二
黒澤は、白い壁に背をもたせかけると、腕を組み、言葉を続けた。
「俺たちは、マキ以外の人間に生徒会長を任せることは、最初から考えていなかった。お前には悪いが」
「……あっそ」
俺は固く目を閉じた。その冷徹な顔に、投げつけたい文句もいろいろあったけど、あまりにアホらしくて、ため息しか出なかった。
いろいろ覚悟してきたのがバカみたいだ。
「だったら、俺はこれで」
ドアノブを掴んだところで、俺は動きを止めた。
すでに背後に迫っていた黒澤が大きな手の平でドアを押さえつけた。視界の端にあの笑みも見える。
それをキッと睨みつけて、俺は無理やりノブを引いた。
「な……んだよ!」
「まあ、待て。中野卓。俺のためを思って朝早くから来てくれたんだ。もう少しゆっくりしていけ」
「さっきはすげえ迷惑そうな顔してたくせに。それに、あんたのためだけに会長をやろうと思ったわけじゃない」
両足を踏ん張って必死にノブを引いてもびくともしない。
それをあざ笑うかのように、黒澤は余裕綽々の顔で、しかも片手でドアを押さえている。
「わかってる。松永のためだろう? だが、一足遅かった」
「は?」
「お前には悪いと思ったんだが、きのう美味しくいただいた」
俺は黒澤を見上げた。
──美味しくいただいた。
その本当の意味がすぐにはわからなかった。
「はあ?」
「最初はかなり抵抗されたが、最後はよほどよかったのか、やっとおとなしくなってくれた。体の相性もよかったみたいだし」
開いた口が塞がらなかった。
冗談も休み休み言えとは、まさしくこのことだ。はったりかますなら、もうちょっとましなやつにしろ。
「うそつけ!」
「……嘘? いまのが嘘だと、なぜ言い切れる?」
「だって」
「ここではなにもなかったと松永が言ったから? それとも、ただ気に入っただけで手は出さないと、俺が言ったから?」
「……」
「親友だからって、なにもかもお前に正直に言うと思ったら大間違いだ」
俺はノブから手を離した。
そこをついて、黒澤が指先を伸ばしてくる。
襟のあいだから、あのペンダントのチェーンをなぞる。
「たしか前に忠告したはずだ」
俺の頭に「即没収」の文字が浮かんだ。しかし、簡単には渡せない。
素早くノブを引く。
それを上回る速さで黒澤が足を出し、ドアを押さえた。
「てめえ……」
「規則違反を犯したのはお前だ。そうやって睨まれる覚えは俺にはない」
唇を噛む俺の前に、手の平が差し出される。始終にこやかなのがまた腹立った。
「早く外さないとずっとこのままだ。なんなら、きのうのことをもっと詳しく──」
「いらねえよ!」
俺はペンダントを外して、黒澤の手に置いた。激しく、乱暴に。
「でも、俺も鬼じゃない。放課後に来てくれれば、そのときに返す」
黒澤は言いながら、ようやくドアから離れた。
それにはなにも答えず、俺は応接室から出た。怒気を撒き散らし、廊下を進む。
「中野!」
広いエントラスホールに出ると、上から光洋さんの声が降ってきた。
大きなドアの向かいに、左右に別れる階段があって、その一方を駆け下りてくる姿があった。
さっき農業部の前庭で会った顔と瓜二つ。
女装をしていない光洋さんをじっくり見るのは初めてで、俺は挨拶も忘れ、ぼうっと見とれていた。
「中野……。そんなに俺の顔はおかしいか」
不愉快そうに、光洋さんは顔を歪めている。
俺は慌てて頭を下げた。
「す、すみません」
「中野」
「はいっ」
「ゆうべといい、内輪ごとで、いろいろ迷惑かけた」
俺は首を横に振った。それから光洋さんのワイシャツに目をやって、どの校章バッジもつけられてないことに気づいた。
「シゲやクロから真紀のことを聞いていると思うけど、まあ、そういうことだから……」
言葉を濁し、光洋さんは目を伏せた。
本当は、突っ込んで訊いてみたいこともあった。しかし、そんなふうにされると、気軽に触れるのもためらわれた。
光洋さんは頭のいい人だと思う。だから、どれほど自分が周りに迷惑をかけたか、痛いくらいわかっているはずだ。それでも、ああいうふうにしなければならなかった。奥芝さんが言った通り、そうするしか方法はなかったんだ。
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