次郎さんは一体なにをしている人なんだろう?

 何度かそう思い、いろんな想像をした。しかし、ぼくの頭には、お義父さんの跡を継いでラーメン屋さんになるというのはなかった。

 よくよく考えたら、お兄さんたちは、だれも料理人の道をいっていないし、次郎さんがそれを選んだのは自然のなりゆきだったのかもしれない。

 そうなると、お兄ちゃんがああいう疑問を持ったのにも頷ける。ラーメン屋さんを継ぐのに、フランスへ留学するのは、たしかにおかしい。

 もしかしたら、その辺の食い違いが、あの「本当のこと」となにか関係があるのかもしれない。


「フランス……」


 ぼくは、口の中でそう呟いて、お父さんを思い出した。

 お父さんも、若いころにフランスへ留学したと言っていた。

 そのことと、次郎さんを結びつけてみようと思ったけれど、体がスピードに乗り始め、それどころじゃなくなった。

 ぼくは、お兄ちゃんの胴に巻きつけていた腕と、まぶたをしめる。なんとも言いがたい恐怖で思考が定まらない。

 川渕のおばあちゃんちへは、てっきりバスで行くと思っていた。なのに、お兄ちゃんが自分のバイクで行くと言うもんだから、こんな、絶叫マシンさながらの恐怖にさらされるはめになったのだ。

 さらにスピードが上がった。目を閉じていても、体がそれを感じる。

 ぼくは、お兄ちゃんの肩にフルフェイスのヘルメットを押しつけ、腕をもっと締めてやった。

 絶対に楽しんでいるに違いない。お兄ちゃんのことだから、ぼくが怖がっているのを知っていて、わざとスピードを上げたんだ。


「ひどいよ。最後は、絶対に面白がってたんでしょ」


 おばあちゃんちへ着くと、お兄ちゃんにヘルメットを取ってもらい、ぼくはいの一番にそう叫んだ。

 けれど、当の本人は素知らぬふり。おばあちゃんちの塀のそばにオートバイを停めて、ぼくが背負ってきたリュックから、お使いものを取り出した。


「ここで待ってろ。すぐ戻ってくるから」


 素直に「うん」と言ったものの、ぼくも顔を出すべきなんじゃないかと気づいた。

 でも、すぐにお兄ちゃんの姿がなくなってしまって、仕方なく、ぼくはオートバイのそばに立ち、塀にもたれかかった。

 頭上には、おばあちゃんちの庭からはみ出た木がある。その葉っぱが日陰を作ってくれて、待つにはちょうどいい場所だった。

 アスファルトへ視線をやれば、太陽が照りつけているところがてらてらと光って、ずいぶん熱そうだった。

 そこに、ひどく色落ちしたデニムの足が入ってきた。お兄ちゃんは、たしかカーゴパンツを穿いていたから、違う人だ。

 目を上げたぼくの口から「あっ」と声が出る。

 お兄ちゃんと同じくらい背が高い。陽に透けた茶色の髪と、頬にある泣きボクロがまず目についた。

 ぼくの脳裏に、いつか見た「ユーレイ」がよぎる。


「もしかして、きみ。篠原人夢くん?」


 と、ぼくの顔を窺いながら、その人は近づいてきた。

 塀から背中を離し、ぼくは会釈がてら頷く。それに目を細め、目前の人はオートバイのサドルを叩いた。


「やっぱりね。これ、豪のバイクだろ?」

「はい。あの……」

「伊藤大志(いとうたいし)。あいつの幼なじみなんだ」


 思わぬ人との出会いに、ぼくはびっくりした。しかし、幼なじみという言葉に引っかかりを覚える。

 見たところ、この通りには住宅しかない。

 ひょっこり現れた伊藤さんは、そのラフな格好から、近所の人にしか見えなかった。

 普通、幼なじみとは、家の近くに住んでいて、小さいころから一緒に遊んでいた人をいうんだと思う。


「あ、そうそう。このあいだは、驚かせてごめんな」

「……え?」

「俺のことを幽霊だなんだと見間違えて大騒ぎしたんでしょ。かなり怖がってたって、豪から聞いたよ」


 伊藤さんは笑いを噛み殺しながら言った。

 ちょっとした恥ずかしさに襲われ、ぼくは変な汗をかいた。

 それにしてもお兄ちゃんてば、そんな余計なこと、わざわざ言わなくてもいいのに。


「大志」


 きまりが悪くなって視線を泳がせていると、お兄ちゃんの大きな声が飛んできた。

 伊藤さんがそれに応える。


「よお」

「いちいち顔出さなくていいっての」


 お兄ちゃんはぶっきらぼうに言って、よそよそしく伊藤さんへ背中を向けた。

 なにがきっかけかわからないけど、虫の居所がかなり悪そうだった。乱暴な手つきでオートバイのハンドルを取り、スタンドを蹴る。

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