「それ……」


 と、震える指先でさしたもの。

 色は違えど、俺と同じものが──。


「黒の……校章」

「あーらら。見つかっちゃった」


 彼女はそう言うと、首をすぼめて舌を出した。

 ていうか。

 ていうか。

 そこに風見原の校章バッジがあるということは、少なくとも、彼女はここの生徒ってわけで。

 ここの生徒ってことは、とどのつまり……。

 はっと気づいた俺は、胸元に向けていた指先を、彼女の顔へとずらした。


「お、お、男!?」

「中野さま! どうかぼくの話をお聞きください!」


 絶対に男とは思えない顔、線の細さ、高い声。

 長いソファーの向こうまで、一気に後ずさった俺を追いかけて、メイドの彼女、もとい彼が、体を寄せてきた。

 わずかでもそれなりに膨らみのある胸の前で、手を合わせ、潤んだ瞳を向ける。

 たとえるなら、叶うことのない願いを、必死に懇願するいじらしい少女。

 でも、冷静に考えてみると、女装癖のある、ちょっとした変態ヤローだ。


「ぼくはいま、ご主人さまに、いわれないお仕置きをされているのです。だからこんな格好を……」


 ──お仕置き。

 その言葉を聞いた俺は、もう一度、彼の校章バッジを見下ろした。

 たしか、黒って、前科者につけられるんだと、奥芝さんが言っていた。

 遅刻か、サボりか、はたまたもっとすごいことか。

 そのどれにしたって、なにかをやらかしてそうなったのは、自業自得というものだ。だから、俺には関係のないことだったけど、彼の言う『いわれない』ってのにも引っかかった。

 このさい、ご主人さまについては、スルーという方向でいこう。うん。


「つまりは、無理やりメイドをさせられてるってことか?」

「そうなんですっ」


 いまにも泣き出しそうな顔をして、彼は大きく頷いた。

 ……にしても。

 男にメイドの格好をさせてお仕置きなんて、それこそ稀代の変態ヤローだ。

 俺をここに連れてくるのも大体が強引だった。

 もし、そのご主人さまとやらが、俺を呼び出したヤツと同じなら。教師よりも力のある生徒会が、じつは、校内一のくせ者集団だったら──。

 俺は、きのう食堂で会った、眼鏡の人を思い出した。生徒会役員を示す紫のバッジをつけていた。

 しかも、彼が言う、そのご主人さまにぴったりな、一癖も二癖もありそうな雰囲気をまとっていた。


「中野さま、それだけじゃないんです。ご主人さまは、ぼくにメイドの格好をさせるのに飽きたらず……」

「飽きたらず?」


 彼が言いよどんだ。

 それに、一抹のイヤな予感がよぎったのもつかの間、目をつむって、彼が大きな声で叫んだ。


「夜な夜なぼくを縛り上げ、無理やり……!」

「ミツヒロ!」


 彼の後ろから、低い怒声が飛んできた。

 俺が、そこへ視界を移すと、まさしくいま思い浮かべていた、ご主人さまかもしれないあの人が立っていた。

 髪を掻き上げ、俺たちのいるソファーにつかつかと歩み寄る。そして、背もたれのほうから、彼の腕を掴んだ。

 その瞬間──。


「いってえな! バカ力で掴むんじゃねえよ!」


 それまで弱々しかったメイドの彼が、低い怒号を上げた。

 さっきの声はどうやって出していたのか。まるで、狐にでも化かされたような気分だ。

 掴まれた手を振り払い、彼がソファーから立ち上がる。ハイソの足を大きく動かし、ドアに向かった。

 その背中に、すかさず言葉が投げかけられた。


「ミツヒロ。お前、トイレ掃除の最中だろ。さっさと片づけろ」

「わーってるよ!」


 最後にそう怒鳴り、ミツヒロと呼ばれた彼は、バタンとドアを閉めた。

 俺はぼう然と、そのドアを見つめることしかできない。

 そこに、あの眼鏡の人が割って入ってきた。

 無表情で俺を見やり、それから、ローテーブルを見下ろした。


「なんだ、甘いものは嫌いか?」

「……は?」


 これ、と眼鏡の人がアップルパイを指差す。

 はっと我に返った俺は、勢いよく顔を横に振った。

 それをきっかけに、目の前の無表情が、段々と緩んでいった。


「なるほど。たしかに面白いな」

「……」

「俺のことは、当然、知っているよな?」


 俺は少し考えてから、またぶんぶんと顔を振った。

 初めて会うわけじゃないし、生徒会のナンバーツーだってことも知っている。

 だが、肝心の名前を知らない。

 ここへ姿を現したということは、ミツヒロの言った黒澤ってヤツかとも思えるけど、やっぱり定かじゃない。

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