第64話 入学前に


 母さんは京都に行くと言った。薫はきょとんとしており、由紀は声にならない声で泣いている。

マリアも呆けており、理解しているのは恐らくレイだけだと思われる。


 俺だっていきなり京都とか言われたら呆けに取られるだろう。

しかし、なぜ京都?


「お母さん、由紀はこの家を出たくありません。悪いことはしません。良い子になります。だから、この家にいさせて下さい……」


 由紀は泣きながら母さんに訴える。

確かに、いきなり京都に行けと言われたら拒否するわな。


「母さん、いったいどんな理由があって由紀を京都に?」


 その質問に対して、逆に母さんが呆けてしまっている?

あれ? 俺は変な質問をしたのか?


「ごめんなさんね、少し言い方が悪かったわね。京都に行くのは私だけよ」


 へ? 行くのは母さん?

じゃぁ、泣きじゃくっている由紀はいかなくていいのか?


「お母さん! 由紀はこの家にいてもいいんですね!」


 さっきまで泣きじゃくり、不幸のどん底にいた由紀の顔には笑顔が戻っている。

切り替えの早い子ですね……。



「えぇ、由紀もレイもマリアも、もちろん純一さんもこのまま自宅にいて問題ないわ」


「母さん、どうして急に京都に?」


「新しいお店が京都にできるの。それで、一時的だけど責任者として、現地で指導に当たるわ。早くても半年くらいはかかると思うの」



 母さんは和服を取り扱う会社に勤めており、それなりに重役らしい。

京都に本社があり、こっちは支店があるようだ。

母さんは仕事柄、店舗では和服、支社や本社に行くときはフォーマルらしい。


 今回は京都に店舗を増やすようで、各地域から何人か重役を京都に呼んでいるとのこと。

そのうちの一人が母さんで、主に現地の社員教育を行うと、会社で辞令があったようだ。


 三月だと移動の季節らしいが、まさか母さんが移動になるとは……。

と言うか、俺はこれからどうすればいいんだ? 保護者不在ですか?


「母さんが不在だと、色々とまずくないか?」


 これから俺の入学やその後のその事も含め、由紀の進路の事とか色々とあるだろう。

それに、家のことだって。


「何かあれば、すぐに戻るります。不在の期間は、レイとマリアに家の事を任せます。それぞれ、お話がありますので、後で一人ずつ私の部屋でお話ししましょう。それと、純一さんにこれを渡しておきます」


 母さんは紙袋から取り出した箱を俺に渡す。

その箱はおそらくスマートフォン。ついにゲットだぜ。


「携帯ですか?」


「えぇ、支給されたので渡しておきます。一般の携帯とは少し違うから、あとで説明書をしっかりと読んでくださいね」


「分かりました」


「それと、薫さん」


 母さんに、急に呼ばれびくっとした薫。

さっきまで内輪の話ばかりだったので、会話にほとんど参加していない。


「は、はいっ! な、何でしょうかお母様!」


 薫はなぜか緊張している。何故に?


「そんなに緊張しなくてもいいのよ。学校で、純一さんの事お願いしますね。頼りにしていますよ」


「ま、任せてください! 大丈夫です! 少しですが、腕には自信があります!」


 まぁ、薫の腕っぷしはどの程度かわからないが、女の子に守ってもらう男もかっこが悪い。

自身の身は自身で守れるようにしておかないとな。


「あと、純一さんにボディーガードを一名付けます。自宅、登下校、出先でのガードが主な仕事になるわね。もちろん、住み込みになるので近々あいさつに来ると思います」


 おぉぅ。やはり来たか。ボデーガード。それはそれでしょうがないけど、出来れば自分で選びたかった……。

マッチョなムキムキな方より、アンナさんのような……。


「か、か母さん! その人ってもう決まっているのですか? 今から人の変更はできますか!」


 どうせガードされるなら、知っている人がいい!

というより、俺の知り合いでボディーガードできる人は一人しかいないけどねっ!


「ごめんなさい、すでに三年契約してしまったの。よっぽどの事が無ければ契約違反になってしまうわ……」


 な、なんてこったい。一足遅かった。アンナ……。

貴方(あなた)に会うのはいったい何時になるのか。あ、普通に電話してアポ取ればいいのか。


「分かりました。来たらしっかりと挨拶しておきます」


 俺は渋々納得し、母さんに返事をする。


「最後に、これが一番重要よ。純一さん、高校に入る前に三人見つけなさい。これは必須です」


「三人? えっと、それは彼女を三人作れと? 結婚を前提とした女性を三人ですか?」


「えぇ。三人。三人くらいであれば、恐らく高校でも問題なくスタートできると思うけど、誰もいないのは非常にまずいわ。いいこと? 必ず三人分リングをつけなさい」



 俺はレイ、マリア、薫、由紀を順番に目線で追う。

レイはキリッとしており、そのまなざしは熱い。だが、なぜか手を胸の前で交差し、指をコネコネしている。


 マリアは鼻がひくひくしており、ニヤニヤしている。

何か間抜け面に見えてしまうのは俺だけだろうか?


 薫は頬を赤くし、テーブルに乗っている自分のコーヒーを見つめている。

たまに目線だけ俺の方をみて、俺と視線が交差した瞬間にすぐ目をそらす。

おいおい、俺の顔は見れないと?


 最後に由紀。由紀は凛と背筋を伸ばし、俺の方をしっかりとみている。

そして、全員の前でおもむろに左手を差し出し、手の甲を差し出す。


「兄さん、リングを私に。生涯兄さんに尽くします。」


 出された左では、まだ幼くとても華奢だ。

俺はその手を取り、どう答える? どんな答えが正解だ?


 沈黙の時間がやってくる。

俺の脳内はフル加速し、この問題をどう対処するか、思考を巡らす……。


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