二
ほどなくして、廊下をどしどしと進む足音が響いた。
俺がヤバいと思ったときにはもう遅くて、囲炉裏の向こうから姿を現したジョーさんに見つかってしまった。
バッチリと目が合う。
「卓……」
「す、すみません!」
頭を下げてしまってから、それは墓穴を掘る結果になることに、俺は気づいた。
ところがジョーさんは、立ち聞きしていた俺を咎めるどころか、当たり前のようにこの頭を撫でて、土間へと下りてきた。そして、急いでビーサンを突っかけ、俺が開け放っていた戸をすり抜けた。
「卓、ちょうどよかった。留守番頼む」
早口でそう残し、ジョーさんはあろうことか、前庭に停めてきた俺の自転車に跨った。
「ついでにこれも借りてくから」
「ちょ、ちょっと!」
ジョーさんを追いかけて、俺は坂まで走ったが、下るのは思いとどまった。
相手が自転車じゃなくても、きっと追いつけやしない。ムダな体力を使うだけだ。
それに、頼むと言われた以上、ここをほったらかしにもできない。
俺はため息を吐き、カタツムリのごとく、そろそろときびすを返した。
その途中で耳にしたカラスの鳴き声。夕暮れが近いことと、きょうもなにも進展しないことを悟った。
ジョーさんはもしやマサノリさんに会いに行ったのでは──。
俺がそれに気づいたのは、寮のキッチンに落ち着いてからだった。
食卓の椅子へ腰を下ろし、手持ちぶさたから、とりあえず辺り見渡してみる。
カップボードにいくつかある扉の二つほどに、小さなシールが貼ってあった。
俺は椅子を離れ、そのシールを眺めた。下の扉には奥芝さんの名前もある。
ジョーさんのは上にあった。
なるほど、食器類は、ここでは共同のものではないらしい。
二人の場所がやけに離れている気もするけど、ジョーさんを敬っている感じの奥芝さんだから、それもすぐに納得できた。
上下の扉に挟まれた格好で引き出しもある。そこにもシールが貼ってあった。
“真紀&光洋”
そうペンで手書きされてある。
「まきあんど、こう──」
俺は、あのマキさんを思い浮かべ、すぐに首を傾げた。
仮にあの人だとして、なぜ、ゴルフ部の人間の名前がここにあるのだろう?
違うマキさんだったとして、この学校には一体、何人の「マキ」がいるのだろう?
わけがわからない。
首をひねりながら、俺はもう一度、シールに書かれてある名前を見た。そして、ものすごい思い違いをしていたことに気づいた。
あれは、マサノリだ。マキじゃなくて、たぶん「マサノリ」と読むんだ。
それでもって、となりはミツヒロだ。
俺は引き出しを開けてみた。
当たり前だが、そこには食器しか入っていない。しかし、中身を見て確信した。
柄は同じだけど、色は違う。ありとあらゆる食器が二つずつある。
ちょっとしたデジャヴを感じた。
保育所のころ、近所に住んでいた仲良し姉妹も、こんなふうにお揃いの食器を使っていた。
──間違いない。
さっき見かけたマキさんが、前に会ったときと雰囲気が違っていたのは、そういうことだったんだ。あれは、メイドの格好をしていない本来のミツヒロさんなんだ。
引き出しの中身にじっと視線を落としていたら、廊下のほうから大きな物音がした。
何事かと、俺はキッチンを飛び出た。
全身黒ずくめで目出し帽を被った男たちが、土足で廊下を進んでいる。
「まさか、こんなところで再会できるなんてな」
その声を聞いて、あの樹海で昼間に会ったやつらだとわかった。
俺は逃げようと足を出したが、すでに遅かった。捕まってしまってからも、その腕から逃れようと無我夢中で暴れた。
「俺なんか捕まえたって面白くもないだろ! 放せよ!」
「いやいや。とんだめっけもんだ」
後ろからがっちりと抱え込まれ、完全に動きを封じられた。
周りのやつらが持っている金属バットに、俺の目はいった。一気に青ざめる。
そこへ、新たな声が割って入ってきた。
「中野!」
男たちが一斉に振り返った。
「市川……。やっと来たか」
俺の頭上にある口がそう言った。
──イチカワ。
俺の視界を遮る、まさしく「カラス」のような男たちのあいだから、マキさんの姿を見た。
こんな事態でも、まったく怯む様子のない鋭い目つき。
……いや。あれは、格好は違えど、メイドのミツヒロだ。
「みっちゃん!」
奥芝さんもやってきた。光洋さんを庇うように、ずいと前へ出る。
そこで初めて俺の存在に気づいたのか、奥芝さんは目を丸くしていた。
「卓……」
俺の後ろのやつを睨むように強く見据えた奥芝さんを、光洋さんが制した。お前は下がってろと言うように、さらに前へ出る。
一触即発の空気が、俺の心臓をピリピリさせた。
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