お祭りの日から数日後。

 ぼくは、あす迎えるお盆に備えて、お父さんのお墓を掃除しようと、この霊園に足を運んでいた。

 我が家から自転車でおよそ三十分。花火が打ち上げられた朝日川を越え、前に住んでいた地区へ入る。そのほぼ中央にある霊園にお父さんは眠っている。

 ぼくは、駐輪場に自転車を停め、カゴに入れてきたカバンを肩にかけた。

 カバンの中には、ロウソクとお線香、お墓に供えるお父さんの大好物が入っている。その中にはお酒もあるけれど、もちろん、一清さんが買っておいてくれたものだ。

 豆大福やみたらし団子は、ここに来る途中で買ってきて、お新香は、ぼくがきのう漬けたものを持ってきた。もっと本格的なものがいいんだろうけど、我が家には糠床がないから、今回は浅漬けで許してもらうことにした。

 水の入った桶とヒシャクを持ち、ぼくはお父さんのお墓へ向かった。

 あしたからお盆ということもあって、普段より人出が多い。

 結構な風もある。霊園の木々が葉をこすり合う音が、よく響いた。降り注ぐようなセミの大合唱も。

 ぼくは、お墓のあいだの通路を急ぎ足で進んだ。行き止まりを曲がり、お父さんの場所まで一直線というところに差しかかる。

 奥のお墓へ注視したその瞬間、ぼくの足はもっと早くなった。

 そこに立ってみても、目の前の光景が信じられなくて、墓石に彫られた名前を思わず確認していた。


「行田に間違いない。でも、だれが……」


 お父さんのお墓には、すでにきれいなお花が供えられていて、ロウソクにも火が灯り、お線香から煙が漂っていた。

 しかも、ぼくが持ってきたのと同じお供え物が並んでいる。

 お母さんは東京にいる。行田のおじいちゃんとおばあちゃんがお参りに来たのかもしれないけど、なんとなく違う気もした。

 ぼくはきょろきょろと周りを確かめた。

 お線香やロウソクはそんなに減っていないから、少なくとも、それらを上げてくれた人は、さっき来たばかりだ。

 しばし立ち尽くしていると、コンクリートの通路にある砂を、靴でするような音が聞こえた。

 なにげなく顔を向けて、そこに佇んでいる男の人に、ぼくは気づいた。


「こんにちは」


 と、その人は笑顔で近づいてくる。

 グレーのスーツを着ていて、背が高く、大学生くらいにも見えた。

 膝を折り、その男の人は、ぼくの顔色を窺うように見上げた。


「あの……」

「きみ、篠原人夢くんだよね?」


 初対面のはずなのに、名前を当てられ、ぼくは息を呑んだ。


「ああ、驚かせてごめんね。僕は、行田さんの古い友人で、きょうはお線香とお供え物を上げさせてもらいに来たんだ」


 お墓を見やり、もう一度見上げる瞳に、ぼくは釘づけになった。

 心当たりはある気がする。ふと脳裏によぎった名前を、恐る恐る口にしてみた。


「ジロー……ちゃん?」

「え?」


 その人は笑みを消し、わずかに目を見開いた。


「僕を覚えていてくれたんだ」

「ち、違うんですっ」


 ぼくは慌てて首を横に振った。

 眼下の表情が、訝る色へと変わる。

 思わず、ぼくは頭を下げた。


「ごめんなさい。まさか、本当にジローちゃんだなんて思わなくて……。前に、だれかをそう呼んでいた気はするんです。でも、それ以外のことはぜんぜん覚えてなくて……」

「そんな。きみが謝る必要なんてないんだ。きみと僕が会ったのは、うんとむかしなのだから」


 そう言って、その人はすっと腰を上げた。

 背を向ける前に、優しくぼくの頭を撫でていく。


「ここできょう僕に会ったことは、お兄さんたちには内緒にしておいて」


 ──どうして?

 だれもが抱く疑問を差し置いて、場の雰囲気に流される形で、ぼくは頷いていた。

 みるみるうちに背中は小さくなっていく。

 いまさら、訊きたいことがたくさん頭に浮かんできた。だけど、呼び止めるタイミングも掴めないまま、その人が消えた先を、ぼくはただ見つめていた。




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