三
「ミケランジェロって……ミケのこと?」
「ああ」
なにをいまさらと言わんばかりに、マキさんは眉をひそめた。
ミケがそんなご大層な名前だったなんて知らなかった。ジョーさんも奥芝さんも、そんなふうに呼んでいなかった。
もしかしたら、ミケに名前をつけたのはマキさんなのかもしれないと思った。
そういえば、けさ、農業部でマキさんを見つけたとき、ミケの小屋の前にいた。
もしかすると、お宝を埋めるためだけに、ミケはここへ来ていたんじゃないのかもしれない。マキさんに会いにも来ていたのかもしれない。
俺は、農業部の台所で見つけた食器を、ふと思い出した。
あそこにいまだ残っているあれらは、ミケがここに埋めている「光るいいもの」と、おんなじなんじゃないだろうか。
──ずっとそこに隠しておきたい、本当は大切な宝物。
「ほんと、きみが羨ましいよ」
鉄仮面のように、それまで一点張りだった表情を、マキさんはくしゃくしゃにした。
少し潤んだ大きな瞳。マキさんは、それを細くしていた。しかし、その目は、たぶん俺を見ていない。
だれかべつの人を、記憶の中に捜しているみたいだった。
「あのとき、僕もきみみたいに素直に言えてたら……」
そこまで言うと、なにかに弾かれるようにして、マキさんは目を配り始めた。
鼻をすすり、指先で目元を撫でている。やっぱり、ちょっとキている手前だったのかもしれない。
だが、マキさんは、その目をまた鋭くさせた。俺にぴったり身を寄せ、持っていたクラブを差し出した。
「中野。これを持っていろ。危なくなったら振り回せ」
とりあえず受け取ってみたけど、俺は首を傾げるしかなかった。
しかし、その真意はすぐにやってきた。
いつの間にか、ゆうべのやつらが俺たちを取り囲んでいた。
「お前らか。俺たちを呼び出したのは」
またもや、一様に金属バットを手にしている。
その角のセリフに、マキさんもおかしいと気づいたらしく、俺を守るように手を広げ、言葉を投げた。
「きみたちを呼び出したってどういうことだ? 僕には覚えのないことだし、ここはゴルフ部の敷地内だ。ほかの部でもめ事を起こすのは、きみたちにとっても、きみたちの部にとっても、誉められたことじゃない」
「そんな説教、いまさらされても、痛くもかゆくもねえ」
角は鼻で笑うと、止めていた足を進めた。
「中野、後ろのグリーンへ走れ」
マキさんは背中で俺を押し、角との距離を計りながら、芝生のほうを指さした。
「……でも」
「なんだ?」
「俺の靴、汚いし」
決して嫌みを言うつもりはなかった。申しわけないと思って、確認のための言葉だったんだ。
しかし、マキさんはやぶにらみすると、こんなときになにを言っているんだと、小さく怒鳴った。
「ここじゃ、自由に身動きがとれないだろう」
そう言ったと同時に、マキさんは俺の手を掴み、走り出した。
はたして、このクラブであのバットに応戦できるものか。俺は走らされながら、そんな心配をしていた。
振り返ってみれば、金属バットを掲げて、角たちが猛然と走ってくる。まるで金棒を持った鬼だ。
マキさんが不意に立ち止まる。グリーンまで行けと、俺に指示して、この手を放した。ひとりできびすを返す。
角たちに向かおうとしていたマキさんの体を、俺は自分の体で止めた。
「なんだ」
「マキさんだけいかせはしない。俺だって男なんだ。マキさんよりも健康だし」
奥芝さんの言葉が俺の脳裏をよぎっていた。そうだ、そうなんだ。マキさんは喘息持ちなんだ。
そんな人に守られるだけでいられるわけがない。たとえ、いまの状況が許容範囲外でも。
俺はゴルフクラブを構えた。
角たちは足を緩め、楽しそうに距離を縮めている。
「おお、おお。迷子の迷子の赤ずきんちゃん。顔もかわいらしいけど、その武器もかわいらしいこと」
金属バットを肩に乗せているヤツ、手のひらで叩きながら歩いているヤツ、振り回しているヤツ。
そのどいつが、いつ襲いかかってきてもおかしくなかった。
「中野。頼むから、後ろのグリーンまで下がってろ」
マキさんが俺の腕を引っ張った。
「……けど」
「きみがいたら足手まといなんだ。僕は大丈夫だから」
渋る俺をマキさんは一喝して、角たちへ向かっていった。振り下ろされる金属バットを避けながら、後ろへ行けと俺に手を振った。
だが、この足は動かなかった。
あいつらはこっちに近づいてくる。
俺はただ茫然と、その顔が迫るときを見つめていた。
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