ほどなくして、廊下をどしどしと進む足音が響いた。

 俺がヤバいと思ったときにはもう遅くて、囲炉裏の向こうから姿を現したジョーさんに見つかってしまった。

 バッチリと目が合う。


「卓……」

「す、すみません!」


 頭を下げてしまってから、それは墓穴を掘る結果になることに、俺は気づいた。

 ところがジョーさんは、立ち聞きしていた俺を咎めるどころか、当たり前のようにこの頭を撫でて、土間へと下りてきた。そして、急いでビーサンを突っかけ、俺が開け放っていた戸をすり抜けた。


「卓、ちょうどよかった。留守番頼む」


 早口でそう残し、ジョーさんはあろうことか、前庭に停めてきた俺の自転車に跨った。


「ついでにこれも借りてくから」

「ちょ、ちょっと!」


 ジョーさんを追いかけて、俺は坂まで走ったが、下るのは思いとどまった。

 相手が自転車じゃなくても、きっと追いつけやしない。ムダな体力を使うだけだ。

 それに、頼むと言われた以上、ここをほったらかしにもできない。

 俺はため息を吐き、カタツムリのごとく、そろそろときびすを返した。

 その途中で耳にしたカラスの鳴き声。夕暮れが近いことと、きょうもなにも進展しないことを悟った。





 ジョーさんはもしやマサノリさんに会いに行ったのでは──。

 俺がそれに気づいたのは、寮のキッチンに落ち着いてからだった。

 食卓の椅子へ腰を下ろし、手持ちぶさたから、とりあえず辺り見渡してみる。

 カップボードにいくつかある扉の二つほどに、小さなシールが貼ってあった。

 俺は椅子を離れ、そのシールを眺めた。下の扉には奥芝さんの名前もある。

 ジョーさんのは上にあった。

 なるほど、食器類は、ここでは共同のものではないらしい。

 二人の場所がやけに離れている気もするけど、ジョーさんを敬っている感じの奥芝さんだから、それもすぐに納得できた。

 上下の扉に挟まれた格好で引き出しもある。そこにもシールが貼ってあった。


“真紀&光洋”


 そうペンで手書きされてある。


「まきあんど、こう──」


 俺は、あのマキさんを思い浮かべ、すぐに首を傾げた。

 仮にあの人だとして、なぜ、ゴルフ部の人間の名前がここにあるのだろう?

 違うマキさんだったとして、この学校には一体、何人の「マキ」がいるのだろう?

 わけがわからない。

 首をひねりながら、俺はもう一度、シールに書かれてある名前を見た。そして、ものすごい思い違いをしていたことに気づいた。

 あれは、マサノリだ。マキじゃなくて、たぶん「マサノリ」と読むんだ。

 それでもって、となりはミツヒロだ。

 俺は引き出しを開けてみた。

 当たり前だが、そこには食器しか入っていない。しかし、中身を見て確信した。

 柄は同じだけど、色は違う。ありとあらゆる食器が二つずつある。

 ちょっとしたデジャヴを感じた。

 保育所のころ、近所に住んでいた仲良し姉妹も、こんなふうにお揃いの食器を使っていた。

 ──間違いない。

 さっき見かけたマキさんが、前に会ったときと雰囲気が違っていたのは、そういうことだったんだ。あれは、メイドの格好をしていない本来のミツヒロさんなんだ。

 引き出しの中身にじっと視線を落としていたら、廊下のほうから大きな物音がした。

 何事かと、俺はキッチンを飛び出た。

 全身黒ずくめで目出し帽を被った男たちが、土足で廊下を進んでいる。


「まさか、こんなところで再会できるなんてな」


 その声を聞いて、あの樹海で昼間に会ったやつらだとわかった。

 俺は逃げようと足を出したが、すでに遅かった。捕まってしまってからも、その腕から逃れようと無我夢中で暴れた。


「俺なんか捕まえたって面白くもないだろ! 放せよ!」

「いやいや。とんだめっけもんだ」


 後ろからがっちりと抱え込まれ、完全に動きを封じられた。

 周りのやつらが持っている金属バットに、俺の目はいった。一気に青ざめる。

 そこへ、新たな声が割って入ってきた。


「中野!」


 男たちが一斉に振り返った。


「市川……。やっと来たか」


 俺の頭上にある口がそう言った。

 ──イチカワ。

 俺の視界を遮る、まさしく「カラス」のような男たちのあいだから、マキさんの姿を見た。

 こんな事態でも、まったく怯む様子のない鋭い目つき。

 ……いや。あれは、格好は違えど、メイドのミツヒロだ。


「みっちゃん!」


 奥芝さんもやってきた。光洋さんを庇うように、ずいと前へ出る。

 そこで初めて俺の存在に気づいたのか、奥芝さんは目を丸くしていた。


「卓……」


 俺の後ろのやつを睨むように強く見据えた奥芝さんを、光洋さんが制した。お前は下がってろと言うように、さらに前へ出る。

 一触即発の空気が、俺の心臓をピリピリさせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る