四
「卓。見回りがすんだら、風見館のヤツらに報告しなきゃならないんだ。覚えとけ」
「……は?」
「奥芝に聞いたんだろ? ここは農業ばかりしているところじゃないって」
「聞きましたけど。そうじゃなくて。覚えとけって、なんでそんなこと俺に……」
「そりゃあ、決まってんだろ」
鼻と鼻がぶつかりそうな位置まで、ジョーさんの顔が近づいてきた。びっくりした俺は、思わず立ち上がった。
「近ぇっての!」
「巻さん」
いつも以上に無表情な維新が、テーブルを叩いて腰を上げた。
「卓は農業部には行きませんよ。というか、行かせません。第一、ここの仕事が卓に務まるわけがないじゃないですか」
やっぱり、そういうつもりでジョーさんは言ったのか。
でも、維新の言い方にもちょっと反論したくなった。……が、一手先を読んで、泣く泣く呑み込んだ。
生徒会の補佐役が務まるとは、自分でも思わない。生徒会長として風見館に入れば、多少なりとも守ってくれるものがありそうだけど、ここはそうもいかなさそう。
それ以前に、ジョーさんと一つ屋根の下、寝食を共にするなんてまっぴらごめんだ。
だから俺は、維新の言葉に思いっきり頷いてみせた。
「飯炊きぐらいいけんだろ」
「俺、料理できないし」
「なんでも一から教えてやるって」
「遠慮しときます」
「卓~」
ジョーさんの手が触れそうになったとき、俺はものすごい力で横に引っ張られた。
そのままの勢いでキッチンを出される。維新が俺をぐいぐい引っ張っていた。
ジョーさんはなぜ俺にこだわるのか。それもよくわからないけど、そのたびに珍しく感情をむき出しにする維新も、なんだか変だった。
夜も更け、俺と維新は交代でお風呂をもらった。
ついでにお泊まりセットももらって、先にお風呂から上がった俺は、パジャマに着替えると、二つの布団のあいだであぐらをかいた。
維新と同じ部屋で寝るなんて、中学の野外活動以来だ。
ただ、あのときは俺たちだけじゃなかったから、二人きりというのは初めてだ。
それに気づくと、急に心臓がドキドキいい出した。
にわかに足音が近づく。障子が開かれ、どきっとした俺は、鴨居をくぐる維新を振り仰いだ。
そして、目をむく。
同じお泊まりセットをもらったのだから、それは仕方ないんだけど、いまどきないペアルックだ。
ものすごく恥ずかしい。
後ろ手で障子を閉めた維新は、俺に背を向け、布団の上であぐらをかいた。
なんとなく間を持ちたくなくて、俺はすぐさま声をかけた。
「あ、あのさ。維新。なんで俺がここにいるってわかった?」
俺に背中を見せたまま、維新は「ああ」と頷いた。
「メイジとホールで打ちっぱなしをしてて、いい時間になったから、後片付けをして寮に戻ったら、見慣れない自転車があったんだ。だれのかと思えば、卓の名前がついてた」
ジョーさんが借りていったやつだ。
「卓がどうして、うちの部の、しかも寮にいるんだろうと、メイジと一緒に寮へ入ったら──」
「ジョーさんがいたんだ」
維新は首を縦に落とした。ようやく体を返し、こっちを向く。
「卓のを借りてきたと言っていた」
「違ぇよ。勝手に乗ってったんだよ」
「それと、寮の留守番を卓に任せてきたとも言っていた」
「マキさんとなにか言い合ってなかった?」
「言い合ってた。そのうち、市川さんが自分の部屋から出てこなくなって、話し合いは平行線になったんだ。長引きそうだったし、卓も困ってるんじゃないかと思って、俺が自転車を返しに行くことになった」
ジョーさんとマキさんの話し合いは、やっぱり光洋さんとのことだったらしい。
それも、一方的にジョーさんが言うだけで、シカトしまくってたマキさんは暖簾に腕押し状態だったと、維新は言った。
「あのとき……維新の姿が見えたとき、すげえ嬉しかった。ケガまでさせてしまって、こんなこと言うのもなんだけど」
「……」
「ほんと、ありがとう」
顔の鬱血や腫れが、さっきよりはマシになっているとはいえ、まだ痛々しい。
だから、直視はできない。
そして、そんな俺を、維新は見逃さなかった。
「卓……」
「もう寝よう」
このまま話を続けていると、また涙が出てきそうだった。ごまかすように、俺は薄い布団の中へ入った。
もう一度、ごめんと口の中で呟く。
すると、なにかを言う小さな声が聞こえた。
俺は布団から顔を出し、まだあぐらをかいたままでいる維新を見た。
「維新、いまなに言って──」
「いや。……ことしは残念ながら間に合わなかったから、来年こそはと思って」
「うん?」
「ホタル。来年は絶対に見に行こう」
思わず体を起こした。
維新は、不得手ながらも、精いっぱいの笑みを見せていた。
「維新……」
ホタルのことなんて、きっと自然消滅していて、すっかり忘れ去られていると思っていた。
風見原に来てからは、ほったらかしにされることもあって、なおさら覚えててくれているとは思っていなかった。
「卓を巻き込ませたくなかった」
「え?」
「黒澤さんが大食堂に現れたとき、すごくいやな予感がした。市川さんのこともいろいろ聞いていたし、俺もメイジも、とにかく卓が変なことに巻き込まれないようにしたかった。いっそなにも教えないほうがいいと思ったんだ。でも、それでさみしい思いや悲しい思いをさせたなら……本当にすまない」
俺は布団を掻いてとなりに移ると、維新を思いっきり抱きしめた。
やっぱり維新は維新だ。あのころと少しも変わっていない。
それが嬉しくて。それで胸がいっぱいで。ただただ、強く抱きしめた。
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