第2話 腐れ縁
四月。出会いと別れの季節。新年度や新学期を迎え、新しい環境に適応するために慌ただしくなる。
今年度から、四緑高校の一年生として入学する俺の生活もその例に漏れず慌ただしいものとなった。家から結構離れた高校に通うため、定期の購入。今まで徒歩圏内の学校に通ってた弊害として、電車通学の不安を軽減するための経路の下見。制服、体操服の購入。他にも、何故か入学前に課された課題の数々……いや、この課題の数々に関しては、心の底から苦言を呈したい。
兎にも角にも、それらをこなした俺は無事入学式の日を迎えた。
駅から、とぼとぼ歩いて約十分。そこは桜で有名な通りだった。ゆるやかな傾斜のついた道路の両端に桜の木が植えられていて、約二百mほどその道が続く。少し早い時間に着いてしまったからか、生徒の姿は未だまばらにしか見当たらない。
目線を坂の先の方へと向ける。この坂を上りきったところに四緑高校はある。
四緑高校は百年以上の歴史を持つ学校で、様々な科を抱える県内でも有数のマンモス校となっている。特色とも言うべきものは数あるが、中でも部活の多彩さが目を引く。野球部、サッカー部から始まり、音ゲー同好会や散歩部なんていうものもある。
その理由として、私立高校ならではとも言える部活ファーストの校風である”高きを求める心”が挙げられるだろう。具体的には特に優秀な成績を残した部活にはいくつかの特権が設けられており、グラウンド優先使用権から予算増額など様々だ。噂では、学校の運営から独立した部活なんかもあるそうだ。それら上級部活に入ることが、一種のステータスとなっている節もあるのだとか……。
まぁ、俺には部活に全力で取り組み、部の仲間たちと輝かしい青春を謳歌したいなどという欲は微塵もない。精々、危害を受けない程度の部活に入れればいいだろう。
古臭い校門を抜けたその時、背後から全力疾走する音が二人分重なって聞こえる。てめえには負けねえ、こっちのセリフよと何やら仲良さげに話す声まで聞こえる。緩やかとは言え、坂道を全力疾走して会話までこなすとは恐れ入る。
しかも、俺にはその声に聞き覚えがあった。腐れ縁の馬鹿共の声だ。
このままここにいると、轢かれそうだな。
そう思い、轢かれない程度まで脇に逸れようと顔を横に向けた瞬間、横目に移ったのはこちらに飛び込んでくる赤毛の二人の姿だった。
「俺の勝ちだー‼ おはよう、悠人‼」
「あたしの勝ちね‼ おはよう、悠人‼」
勢いをそのままに抱き着こうとしてくる二人。そいつらに背後からタックルされた俺。
それは、必然のように衝突事故となった。普通、立ち止まってるやつに全力で助走をつけて飛び付くか? 俺のように慣れていなければ、怪我してしまうだろう。
体を起こして二人を見下ろすと、人の体の上でまだ俺の勝ちだのあたしの勝ちだのふざけたことを宣っている。
クッション代わりに使った鞄を力任せに2人の頭上へと振り下ろす。
鏡写しのようにシンクロした動きで頭を押さえる2人。
「痛えよ、悠人! 何すんだよ!」
「痛いわ、悠人! 何するの!」
「てめえらが何すんだよ! 俺じゃなかったら怪我すんだろうがアホ!」
2人は目を見開き驚いたような顔を一瞬浮かべると、すぐに反省したように肩をすくめる。まるで、叱られた子供のようだ。その眼には、今にも泣きだしそうなほど涙が溜まっている。
「ぐぅ、ごめん、悠人……」
「うぅ、ごめんね、悠人……」
そんなしおらしい態度でしゅんとしてもダメだ。くっ、上目遣いでこっちを見ても今日という今日は……! 晴れの日だからって関係ない。今日こそしっかりと説教してやる……! しなきゃいけないんだ、俺は……!
「………………」
「………………」
……だがしかし。そうは言っても。やはり今日のところは勘弁してやってもいいか。折角の入学式だからな。こんなめでたい日には、こっちも叱りたくないからな。断じて、こいつらが捨てられた子犬のような目で見てくるからではない。
「……あんまりはしゃぎ過ぎんなよ」
「よっしゃ! もちろん分かってるぜ、悠人!」
「やった! もちろん分かってるわ、悠人!」
「調子いい奴らだな、全く」
飛び上がって喜ぶ二人。はしゃぎ過ぎんなと言ったばかりでこれか……。まぁ、はしゃいでてもだれにも迷惑かけていないのなら、それは元気の証拠ってことで。よしとするか。
彼らは、俺の小学校からの同級生だ。
このシンクロする動きからも分かるかもしれないが、こいつらは双子の兄妹だ。
赤毛をオールバックに固めている兄の
一卵性双生児である二人は、顔の造形も近く、揃って整った顔つきをしている。加えて、二人とも幼少期を性別の差を感じないような環境で過ごしてきたからか性格までも鏡写しのようにそっくりだ。友達思いで、一度周りの人に危害を加える者がいれば、その特徴的な赤毛を振り乱し、徹底的に排除する苛烈な性格をしている。ただ、普段の彼らはお互いで競い合っているばかりなので、周りからはほっとけない双子として認識されていた。
アホっぽい印象の強い彼らだが、実は、2人揃って並外れた運動センスを持っている。いや、戦闘センスと言った方がいいかもしれない。
兄・宗史は中学の頃、空手の男子個人組手の部において全中二連覇という考えられないほどの偉業を成し遂げている。県内の不良校の番長を全員潰しているという噂も広がっているほど、その強さは知れ渡っている。ちなみに、この噂は事実だ。その光景を見てた俺が言うんだから間違いない。
対して、妹・柊は、こちらも剣道の女子個人の部で全中二連覇を果たしている。自分で話していたことなので信頼性は薄いが、男子相手でも負けることは無いという。ただ、去年の春ごろ、こいつが不審者を一週間で十人ほど捕まえたなんてこともあった。それを考えるとあながち嘘でもないのかもしれない。
まさか家から離れたこの高校でもこの双子と一緒だとは思ってもみなかった。ただ、彼らには他の誰にも知られてない俺とこいつらだけの契約がある。俺が離れた高校に行ったことで無効になるかと思ったのだが。彼らがいるのであれば、この高校での生活も平穏に過ごせそうだ。
再びいがみ合っている二人を横目に、俺はこれからの平穏な学園生活へと思いを馳せた。……決して、周りの奇異な視線からの逃避ではないと思いたい。
あ、そう言えば。
「で、今日は何を賭けて競争してたんだ?」
「そりゃあ、今日は学校初日なんだから決まってんだろ。なあ、柊?」
「そう。決まってるね」
不敵な笑みを浮かべ、挑戦的な目をこちらに向ける2人。
「つっても、今日俺らが決められることなんて、そうそうないだろうがな」
逆木兄妹は、いつも何かを賭けて勝負している。例えば、どっちが家の掃除をするかだったり、どっちが夕飯を作るかだったり。果ては、部活もどっちが空手でどっちが剣道をやるのかも勝負で決めていた。それでも、いつもは見てれば賭けの内容が分かったのだが。
入学式で勝負……何かあるか?
今日は入学式を除けば、春休みの課題の提出とその他必要な手続きくらいだ。部活はもちろん、クラス委員すら決めることはないだろう。
お手上げな俺は正直に聞くことにした。
「降参だ。分からん。何を賭けてたんだ?」
「ふふふ、それはな——」
「「どっちが悠人と同じクラスになるかだ!」」
馬鹿だな。
「それは、俺らが決められることじゃないだろ……」
その後、玄関に張り出されたクラス分けを見ると、どうやら賭けは柊の勝ちのようだった。本気で悔しがる宗史を全力で煽る柊。そして、再びいがみ合う兄妹。それを仲裁しながら、俺は先ほど思い描いていた幻想の学校生活に再び逃避し、叶わぬ夢となったその空想に想いを馳せた。
何と慌ただしい高校生活一日目だったのだろう。この日について覚えているのは、兄妹の喧嘩を仲裁したことくらいだ。その後、粛々と執り行われた入学式も、そして新しいクラスのことも欠片ほども記憶に残ることはなかった。どうせいずれ当たり前の風景となっていくのだと、そう高をくくっていたのだ。注意を——警戒を怠っていたのだ。いつもなら気付いても不思議はなかったのに。そう、誰かが俺たちの様子をじっと観察していたことに。
もし、それに気づいていたら——あれほど大変なことにはならなかっただろうに……。
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