嫌らしく横に伸びた口がとにかく気持ち悪い。

 俺はずるずる引っ張られ、草むらの中へと連れていかれた。


「ヤだ! 放せよ! ……ひっ」


 腰を落としてなんとか抵抗していると、横の茂みからだれかが割って入ってきた。俺がびっくりしたと同時に男の手が離れ、その反動で背中を着いてしまった。


「大丈夫か?」


 わけのわからないまま、とりあえず上体を起こす。すると、だれかが俺の横で膝を折った。

 風見館のメイド──もとい、あのミツヒロだった。

 胸の膨らみもバッチリメイクもきのう会ったときと同じ。もちろん純白のメイド服も。

 違うのは、どこかで見たことのあるような隙のない目つきと、やっぱり男なんだと再認識させられた低い声。


「ミツヒロ……」

「中野。早く立て」


 俺をさっき引っ張っていた男はどうしたのかと、腕を引かれながら思った。

 そのミツヒロの後ろに大きな影が現れた。


「──カワ……てめえ。そんな変装してまで……」

「ミツヒロ、後ろ!」


 俺の声を聞くか聞かないかのタイミングで、ミツヒロは、後ろから伸びてきた男の腕をよけた。俺の手首を取り、鉄砲玉のように勢いよく走り出した。

 その後ろで口笛が鳴る。

 自慢じゃないけど、俺は走るのが苦手だ。

 それなのにミツヒロは、ものすごく足が速いときたもんだ。

 俺は思いっきりすっころんだ。

 ミツヒロの足も止まる。


「中野」

「ごめん。俺、もう走れない……って、わっ」


 急に体が浮いた。

 ミツヒロの顔が間近にあって、自分がどういう状態にあるのか、俺は一瞬わからなかった。

 どこかの茂みに体を下ろされてからやっと理解できた。

 メイドに「お姫さま抱っこ」されたなんて、末代までの恥だ。

 ミツヒロは俺とそう背丈も変わらないし、ガタイがいいわけでもない。むしろ華奢なくらいだ。


「ミ、ミツ」

「しっ」


 ミツヒロは肩を上下させ、俺の口を手で塞いだ。

 俺たちが隠れている茂みの脇を数人の足が行き交う。なにかを叫んでいる声も聞こえた。

 心臓が、壊れそうなくらいにドキドキいってる。

 だが、ミツヒロが見つけたこの茂みは隠れるのに絶好の場所だったみたいで、ヤツらの気配はすぐにどこかへ消えた。


「はあ……」


 俺の口から手を外したミツヒロがあぐらをかいて脱力した。

 もちろんメイドの格好のままだ。

 靴はさすがにスニーカーだったけど、ヒラヒラのミニスカも、白のハイソも健在で、あれだけいろいろ見せられていても、まだどこかミツヒロが男だとは信じ切れていない自分がいた。

 そのミツヒロが不意に顔を上げる。釘づけになっていた俺を見て、ため息を吐いた。


「つうか中野。お前、こんなとこでなにしてたんだ? 大体いま授業中だろ」

「いやいや。ミツヒロこそ、授業サボってこんなとこでなにしてんだよ。だからバッジが──」

「さん、がない」


 眉間にしわを寄せたミツヒロが低い声で言った。


「え?」

「だから、俺はセンパイなわけ」

「えっ」

「ミツヒロさん、だろうが」


 俺はしばらくミツヒロ……さんの顔を見つめていた。目をしばたたく。


「そ、そうスか。センパイすか」

「で?」


 後頭部をがしがしと掻いて、はすにミツヒロさんが見上げてきた。

 毛先がかわいらしくカールしているその髪は、カツラのはずなのに、これまた地毛かと思うくらい彼に馴染んでいる。

 はっきり言ってどうでもいいことなんだけど、逐一チェックしてしまう自分がいる。


「中野?」

「あ、ええと。俺、いまの時間が大和の授業で、きょうは茶道らしいんですけど、ミツヒロさんもご存じの通り、特別教室に行くにはここを越えないといけなくて──」

「中野」

「はい?」

「お前、教えてもらわなかったんだな」


 俺は、もう一度まつげをしばたたいて、ミツヒロさんを見た。


「いいか中野。ここは暗く、人の目にもつきにくい。だから、ああいうやつらのたまり場になってるんだ。一般の生徒はまず避けて通る場所なんだよ」

「はい……」

「たしかに、一年のいる桜舎(おうしゃ)から茶道室へ行くには、ここを通るほうが早い。しかし、安全を考えて中舎(ちゅうしゃ)を通って橘舎(きっしゃ)から出ていく。一応、風見原の常識だ」


 ミツヒロさんの言葉を聞きながら、俺は徐々に顔を俯けた。目を伏せ、下唇を噛む。

 維新もメイジも、そんなことはちっとも教えてくれなかった。

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