──一か八か。市川サンのことを切り出してみようか。

 でも、いきなり本人だったら、それはそれで先行き不安が拭えない。

 だってこの人、鶴の一声をガンガン発しそうだし、あの黒澤と肩を並べられそう。

 うかつに説得を試みて、逆に丸め込まれて、説教されるなんてオチになってもアレだ。しかも、生徒会長って言葉に相当ナーバスになってるらしいし。


「なんだ? 『俺』のあとはどうした? とくに用がないなら、早く自分の寮に戻れ」

「いや、あの」

「はっきりしないやつだな。そんなことだと、ここではやっていけないぞ」

「……」


 俺はうなだれた。

 思ったそばから説教なんて、いよいよこの人が市川サンで決まりじゃん。

 つうか、ここまできたら、もうどうにでもなれだ!

 市川サンがどんな人であろうとも、生徒会長の椅子に戻ってくれなきゃ、俺があそこに閉じ込められるはめになるんだ!


「あの、市川サン! 黒澤さんは、たしかに性格がねじ曲がっていて、一緒に仕事すんのも、もううんざりかもしれませんけど、あなたが風見館に戻ってくれないと、俺がすっげえ困るんです!」


 その人を真っすぐに見つめ、俺は叫んだ。

 すると、大きな瞳がわずかに見開かれて、視線は外れた。

 はたしてなにが返ってくるのか。

 息を凝らす俺に向かい、その人はゆっくりと口を開いた。


「……というか、きみ。僕が“風見館の市川”だと、なぜ思ったんだ? 僕ときみは初対面で、まだお互いに名乗ってさえいないじゃないか」

「は?」

「だれになにを聞いてやってきたのかわからないが、人違いにもほどがあるだろう」


 さらに鋭角さを増した視線。

 それにビビりながらも、俺はもう一度、「え?」と聞き返した。


「きみね、いい加減に──」

「マキ!」


 そこへ、べつの声が飛んできた。

 視界を移せば、俺たちからちょっと離れたところに、西日に照らされ、髪がよりオレンジになっている人がいた。

 首を伸ばしてこっちを窺っているが、立ち止まったままで、近寄ってこようとはしない。


「彼が、市川だ」


 オレンジの人にマキと呼ばれたその人が、俺に耳打ちした。


「え?」

「だけど、ここではもうその話はするな。自分の寮へ早く戻ったほうがいい」


 念を押し、さっきの人のところへと、マキさんは歩いていく。

 もうちょっと食い下がってみようかとも考えたけど、俺の足は出てくれなかった。

 それに、あのオレンジさんが市川サンだとは、到底思えなかった。

 ジョーさんと奥芝さんは、俺の後ろ姿を見て、マサノリさんと間違えたんだ。あのオレンジさんとじゃあ、絶対に間違えるわけがない。

 俺は大きく息を吐いて、脱力すると同時に腰を折った。

 それにしても、あのマキさんていう人、俺とそう背丈も変わらないのに、ものすごい威圧感を持っていた。自分の信念はてこでも曲げないって感じの鉄壁のオーラも見えた。

 完全にウワサの市川サンな気がするのにな……。


「マキって……ちょっと待てよ」


 俺は上体を起こした。

 もしかして、メイジの知り合いのマキさんは、ジョーさんじゃなくて、さっきの人なんじゃなかろうか。

 そうなると、ジョーさんではハテナだったメイジとマキさんの関係性も納得がいく。


『あんたんところには行きたくないって──』


 そうか。きっとそうだ。

 メイジの知り合いのマキさんは、黒澤のところに……いや、風見館に誘われていたんだ。それで、さっきの俺と同じく、生徒会長になれとか言われたんだ。

 でも、マキさんはきっぱり断ったから、そのとばっちりがこっちに来たって流れで……。

 維新とメイジが内緒にしていたことは、きっとコレだ。黒澤に口止めなんかされて、言いたくても言えなかったんだ。

 ちょっとずつ、いろんなことが読めてきて、俺の気分は軽くなった。

 軽くなったんだけれども、すぐにまた落ち込んだ。

 その場にしゃがみこむ。

 そういうふうにマキさんのことがあったなら、やっぱり黒澤は……。だとすると、すでに維新になんらかのアプローチをしていてもおかしくない。

 ……かもしれない。

 そのとき、砂利を踏みしめる音がして、俺の傍にだれかが立つ気配もした。ぱっと顔を向けると、心配そうにこっちを見下ろす姿があった。


「メイジ」

「どうした? そんなところでうずくまって……」

「な、なんでもない」


 俺は慌てて腰を上げた。なぜかメイジの顔を真っすぐに見れなくて、ぽとりと視線を落とした。


「きょうはいろいろとごめんな」


 メイジがいきなりそう言った。

「え?」と、俺は目だけを上げた。


「維新もさ、お前のこと気にかけてたよ。自分が仏頂面でいたせいで、全然楽しそうじゃなかったって」

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