも不甲斐なさも誤魔化すことは出来ない。なぜなら、そこには天使と見紛うほどのスレンダーな美少女がいたのだから。先ほどの衝撃を吹き飛ばすほど衝撃的だった。
彼女は、黒々とした宝石を思わせる美しい輝きを持った大きな瞳をこちらに向けていた。そこに視線が吸い込まれていくようにくぎ付けになる。図らずに見つめあってしまった。形のいい眉が少し歪んでいるのも、愁いの帯びた瞳をより綺麗に飾り付けている。その真珠のように色白の肌も夜空のように流れるように輝く黒髪もすべてが完璧だ。まさに、神様が作った芸術品としか思えない程の美少女だ。
しかし、不意にその瞳がこちらを心配しているようにゆらゆら揺れていることに気付いてしまった。彼女は、心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
心配されていることを今更のように思い出し、ばつが悪くなった俺は彼女から無理矢理視線を外し、下方に視線を逃がし見つめていたことをごまかすように慌てて返事をする。
「あ、ああ! 大丈夫だともこの俺は! まさか俺がこの程度で怪我をするとでも思ったってのか? そりゃ見当違いだぜ! この式場悠人はたかが後頭部をぶつけたくらいじゃあ、全く問題ないのさ! 心配してもらって悪いが、完全に無用な心配だったわけで、あー、いや、えっと、そう! もう、完全完璧に万事快調だ!」
何を俺はテンパっているのだろうか。彼女を見るのもどこか恥ずかしくなり、彼女から外した視線は、もう溺れているように空中をふらふらとさまよっている。
何が見当違いだぜ、だ。心配してもらったんだから、ありがとうとか感謝の言葉を言うべきだろ。馬鹿か俺は。マジで頭を打っておかしくなったんじゃなかろうか。本気で自分のことが心配になる。
一気にまくし立てた俺を見て、彼女は一瞬きょとんとした表情になるが、すぐに安心したように大きく息を吐き顔をほころばせる。
「ああーー、よかった。何言っても、頭押さえてうずくまったままなんだもん。怪我しちゃったのかと思って焦っちゃたよ、あはは」
「あー、悪いな、心配させて」
「んや、いいよいいよ。突き飛ばしちゃったのは私だし、心配くらいさせてよ」
にへへと、だらしなく頬を緩ませた表情で彼女はこちらを見る。その表情にまた見惚れそうに慌てて視線を下げる。すると、彼女が何かを持っていることに気が付いた。そういえば、彼女も何か用事があって急いでいたのだ。ここであまり時間を取らせるのも申し訳ない。
俺は彼女の手を指差す。
「それで、君もどこかに急いでいたんだろう? 俺はもう大丈夫だからもう行ってもいいよ」
「あーー! そうだった、そうだった。早く行かないと時間が無くなっちゃうね。あと——ゲッ、一時間もないじゃん。急がなきゃ!」
彼女は急いで立ち上がって去っていこうとするが、何かに気付いたようにこちらを振り向く。
「そういえば、君向こうから来たよね? ってことはあの教室も見たよね。もしかして、何か教室に手出しちゃったりしてない?」
「いや、特に何も。っていうか、何かしようと思って教室に入ろうとしても鍵かかってて何もできなかったよ。だから、今職員室に行って鍵でも借りてこようかって思ってたところ」
「あー、そっか。でも、もう職員室に行ってもあの教室の鍵はないよ」
そう言って、彼女は握っていたものを指に引っ掛け、かちゃかちゃと音を鳴らす。
それは、あの教室の鍵だった。
「ってことは、君もあの教室の謎を調査するつもりなのか?」
「そう! 部活紹介の人混みから逃げてきたところに、ちょうど良く面白そうなものがあったからね! それに何故か私宛の張り紙もあったしさ。これは、私に対する挑戦状だなー! よし、受けて立ってやろー! って感じでね!」
どうやら彼女も俺と同じような境遇であの教室まで行きついたようだ。だが、一つ気になることもある。
「君宛ての張り紙? そんなのなかったけどなあ……もしかして、君も式場悠人って名前だったりは——しないよねもちろん」
「しないねー。でも、おかしいな。確かに私の名前だったんだけどな」
まさか仙鬼会は俺だけじゃなく、この彼女も同時にターゲットにしていたのか。だが、一々張り直す意味も分からないが。まあ、教室に入ってみれば何かしら分かるだろう。
「まあ、いいや。ともかく、俺の目的である教室の鍵は君が持ってる。そして、俺宛てにも張り紙があって、目的も一致している。ここは協力して、この謎に取り組まないか?」
「んーー、そう、だね。もしかしたら、私だけじゃ解けない謎である可能性もあるからね。人が多くても問題は難易度が下がるくらいだし。……うん、じゃあ一緒に行こう!」
そうして、俺たちは教室の扉の前まで戻って来た。すると、驚くべきことに張り紙がさっき見たものとは異なるものに変わっていた。曲がり角のところから教室までは一本道で人もいないので誰かがいるとよく見えるはずだ。俺は彼女に見惚れていたので気付かなくても不思議ではないが、彼女も気付かなかったのはおかしい。どうやって張り替えたのか見当もつかないが、折角新しい手掛かりを残してくれたのだ。これも演出の一つとして楽しむとしよう。
曰く——
『式場悠人様、七海真様
ようやく登場人物が揃ったみたいだね。さあ、ショーが始まるよ。
教室の中に一歩足を踏み入れた途端に、君たちは劇中の人物となる。中では、なにやら事件が起こっているようだ。もちろん、君たちは探偵と助手として参加する。
まもなく舞台の幕は上がり、舞台照明が君たち二人を包む。
観客は我々、仙鬼会だ。精々、楽しい舞台となることを期待している。
これが、シャーロック・ホームズとジェームズ・モリアーティと呼ばれた君たちの初の共同戦線だ。華々しく飾ろうじゃないか! それでは、力の限り頑張ってくれたまえ!
君たちに心奪われた愚かな読者より』
俺たちが文章に目を通した瞬間、先ほどまで内側にかけられていた暗幕がばさりと音を立てて落ち、ガチャリと鍵が開く音がする。なるほど、実際こうなると疑問になっていたことが何を指しているのか分かった。暗幕は舞台の緞帳のつもりで、君たちとは俺と彼女のことを指すのか。
だがしかし、こんなことはさして重要ではない。そんなことよりも重要——いや、重大なことがある。俺にとって危機的と言って差し支えない程の重大なことが。
何故、お前らがその呼び名を知っているのか。
何故、俺がそう呼ばれている人物と同一人物であることを知っているのか!
その、ジェームズ・モリアーティという忌まわしき呼び名を!
しかも、シャーロック・ホームズだと。まさか、この彼女が? 何故、この学校にいる。俺は、こいつから逃げるためにこの学校へ来たというのに。
俺は今までに無いほど混乱していた。しかし、少なくとも今すべきことは分かる。
このふざけた連中を見つけ出し、口止めしなければ。そのためには、この教室を調べる必要がある。
隣の女——七海に目を向けようとした瞬間、声が聞こえた。底冷えするような冷たい声が。それはその声が一瞬誰から発されたのか分から居ない程だった。
「そう、……こいつが、ね」
彼女は、こちらに向き直り先ほどの様子からは想像もつかない挑発的な視線を向ける。
突然彼女の雰囲気が変わった。今までのおっとりとした様子が嘘のように、攻撃的な空気に変わる。まるでさっきまでの態度は猫をかぶっていたのだと言わんばかりに。これが本性だと明かしているような。そこには、隠し切れないほどの敵意があった。
「それじゃあ、行こう? モリアーティ教授?」
「……そうだな、ホームズ」
二人は、扉を開け中へと入っていく。これが、俺たち二人の最初の事件の始まりだった。
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