相あい
一
家に着いたら、もういい時間だった。
ぼくは、すぐに夕ご飯の準備に取りかかり、お兄ちゃんはロクちゃんの散歩へ出かけた。
そして、きょうも二人だけで食卓につく。
いつもと違ったのは、お兄ちゃんが妙に静かだったこと。早々に食べ終わると、自分の使った食器を洗って、二階へ引っ込んだ。
ぼくはどことなく気になったけど、勇気くんと約束している時間も迫っていて、そっと家を出た。
公園のベンチには、もう勇気くんの姿がある。
いつものように挨拶をして、となりに腰を下ろした。ここで会う約束をしてから四度目の夜だけど、そういえば、ぼくは一度も先に来たことがない。
「ごめんね」
「ん?」
「いつも待たせてる」
勇気くんは笑みを深めると、ベンチに背をもたせかけて、前を見た。おもむろに足を組む。
「いいって。ほんと、他人に気づかい屋だよな、お前。おれにはそんなのいらないから」
「うん」
「にしても、きょうの雨すごかったな。あのときおれさ、ちょうどグラウンドで練習してたんだけど、雷も鳴ったろ? 慌てて、サッカー部や陸上部のみんなと体育館に避難したんだよ。したら、体育館がすごい人口密度になっちゃって。めちゃくちゃ暑い暑い。でも、あの雷に一番びびってたのは、うちの鬼監督だったな。笑えるだろ?」
うんと返事をしつつ、その雷が鳴っていたときは自分もパニックになっていたから、あまり笑えなかった。
「野球部の監督って、たしか生徒指導の……」
「そそ。……で、人夢は?」
「え?」
「そのとき、自分んちにいたの?」
「お兄ちゃんと出かけてた。お義父さんのお店を掃除しに行ってたんだ」
その途端、勇気くんの顔から笑みが消える。
どうしたのかと思って、ぼくが呼んでみると、勇気くんは弾かれるようにして視線を外した。忙しなく、坊主頭を撫でている。
「なあ。人夢」
「うん?」
「豪さんて、さ」
「うん」
「……やっぱ、いいや」
「えー」と、思わず抗議の声が出た。途中でやめられると、なおさらその先が気になる。
日焼けした横顔を、ぼくはじっと見つめた。
勇気くんはなにかをごまかすように早口で言う。
「あ、そうそう。篠原さんの店って、川淵にあるやつだよな」
「……うん。やっぱり、勇気くんも知ってるんだ」
「もちろん。何回か食べに行ったこともあるよ。あそこ、タンメンがうまいんだ」
「タンメン、ぼくも大好き」
つい声が大きくなった。
勇気くんと、いままでいろんな会話をして、その中には好きな食べ物もあったけれど、こうして意見が合ったことはなかった気がする。勇気くんも、甘いものは得意じゃないって言うし、うどんよりそばが好きらしいし。
「そういえば、篠原さんたちが前に住んでた家、その店の近くにあるんだよな」
ぼくは、「えっ」と、さっきより大きな声を出した。
そんな話、お兄さんたちから一度も聞いたことがない。お兄ちゃんだって、きょうはなにも言ってなかった。
勇気くんが眉をひそめる。
「たしか、何年か前に川淵から越してきたって、聞いたけどな……。つうか人夢、そういうのお兄さんたちから聞いてないの?」
「うん……」
二人して、しばらく閉口する。
ふと、昼間に会った伊藤さんが、ぼくの頭に浮かぶ。お兄ちゃんと幼なじみとは、そういうことだったのかと、いま納得できた。
それにしても、篠原さんちの事情を、勇気くんはよく知っている。
けれども、お兄さんたちはいろんな意味で目立つし、イヤでも耳にしてしまうことなのかもしれない。
ぼくが、ただ知らなさすぎなだけで……。
「ねえ、勇気くん。お兄さんたちは、いつぐらいにこっちへ越してきたのかな?」
「うーん……」
と首をひねりながら、勇気くんは指を折った。
「八か、九年くらい前? つっても、おれが物心ついたときには、篠原さんちはすでにあそこだった」
「次郎さんは?」
口にしてから、びっくりした。
お兄ちゃんやお兄さんたちには訊きにくかったことが、勇気くんの前ではすんなりと出てきた。
そうなると、あとからあとから言葉が溢れ出る。
「次郎さんはいまどこでどうしてるとか、勇気くんなら知ってるんじゃないの?」
「ちょ、ちょっと待って。人夢」
勇気くんの手が、前のめりになるぼくを制止する。
そこで我に返った。
……たしかに、いまの質問はおかしい。なぜならぼくは、次郎さんの弟でもある。
たとえ血はつながってなくても、一緒に住んでいなくても、家族であるお兄さんのことを自分に尋ねるなんて、勇気くんからしたらおかしいに決まっている。
「あ、あのね……」
「じつはおれ、次郎さんには会ったことないんだ。いや、おれだけじゃない。この辺の人は大体、次郎さんを見たことがないと思う」
「え?」
「うちの親いわく、謎の次男坊らしい」
「……どういうこと?」
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