「卓。見回りがすんだら、風見館のヤツらに報告しなきゃならないんだ。覚えとけ」

「……は?」

「奥芝に聞いたんだろ? ここは農業ばかりしているところじゃないって」

「聞きましたけど。そうじゃなくて。覚えとけって、なんでそんなこと俺に……」

「そりゃあ、決まってんだろ」


 鼻と鼻がぶつかりそうな位置まで、ジョーさんの顔が近づいてきた。びっくりした俺は、思わず立ち上がった。


「近ぇっての!」

「巻さん」


 いつも以上に無表情な維新が、テーブルを叩いて腰を上げた。


「卓は農業部には行きませんよ。というか、行かせません。第一、ここの仕事が卓に務まるわけがないじゃないですか」


 やっぱり、そういうつもりでジョーさんは言ったのか。

 でも、維新の言い方にもちょっと反論したくなった。……が、一手先を読んで、泣く泣く呑み込んだ。

 生徒会の補佐役が務まるとは、自分でも思わない。生徒会長として風見館に入れば、多少なりとも守ってくれるものがありそうだけど、ここはそうもいかなさそう。

 それ以前に、ジョーさんと一つ屋根の下、寝食を共にするなんてまっぴらごめんだ。

 だから俺は、維新の言葉に思いっきり頷いてみせた。


「飯炊きぐらいいけんだろ」

「俺、料理できないし」

「なんでも一から教えてやるって」

「遠慮しときます」

「卓~」


 ジョーさんの手が触れそうになったとき、俺はものすごい力で横に引っ張られた。

 そのままの勢いでキッチンを出される。維新が俺をぐいぐい引っ張っていた。

 ジョーさんはなぜ俺にこだわるのか。それもよくわからないけど、そのたびに珍しく感情をむき出しにする維新も、なんだか変だった。





 夜も更け、俺と維新は交代でお風呂をもらった。

 ついでにお泊まりセットももらって、先にお風呂から上がった俺は、パジャマに着替えると、二つの布団のあいだであぐらをかいた。

 維新と同じ部屋で寝るなんて、中学の野外活動以来だ。

 ただ、あのときは俺たちだけじゃなかったから、二人きりというのは初めてだ。

 それに気づくと、急に心臓がドキドキいい出した。

 にわかに足音が近づく。障子が開かれ、どきっとした俺は、鴨居をくぐる維新を振り仰いだ。

 そして、目をむく。

 同じお泊まりセットをもらったのだから、それは仕方ないんだけど、いまどきないペアルックだ。

 ものすごく恥ずかしい。

 後ろ手で障子を閉めた維新は、俺に背を向け、布団の上であぐらをかいた。

 なんとなく間を持ちたくなくて、俺はすぐさま声をかけた。


「あ、あのさ。維新。なんで俺がここにいるってわかった?」


 俺に背中を見せたまま、維新は「ああ」と頷いた。


「メイジとホールで打ちっぱなしをしてて、いい時間になったから、後片付けをして寮に戻ったら、見慣れない自転車があったんだ。だれのかと思えば、卓の名前がついてた」


 ジョーさんが借りていったやつだ。


「卓がどうして、うちの部の、しかも寮にいるんだろうと、メイジと一緒に寮へ入ったら──」

「ジョーさんがいたんだ」


 維新は首を縦に落とした。ようやく体を返し、こっちを向く。


「卓のを借りてきたと言っていた」

「違ぇよ。勝手に乗ってったんだよ」

「それと、寮の留守番を卓に任せてきたとも言っていた」

「マキさんとなにか言い合ってなかった?」

「言い合ってた。そのうち、市川さんが自分の部屋から出てこなくなって、話し合いは平行線になったんだ。長引きそうだったし、卓も困ってるんじゃないかと思って、俺が自転車を返しに行くことになった」


 ジョーさんとマキさんの話し合いは、やっぱり光洋さんとのことだったらしい。

 それも、一方的にジョーさんが言うだけで、シカトしまくってたマキさんは暖簾に腕押し状態だったと、維新は言った。


「あのとき……維新の姿が見えたとき、すげえ嬉しかった。ケガまでさせてしまって、こんなこと言うのもなんだけど」

「……」

「ほんと、ありがとう」


 顔の鬱血や腫れが、さっきよりはマシになっているとはいえ、まだ痛々しい。

 だから、直視はできない。

 そして、そんな俺を、維新は見逃さなかった。


「卓……」

「もう寝よう」


 このまま話を続けていると、また涙が出てきそうだった。ごまかすように、俺は薄い布団の中へ入った。

 もう一度、ごめんと口の中で呟く。

 すると、なにかを言う小さな声が聞こえた。

 俺は布団から顔を出し、まだあぐらをかいたままでいる維新を見た。


「維新、いまなに言って──」

「いや。……ことしは残念ながら間に合わなかったから、来年こそはと思って」

「うん?」

「ホタル。来年は絶対に見に行こう」


 思わず体を起こした。

 維新は、不得手ながらも、精いっぱいの笑みを見せていた。


「維新……」


 ホタルのことなんて、きっと自然消滅していて、すっかり忘れ去られていると思っていた。

 風見原に来てからは、ほったらかしにされることもあって、なおさら覚えててくれているとは思っていなかった。


「卓を巻き込ませたくなかった」

「え?」

「黒澤さんが大食堂に現れたとき、すごくいやな予感がした。市川さんのこともいろいろ聞いていたし、俺もメイジも、とにかく卓が変なことに巻き込まれないようにしたかった。いっそなにも教えないほうがいいと思ったんだ。でも、それでさみしい思いや悲しい思いをさせたなら……本当にすまない」


 俺は布団を掻いてとなりに移ると、維新を思いっきり抱きしめた。

 やっぱり維新は維新だ。あのころと少しも変わっていない。

 それが嬉しくて。それで胸がいっぱいで。ただただ、強く抱きしめた。




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