七
「卓」
ジョーさんに二の腕を掴まれた。俺の後ろを指し、ちょっと困ったげにしている。
「出口は向こうだ」
「……あ。すいません」
もう一度頭を下げ、足早に廊下を進む。
「そう言えば、卓はどこの部に入ったんだ?」
見送ってくれるのだろうか。ジョーさんが後ろをついて歩いてきた。
「ていうか、まだ決めてないです」
「だったら、うちに入らないか?」
俺はピタリと立ち止まり、ジョーさんを振り返った。
「は?」
「お前のことが気に入ったから、ここで一緒に暮らしてえ……なんてさ、プロポーズかよ。俺は」
まるで照れ隠しのように大きな背を丸めて首を掻くジョーさんを、俺はぼう然と見つめる。
理事長の孫だということも。だから寮へ入ることを特別に免除してもらったことも。どの部に入らなくても生活ができるというのも。
言うのに気が引けていたからやんわり断ろうと思っていたのに、こんな寒いオヤジギャグを聞かされるくらいならはっきり言ってやればよかった。
「遠慮しときます」
「卓」
「俺、どの部にも入るつもりないんで」
そこはかとなく歩くスピードを上げる。元々のコンパスに差があって、いまさら早足にしても意味ないことは気にしない。
「俺、風見原で初めて認めてもらえた“通い”なんです。家がめちゃくちゃ近いから」
「卓~、ここは俺と奥芝の二人きりで寂しいんだよ~。卓がいたらもっと楽しくなる気がするしさ~」
このヒト、また俺の話を聞いてない……。
「二人きり? あんなに大きな食卓があって、椅子が八脚もあるのに? それに、畑も田んぼも、すごい広いじゃないですか」
「だからさ~人が欲しいんだよ~卓~」
急に甘えん坊口調になったジョーさんを振り返ると、最後の「く」のところで唇を突き出していた。
ほんと、黙ってさえいれば結構イケメンの部類に入る人なのに、頭のネジ一つでかわいそうなことに。もったいない。
そんなことを思いつつ、もうそこはかとなくじゃなく完全に足を早め、俺は囲炉裏のある部屋へ入った。土間に脱いだ靴を履く。
「どうもお邪魔しました」
「卓」
そのまま後ろも見ずに行こうとしたら肩を掴まれた。かけられた声がさっきまでと違い、やけに低く切羽詰まった感じに聞こえた。
俺はジョーさんを見上げる。
「クロには気をつけろ」
クロ──?
と俺は首を傾げた。
だが、次の瞬間、ジョーさんの目尻がくしゃっと緩んだ。
「それと、そこの道は日が暮れると真っ暗になるから、これにも気をつけろよ──」
両手をおもむろに出し、ユーレイのジェスチャーで、ジョーさんは「これ」を表した。その最後には、またあの言葉をつけ加える。
「子猫チャン?」
俺はシカトを決め込んで、寮の出入り口をピシャリと閉めた。
ユルユル系のちょっと危ない人かと思えば、急に真剣になってわけのわからないことを言う。ジョーさんは本当に絡みづらい面倒な先輩だ。
半ば逃げるように、前庭に止めていたチャリに跨り、勢いよく坂を下った。もう二度とくることはない後ろに別れを告げ、ゴルフ部へと向かう。
──つもりでいたのだけれど。
俺はチャリを止めた。電信柱の先を仰げば、茜に染まりつつある空も目に入った。
ゴルフ部までの道には片手で数えられるほどの電信柱しかない。だから灯りも少ない。
べつに、ジョーさんの言葉を本気にしたわけじゃない。そもそもユーレイなんてあの人のギャグだろうし。
よくよく考えてみて、ゴルフ部へ行くのはきょうじゃなくてもいいんだよな、ってことに気づいただけ。こんな時間に来られたって、向こうもきっと迷惑だろうから。あくまで仕方なくなんだ。
そんなことを心中で並べながら、チャリの向きを百八十度変える。家へ向かった。
その途中、さっきのジョーさんの言葉がよぎった。
「クロには気をつけろ」
それにしてもいまいちぴんとこない。クロがなんなのか教えてくれなきゃ、気のつけようもない……。
こうべを垂れる稲穂を横目にしながら首を傾げ、ただ帰路を急ぐ俺に、意外と早くその意味に出会うとは想像できるはずもなかった。
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