三
──一か八か。市川サンのことを切り出してみようか。
でも、いきなり本人だったら、それはそれで先行き不安が拭えない。
だってこの人、鶴の一声をガンガン発しそうだし、あの黒澤と肩を並べられそう。
うかつに説得を試みて、逆に丸め込まれて、説教されるなんてオチになってもアレだ。しかも、生徒会長って言葉に相当ナーバスになってるらしいし。
「なんだ? 『俺』のあとはどうした? とくに用がないなら、早く自分の寮に戻れ」
「いや、あの」
「はっきりしないやつだな。そんなことだと、ここではやっていけないぞ」
「……」
俺はうなだれた。
思ったそばから説教なんて、いよいよこの人が市川サンで決まりじゃん。
つうか、ここまできたら、もうどうにでもなれだ!
市川サンがどんな人であろうとも、生徒会長の椅子に戻ってくれなきゃ、俺があそこに閉じ込められるはめになるんだ!
「あの、市川サン! 黒澤さんは、たしかに性格がねじ曲がっていて、一緒に仕事すんのも、もううんざりかもしれませんけど、あなたが風見館に戻ってくれないと、俺がすっげえ困るんです!」
その人を真っすぐに見つめ、俺は叫んだ。
すると、大きな瞳がわずかに見開かれて、視線は外れた。
はたしてなにが返ってくるのか。
息を凝らす俺に向かい、その人はゆっくりと口を開いた。
「……というか、きみ。僕が“風見館の市川”だと、なぜ思ったんだ? 僕ときみは初対面で、まだお互いに名乗ってさえいないじゃないか」
「は?」
「だれになにを聞いてやってきたのかわからないが、人違いにもほどがあるだろう」
さらに鋭角さを増した視線。
それにビビりながらも、俺はもう一度、「え?」と聞き返した。
「きみね、いい加減に──」
「マキ!」
そこへ、べつの声が飛んできた。
視界を移せば、俺たちからちょっと離れたところに、西日に照らされ、髪がよりオレンジになっている人がいた。
首を伸ばしてこっちを窺っているが、立ち止まったままで、近寄ってこようとはしない。
「彼が、市川だ」
オレンジの人にマキと呼ばれたその人が、俺に耳打ちした。
「え?」
「だけど、ここではもうその話はするな。自分の寮へ早く戻ったほうがいい」
念を押し、さっきの人のところへと、マキさんは歩いていく。
もうちょっと食い下がってみようかとも考えたけど、俺の足は出てくれなかった。
それに、あのオレンジさんが市川サンだとは、到底思えなかった。
ジョーさんと奥芝さんは、俺の後ろ姿を見て、マサノリさんと間違えたんだ。あのオレンジさんとじゃあ、絶対に間違えるわけがない。
俺は大きく息を吐いて、脱力すると同時に腰を折った。
それにしても、あのマキさんていう人、俺とそう背丈も変わらないのに、ものすごい威圧感を持っていた。自分の信念はてこでも曲げないって感じの鉄壁のオーラも見えた。
完全にウワサの市川サンな気がするのにな……。
「マキって……ちょっと待てよ」
俺は上体を起こした。
もしかして、メイジの知り合いのマキさんは、ジョーさんじゃなくて、さっきの人なんじゃなかろうか。
そうなると、ジョーさんではハテナだったメイジとマキさんの関係性も納得がいく。
『あんたんところには行きたくないって──』
そうか。きっとそうだ。
メイジの知り合いのマキさんは、黒澤のところに……いや、風見館に誘われていたんだ。それで、さっきの俺と同じく、生徒会長になれとか言われたんだ。
でも、マキさんはきっぱり断ったから、そのとばっちりがこっちに来たって流れで……。
維新とメイジが内緒にしていたことは、きっとコレだ。黒澤に口止めなんかされて、言いたくても言えなかったんだ。
ちょっとずつ、いろんなことが読めてきて、俺の気分は軽くなった。
軽くなったんだけれども、すぐにまた落ち込んだ。
その場にしゃがみこむ。
そういうふうにマキさんのことがあったなら、やっぱり黒澤は……。だとすると、すでに維新になんらかのアプローチをしていてもおかしくない。
……かもしれない。
そのとき、砂利を踏みしめる音がして、俺の傍にだれかが立つ気配もした。ぱっと顔を向けると、心配そうにこっちを見下ろす姿があった。
「メイジ」
「どうした? そんなところでうずくまって……」
「な、なんでもない」
俺は慌てて腰を上げた。なぜかメイジの顔を真っすぐに見れなくて、ぽとりと視線を落とした。
「きょうはいろいろとごめんな」
メイジがいきなりそう言った。
「え?」と、俺は目だけを上げた。
「維新もさ、お前のこと気にかけてたよ。自分が仏頂面でいたせいで、全然楽しそうじゃなかったって」
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