エピローグ



 次の日は休日だった。

 俺は目が覚めると、しばらくベッドの上でごろごろと寝返りを打っていた。

 ふと、きのうのキスを思い出す。

 恥ずかしさに身もだえながら、二度寝に向かおうとしていたが、そのあとの別れ際に維新が言っていたことを思い出した。


「あした、ゴルフ部へ見学しに来ないか。なんだったら、一緒にゴルフやろう」


 九時すぎに迎えに行くと、手を振りながら言っていた。

 ベッドから飛び起き、壁時計に目をやる。もうすぐ、その九時がやってくるところだった。


「うそだろ!」


 慌てて着替え、部屋から飛び出る。長い廊下を走って、ダイニングキッチンへ着いたら、今度は叫び声を上げた。


「やあ、おはよう」


 広いダイニングには、これまた広い食卓があり、そこにはひとりの男がいた。

 背筋をぴんと伸ばして椅子に腰かけ、おもむろにお茶碗を置く。

 その食卓には、俺もこれから取るはずの朝食がある。

 男は箸も置くと、湯のみを手にして、お茶をすすった。きょうは眼鏡をかけているその男は、紛れもなく黒澤だった。


「な、なんで、あんたがうちでメシ食ってんだよ!」

「おばさんのご好意だ。無下にもできないだろう」

「つか、藍おばさんは?」


 俺は首を伸ばし、廊下のほうを窺う。

 そこへ、椅子の引かれる音がして、視線を向ければ、腰を上げた黒澤が近づいてきていた。


「理事長とお出かけになられたよ。それよりも──」


 細い縞の入ったズボンから、黒澤はなにかを取り出した。俺の手首を掴み、返した手のひらに、それを乗せる。


「なんで」

「きょうはこれを返しに来たんだ」

「なんで、あんたがこのペンダントを──まさか」


 はたと顔を上げた。


「捨てたっていうのも、はったりだったのか? 維新のことといい。……このペテン師が!」

「ペテン師だなんて、人聞きの悪いことを言わないでくれ。松永のことだって、ちょっと利用させてもらっただけだろう。どうしても、お前にあそこへ行ってもらいたかったから」

「あそこ、って?」

「マキのところだ」


 きのうのゴルフ部でのことをめぐらせた俺は、角が言っていた不可解な言葉も思い出した。ぎゅっとペンダントを握りしめる。


「あいつらをあそこに呼び出したのはあんたか」

「そりゃあ、弟が起こした問題の責任は、兄貴に取ってもらわなきゃだからな。それが兄弟というものだろうし。角たちだって、あの二人にのされて本望だったんじゃないか」

「だとしても、あんなやり方はマジで最低だ」

「それは、せっかくだから誉め言葉ととっておこう」


 くつくつ笑ういやらしい顔を、思いきり睨んでやった。

 マキさんも俺も、きのうどんな目に遭ったのか、その体に教えてやりたかった。

 しかし、残念ながらできるわけもないから、地団駄ふんで、悔しさを紛らわせた。


「なにがカラスだよ。その気になれば、ソッコー角たちを退学にすることもできてたらしいじゃん。てかさ、大体がおかしいんだよ。タバコにビールなんて、校則違反どころのハナシじゃねえし。マキさんのためかなんだか知らないけど、あいつらまで利用するなんて、あんた、稀代のキチク野郎だ」

「まあまあ。……ああ、そうだ。もう一つ報告があったんだ」

「あ?」

「角たちからお前を守れて、ようやく自信が戻ったのか、マキが会長の椅子に座ってくれることになった。そして光洋は農業部へ。それもこれもお前のおかげだ」

「べつに俺を使わなくても、あの二人なら自然に仲直りできたんじゃね」

「それは結果論だろう。たしかに、お前がかき回さなくてもこうなっていたかもしれないし、しかし、いなかったらいつまでも平行線だったかもしれない」

「……」

「考え方ひとつだ。どうせならポジティブにいこうじゃないか」


 そう言うと黒澤は図々しく俺の肩を抱いた。

 それをすかさず払いのける。


「そういうのいらねえから」

「とにかく、お前の働きには本当に助かった。彼について、あれやこれや言ったのも訂正する。というか、俺は心に決めたやつがいるから」

「はい?」


 ……いや、あんたのそういうのには興味ねえから。

 そんな黒澤は、また含みのある笑みを浮かべて俺を見た。

 ざわざわと悪寒が走ったとき、我が家の呼び鈴が鳴った。

 はっとして、俺はいそいそと玄関へ出る。爽やかな笑顔で立つ維新の姿があった。


「卓、おはよう」

「おっす!」


 ほんと、相変わらずめちゃくちゃカッコいい。

 この玄関へ差し込んでくる朝日に負けないくらい輝いている。


「じつは、メイジも一緒だったんだけど、ちょっと風見館へ行っているんだ」

「風見館に?」

「ああ。市川さんが……」


 維新が言葉を切った。俺の背後へ視線を移動させていて、途端に目を見開いた。


「これはこれは松永維新くん」

「……おはようございます」

「ちょっと大事な話があって、卓のところにお邪魔させてもらっていたんだ」


 卓だなんて、ずいぶん馴れ馴れしい呼び方だ。認めた覚えもないのに。

 その黒澤は、自分の靴を履き、敷居をまたいだ。


「それじゃあ、卓。……ああ、そうだ。もう一人のお友だちにもよろしく」


 意味深長な笑みを残し、黒澤は去っていった。

 その残像も追い払うように俺は手を振ってから、維新に目をやった。ものすごく険しい顔をしている。

 それも気になったけれど、俺は時間がないことを思い出して、維新の腕を引っ張った。客間で待っててと促し、急いで食事と支度をすませた。

 ようやく家を出て、庭を抜けたところでメイジと合流する。

 そこで、あっと気づいた。

 さっき黒澤が言った、もう一人のお友だちってのは──。

 メイジもなかなかのイケメンだ。それに、維新よりも見た目は男らしい。

 もしかすると、新しい恋のお相手は……。

 俺は、同情の意を込めて、メイジの肩を叩いた。頑張れと声をかけてやることしかいまはできない。

 そのメイジは、維新と目を合わせ、ゆっくりと首を傾げていた。




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