「ミケランジェロって……ミケのこと?」

「ああ」


 なにをいまさらと言わんばかりに、マキさんは眉をひそめた。

 ミケがそんなご大層な名前だったなんて知らなかった。ジョーさんも奥芝さんも、そんなふうに呼んでいなかった。

 もしかしたら、ミケに名前をつけたのはマキさんなのかもしれないと思った。

 そういえば、けさ、農業部でマキさんを見つけたとき、ミケの小屋の前にいた。

 もしかすると、お宝を埋めるためだけに、ミケはここへ来ていたんじゃないのかもしれない。マキさんに会いにも来ていたのかもしれない。

 俺は、農業部の台所で見つけた食器を、ふと思い出した。

 あそこにいまだ残っているあれらは、ミケがここに埋めている「光るいいもの」と、おんなじなんじゃないだろうか。

 ──ずっとそこに隠しておきたい、本当は大切な宝物。


「ほんと、きみが羨ましいよ」


 鉄仮面のように、それまで一点張りだった表情を、マキさんはくしゃくしゃにした。

 少し潤んだ大きな瞳。マキさんは、それを細くしていた。しかし、その目は、たぶん俺を見ていない。

 だれかべつの人を、記憶の中に捜しているみたいだった。


「あのとき、僕もきみみたいに素直に言えてたら……」


 そこまで言うと、なにかに弾かれるようにして、マキさんは目を配り始めた。

 鼻をすすり、指先で目元を撫でている。やっぱり、ちょっとキている手前だったのかもしれない。

 だが、マキさんは、その目をまた鋭くさせた。俺にぴったり身を寄せ、持っていたクラブを差し出した。


「中野。これを持っていろ。危なくなったら振り回せ」


 とりあえず受け取ってみたけど、俺は首を傾げるしかなかった。

 しかし、その真意はすぐにやってきた。

 いつの間にか、ゆうべのやつらが俺たちを取り囲んでいた。


「お前らか。俺たちを呼び出したのは」


 またもや、一様に金属バットを手にしている。

 その角のセリフに、マキさんもおかしいと気づいたらしく、俺を守るように手を広げ、言葉を投げた。


「きみたちを呼び出したってどういうことだ? 僕には覚えのないことだし、ここはゴルフ部の敷地内だ。ほかの部でもめ事を起こすのは、きみたちにとっても、きみたちの部にとっても、誉められたことじゃない」

「そんな説教、いまさらされても、痛くもかゆくもねえ」


 角は鼻で笑うと、止めていた足を進めた。


「中野、後ろのグリーンへ走れ」


 マキさんは背中で俺を押し、角との距離を計りながら、芝生のほうを指さした。


「……でも」

「なんだ?」

「俺の靴、汚いし」


 決して嫌みを言うつもりはなかった。申しわけないと思って、確認のための言葉だったんだ。

 しかし、マキさんはやぶにらみすると、こんなときになにを言っているんだと、小さく怒鳴った。


「ここじゃ、自由に身動きがとれないだろう」


 そう言ったと同時に、マキさんは俺の手を掴み、走り出した。

 はたして、このクラブであのバットに応戦できるものか。俺は走らされながら、そんな心配をしていた。

 振り返ってみれば、金属バットを掲げて、角たちが猛然と走ってくる。まるで金棒を持った鬼だ。

 マキさんが不意に立ち止まる。グリーンまで行けと、俺に指示して、この手を放した。ひとりできびすを返す。

 角たちに向かおうとしていたマキさんの体を、俺は自分の体で止めた。


「なんだ」

「マキさんだけいかせはしない。俺だって男なんだ。マキさんよりも健康だし」


 奥芝さんの言葉が俺の脳裏をよぎっていた。そうだ、そうなんだ。マキさんは喘息持ちなんだ。

 そんな人に守られるだけでいられるわけがない。たとえ、いまの状況が許容範囲外でも。

 俺はゴルフクラブを構えた。

 角たちは足を緩め、楽しそうに距離を縮めている。


「おお、おお。迷子の迷子の赤ずきんちゃん。顔もかわいらしいけど、その武器もかわいらしいこと」


 金属バットを肩に乗せているヤツ、手のひらで叩きながら歩いているヤツ、振り回しているヤツ。

 そのどいつが、いつ襲いかかってきてもおかしくなかった。


「中野。頼むから、後ろのグリーンまで下がってろ」


 マキさんが俺の腕を引っ張った。


「……けど」

「きみがいたら足手まといなんだ。僕は大丈夫だから」


 渋る俺をマキさんは一喝して、角たちへ向かっていった。振り下ろされる金属バットを避けながら、後ろへ行けと俺に手を振った。

 だが、この足は動かなかった。

 あいつらはこっちに近づいてくる。

 俺はただ茫然と、その顔が迫るときを見つめていた。

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