四
「光洋、中野を頼む!」
マキさんの叫び声が聞こえたと同時に、俺の後ろからだれかが現れた。
そのだれかは、俺の眼前にまで伸びていた腕を取り、ひねり上げる。苦痛に顔を歪めているやつの背中で、掴んでいる手首にまた一段と力を入れ、完全に動きを封じる。
そこへ、二人をわかつように突き出てくるバット。それもたやすくかわすと、俺の後ろから現れたもう一人のマキさんは、相手のみぞおちに的確に蹴りを入れ、のしていった。
あまりの敏捷業に、男の一人が動きを止め、それにつられて全員が立ち止まる。
「市川……」
「お前ら性懲りもなく、また……。今度こそ、きちんとわからせてやる。だれが正しいか」
光洋さんは、余裕の微笑みさえ蓄え、怯んでいる男たちへ向かっていった。
慄きながらも、男たちは迎えうつ。
俺を置いてきぼりにして、肉と肉とがぶつかり合う音が、辺りに影を落としていく。
とはいえ、光洋さんとマキさんの動きには美しさも見える。角たちの野蛮なそれとは全く違った。相手を殴るという同じ行為なんだけど、重みや意味合いが違う。
二人の絆をたしかめ合うようでもあり、だれかのためを思っての拳だ。
そうして全員をのしたあと、意外なほど晴れやかな笑みを交わして、光洋さんとマキさんはハイタッチした。
そこに言葉はいらない。野暮なんだ。
ただ俺は、こっちへ歩み寄ってくる二人を、むすっとした顔で迎えた。
「ぜんぜん納得いかないんすけど」
「まあまあ。これまでのことは、改めて説明したうえで謝るからさ」
そう言って、俺の肩を叩いた光洋さんは、ほっとしたように息をついた。あとからやってきたマキさんも穏やかな表情でいる。
そこで、俺は悟った。
マキさんは、むやみに風見館を拒否していたわけじゃなく、こうやって光洋さんに来てほしかったのかもしれない。光洋さんが手を伸ばしてくれたら、すぐにでも行こうと思っていたんじゃないか。
ひとたび意地を張ったら、とことん貫き通すしかなかった。それを破って、光洋さんには来てほしかったのかもしれない。
どのみち人騒がせには変わりはないけど。
メイジに絵文字だらけのメールをして、奥芝さんの前ではガキみたいになる姿こそが、本当のマキさんなのかもしれない。
「中野」
と、光洋さんが声をかけてきた。そして、点々と転がっている男たちに目をやった。
「こいつらを医務室に連れていって、そのあと、今後のことを真紀も交えてみんなで話し合おうと思う」
光洋さんは、後ろのマキさんをちらっと見てから、「中野はどうする?」と訊いてきた。
辺りは暗くなり始めている。それに気づいて、俺は腕時計を見た。
そこで、維新と約束があったことを思い出した。
光洋さんとマキさんに別れを告げ、俺は家路へ急いだ。その間にも、群青から黒へ、風景は色を変えていた。
校舎へと続く道路から家の庭へと折れ、俺はチャリから降りた。今度は、ハンドルを引いて自分の足で進む。
それに気づいて動く影が見えた。俺のほうへとゆっくり近づいてくる。
声なんて出なかった。
すでにいるとは思ってなかったし、なにを言っていいのかわからなくて、俺は立ち止まった。
「卓。どこに行ってたんだ」
維新の顔には、薄いベールのような闇がかかっていて、よく見えない。それでも声には、怒りだけじゃなく、心配して待っていてくれた音もあった。
「ごめん。維新」
「いや、時間指定していたわけじゃないから、お前が謝る必要なんてないんだ。ただ……」
「うん、ごめん」
堪えきれず、俺は自転車を離すと、維新の胸に顔をくっつけた。ちょっと汗の匂いもするシャツを掴んで、声を震わせた。
「ごめん、維新。……あのペンダント、なくしちゃった」
背中で、維新の手を感じた。ただそっと置かれただけだったけど、すごくドキドキした。
「朝、風見館に行ったら、黒澤に没収されたんだ。アクセサリーは着けてちゃいけないんだって。もちろん、放課後、返してもらいにもう一度あいつのとこに行った。そうしたら、捨てたって言いやがって……」
「卓、顔を上げて」
シャツに額をこすりつけるように首を横に振った。
維新の手が肩にかかる。いささか強く掴まれた。
虫の音と、心音が一際大きくなった。
「必死で探したんだけど、見つからなかった」
「卓」
「あのペンダント、離れ離れだった俺たちをつないでた大切なものだったのに」
維新がさらに力を込め、俺の体を離した。
「卓。いいから顔を上げろって」
「維新……」
俺はシャツを掴んだまま、維新の顔を見上げた。
前からなにげなく見ていたものなのに、いまばかりは、どこに視線を置いたらいいかわからず、すぐに逸らしてしまった。
長い指が俺のあごを捉える。ちょっと持ち上げられた。
俺は逆らわないで、ただまつげをしばたたいていた。
「だったら、ペンダントよりもたしかなつながりをやるよ」
そう言って、維新が顔を近づけてきた。
唇が合わさった。ちょっと触れるだけで、それはすぐに離れた。
次の瞬間、今度はしっかりとくっつく。上唇をはまれて、ついばまれて、足がガクガクした。
だれかとキスすること自体が初めてだったから、引いて見てどきっとして、また受け身に変えて、心が震えた。
維新は唇を離すと、その胸の中に俺を収めた。
ようやく、なにもかもがはっきりしたような気がする。
「卓、ずっと好きだった」
「うん」
「あのとき空港で言うはずだったんだ」
「うん」
「その代わりのペンダントだったから、いまは、もうなくてもいいんだ」
最後は、「うん」じゃなくて、維新をぎゅっとすることで返事をした。
それから見上げた一番星。
二人であの輝きを見られているいまが、なによりの宝物だと、俺は思った。
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