カラス



 転入四日目にして、俺はとうとう本物の迷子になっていた。

 それも、よりによって授業中にだ。


「なにここ? マジ、わけわかんねえから!」


 ついさっき五時間目の授業を知らせるチャイムが鳴った。

 それなのに俺は、ジャングルみたいな樹海みたいなこの林の中で、ぽつんと立ち尽くしていた。


「維新~、メイジ~」


 半べそ状態の情けない声はこだまさえしない。セミの声に虚しくかき消された。

 トイレに行っていただけで、また置いてきぼりを食らわされるなんて……。

 二人にとって、やっぱり俺は、そんなに必要とされる存在じゃないのかもしれない。

 わずかでもそれをよぎらせたら、半べそが本べそになりそうだった。

 そんな状況の俺を知る由もないクラスメートたちがいま受けている授業は、『大和(やまと)』というふざけた名前の科目。説明するまでもなく、風見原の独自のもので、その内容はじつに変わっていた。

 大和。つまりは、日本魂を大事にしよう、みたいな考えのもとあみ出された授業らしい。

 茶道に、華道に剣道。香道や弓道もあったり、雅楽もあるらしい。しかも、それ専用の教室がこの広大な敷地に点在しているんだから、そのスケールはもはや授業じゃなく、一種の嫌がらせに近いと俺は思った。

 もちろん、その特別教室には維新とメイジと行くことになっていた。が、用足しをしているあいだに置いてかれてしまったんだ。

 だから仕方なく、ひとりで校舎の案内板を確認して、さみしい移動となったわけなのである。

 たしかに、茶道室へ行くまでにこの樹海があることは、あの案内板にも示されていた。

 でも、ここは学校だろ。

 まさか、こんなにリアルでバカ広いとは、だれも思わねえって話だ!


「なんか……寒い」


 入り口付近は明るく、ちょっとした森林浴みたいで楽しそうだったのに、進めば進むほど暗雲が漂ってきた。

 鬱蒼と生い茂る葉が陽光を遮断し、まるで冷暗所みたいだった。

 暑いときにはいい場所だろうけど、できれば長居はしたくない。ヘンな鳥もギャアギャア騒いでる。

 再び草を掻き分けつつ歩き始めたら、不思議な場所に出た。

 土がむき出しになっていて、ごみがやたらに落ちている。パッと見、ジュースの空き缶だと思っていたのは実際にはビールで、紙みたいに見えたものはタバコの吸いがらだった。

 ──何度も言うけど、ここは学校だ。

 この形跡はどう見たって穏やかじゃない。

 ここでたむろっていただろうだれかさんたちは、明らかに高校生あるまじき行為を犯している。

 生唾を飲み込んだと同時に、なにかを踏みしめるような音が背後でした。草がこすれ合う音もした。

 俺はとっさに悟る。

 この場所を作った主たちが帰ってきた、と。


「市川ぁ!」


 低い怒号がこの背中を刺した。俺は一瞬にしてすくみ上がり、振り返ることすらできなかった。


「一人で来るとは相変わらずいい度胸してんじゃねえか。だが、会長職を失脚したお前に、俺たちを取り締まる権利はなくなったんじゃねえのか? ああ?」


 ドスを利かせた声が、すぐ後ろにまで迫る。

 たぶん……いや。絶対にそうに違いなかった。

 後ろのヤバそうなだれかさんも、あのときのジョーさんや奥芝さんと同じく、俺をマサノリさんと間違えていた。


「市川ぁ、なんとか言え」


 ものすごい力で肩を掴まれた。

 とりあえず、マサノリさんのふりでもしようと口を開けたけど、なんのセリフも出てこない。

 当たり前だ。

 俺、マサノリさんに会ったことないんだから!


「おい!」


 最初の怒号より鋭さが増した声。

 俺は否応なしに、後ろのだれかさんのほうを向かされた。

 しばしの沈黙。

 恐る恐る上目づかいを送れば、やたらゴツい顔つきの男が目を見開いていた。

 ゴツい男の後ろにも目をやって、俺は思わず視線を逸らした。ゴリマッチョなお仲間さんたちが、揃いも揃ってメンチ切っている。

 ──殴られる。

 もしかしたら、集団リンチになるかもしれない。

 きっとここは、この人たちの大切な、秘密の花園なんだ。そこへ、元会長であるマサノリさんに踏み込まれるならまだしも、見つけてしまったのが、自分でいうのもあれなへなちょこヤローだ。

 それこそ、口止めなんてへのかっぱだろう。


「驚いたな……。市川たち以外にもこんなヤツがいたなんて。さしずめお前は、森に迷った赤ずきんチャンてとこか」

「……」


 迷子の迷子の子猫チャンだの、赤ずきんチャンだの。ヒトをなんだと思ってるんだ。

 口返答を投げつけてやろうとしたが、それを遮るかのように二の腕を掴まれた。


「顔貸せ」

「はあ? ちょっ、ヤだよ! 放せっ!」

「おお、おお。俺好みの威勢のよさだな。面白い。いじめがいがありそうだ」

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