三
「なら、自己紹介が先か。俺は、黒澤誉(くろさわほまれ)。この風見館を生活の拠点としている生徒会役員だ。いまは、副会長兼会長代理ということになっている」
「会長……代理?」
「それはあとで触れることにして、まずは釈明させてくれないか」
黒澤さんは、ゆっくりとソファーに腰を下ろすと、背をもたれて長い足を組んだ。
俺は端っこで、まだまだ小さくなっていた。なんだか、この人には安易に近づいちゃいけない気がする。
あのいじらしいメイドは虚像だったけど、稀代の変態ヤローはご健在かもしれないから。
「語弊があると、こちらとしてもあまりいい気がしないんでね」
「……はあ」
「ミツヒロがああいう格好をしていたのは、俺の趣味でも、無論、ここに住む誰の趣味でもない。あいつが望んで勝手にしていることだ。ましてや夜な夜な縛り上げるなど、事実無根もいいところだ」
……さて。
俺は、それになんて言って返せばいいのだろう。
そもそも、あの可憐な少女が男である時点で、深く入り込んではいけない話だったんだ。
そんなことより、もっと重要なもんがあるんじゃないのか。
「第一、俺は、女にも、女の格好をした男にも興味はない」
口を開きかけた俺は、その形のまま固まった。
つうかアナタ、それはなんの告白ですか。
「ああ、済まない。きみにも全く興味はないから。安心してくれ」
黒澤さんは微笑した。
俺は、安心してくれの、本当の意味も分からないまま、胸をなで下ろした。
が、それも本末転倒。
俺はソファーから立ち上がると、少し口調をきつくして、黒澤さんに切り出した。
「アンタ、そんなどうでもいいことを言うために、わざわざ俺を」
「まさか」
「だったら、なんで俺をここに連れてきたんだよ」
じっと俺を見据えていた黒澤さんがため息を吐いた。自分のとなりを、ポンポンと叩く。
「まあ、落ち着け。中野卓」
「……」
「だから、べつに、きみを取って食おうってわけじゃないんだ」
そうは言われても、本物の男しか興味がないみたいな告白されたら、二人きりのこの状況はマズいに決まってるじゃないか。
男子校には、少なからず、そっち系のヤツがいるとは訊いていた。
けど、まさかマジもんが本当にいるなんて!
「じつはいま、諸事情により、生徒会長の椅子が空席になっている」
「生徒会長の……椅子?」
「俺としては、ぜひ、きみをそこに座らせたい」
「ていうか、アンタ。やっぱ、頭がどうかしてる」
俺は足を出し、ローテーブルを迂回してドアへ向かった。
しかし、素早くドアの前に立った黒澤さんが、行く手を阻んだ。
「あいにくだが、俺は至って正気だ。いいか。風見原の生徒会役員は、すべて、指名制で選ばれる。理事長の孫、全教科満点の編入試験。それだけで、俺が指名する理由は十分だと思うが違うか? まあ、武道に長けているとは思えないが、その辺は俺たちがカバーするということで、ほかの役員も、満場一致で賛成してくれた」
「たとえ、そっちサイドで普通に決まったことだとしても、ここのやり方がそういうもんであっても、昨日今日やってきたヤツに、生徒会長の椅子を勧めるなんて、とっても正気の沙汰とは思えねえんだよ」
「やたら気だけは強い子猫か。面倒くさい」
「ああ?」
黒澤さんがおもむろに近づいてきた。それに押されるように後ずさり、俺はいつの間にかソファーに戻されていた。
もう腰を下ろすしかなかった。
眼鏡の向こうの冷たい瞳が、すぐ頭上にまで迫り、俺は顔を背けた。背もたれを掴む気配もした。
なにが、俺には興味がないだ。稀代の嘘つき変態ヤロー! これ以上近づいて、なにかしたら、股間を蹴り上げて、使い物にならなくしてやる。
拳を握り、そう攻撃態勢を作っていた俺の耳に、思ってもみない名前が囁かれた。
「松永維新。じつに、俺好みのいい男だ」
最初、なにを言っているのか分からなかった。
はっと顔を上げて、目睫の間にまで迫っていた黒澤さんを見た。
「維新……?」
「そうだ。きみのクラスにいる、きみのお友達の」
「うそだろ」
黒澤さんは、にっこりと微笑み、俺からようやく離れた。
すかさず、その背中に叫んだ。
「維新には手を出すな!」
「手を出すな? そんな、人を、どこかのお手つき魔みたいに言うのはやめてくれないか。ただ、俺好みのいい男だと言っただけだろう?」
薄ら笑いを浮かべている辺りが、全くもって信用ならない。いや、絶対に信用ならない。
俺は、もっと拳を固め、ソファーから立ち上がった。
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