お前だけは
一
二学期が始まって最初の週末がやってきた。
ぼくはあれ以来、お兄ちゃんと次郎さんの話はしていない。
お兄ちゃんは、あのケーキ屋さんへ行ったのか、それとも、次郎さんについて一清さんに詰め寄ったのか、ぼくにはわからない。
訊こうとも思わなかった。
だから、ぼくらはいつもと同じ。だけども、どこかしっくりこない空気を感じつつ、暑さの残る日々を過ごしていた。
「あー! お兄ちゃんてば、悪いんだ」
ぼくがお風呂上がりに台所の戸を開けると、缶ビールを呷るお兄ちゃんの姿があった。
ぼくの声にびっくりしたのか、対面にあった冷蔵庫へとお兄ちゃんはビールを吹き出す。体を折り曲げてゴホゴホいった。
──金曜の夜。週末はいつも帰りの遅い一清さんはもちろん、広美さんも善之さんも仕事でいない。夏休みのまったりとした時間が戻ってきたような夜だった。
「急にでけえ声出すなっ」
お兄ちゃんは怒鳴りながらタオルを取り、まず口元を拭う。その手が冷蔵庫に移ったところへ、肩をいからせてぼくは詰め寄った。
「未成年なのに。そんなことしたら、めちゃくちゃ一清さんに怒られるよ」
「うるせえな。兄貴たちだって、高校んときから酒ぐらいフツーに飲んでただろ。いちいち目くじら立てて騒ぐな」
「一清さんたちは一清さんたち。お兄ちゃんはお兄ちゃんだよ。そういう、みんなやってるから俺もって考え、絶対によくない」
「マジでうるっせえガキだな」
「お兄ちゃんだって立派なガキじゃん」
お兄ちゃんはまだなにか続けようとしたらしいけど、舌打ちだけで口を閉じた。ぼくを睨めつける。しかも、黙って台所を去ろうとする。
場所を変えればいいってものじゃないから、食卓の向こうになったシャツをむんずと掴まえると、お兄ちゃんの手にあった缶が落ちた。
「あ、やべ」
「あーあ。なにやってるの」
お兄ちゃんの穿いているデニムにもビールがかかった。
ぼくは慌てて床に落ちた缶を拾い、近くのタオルを取った。
「バチがあたったんだよ」
「お前が余計なことすっからだろうが。……げっ、ビール臭ぇ」
ぼくは口を尖らせ、デニムに鼻を近づけているお兄ちゃんを見上げた。
……もともとはお兄ちゃんが悪いのに。
とにかく掃除をしなきゃいけないから、そう呟くだけに留めておいて、ぼくは顔を戻した。
ぶつくさとお兄ちゃんは脱衣場へ行く。
床を掃除し終えてぼくが缶を持ったとき、玄関のほうで物音がした。
──だれかが帰ってきた!
足音が聞こえると、ビールを手にしたままぼくは右往左往して、最終的には居間へ逃げていた。となりの和室との間仕切りである襖の陰に隠れ、ゆっくり差し足で廊下へ出る。そこからは一目散に自室へ入った。
ドアを背にして改めてビールの缶を見たとき、お兄ちゃんのことも正直に話さなきゃと思った。けど、これをここへ持って入った時点で、手遅れなんじゃないかと台所には戻れなかった。
一清さんの足音だった気がする。
やはり正直に話すべきだ。いや、あしたにでも缶を捨てればなにもなかったことにできる。そんな自問自答を繰り返しながら、ぼくはひとしきり部屋の中をうろうろして、結局はビールの缶を押し入れの奥へ隠した。
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