それから三日。なにもなかった顔を装って、ぼくは過ごしていた。

 どことなく朝からそわそわしている外は見ない振り。そもそも、勇気くんと一緒に行けないとわかってから、お祭りなんて、あってないようなものだった。

 健ちゃんには、本当に悪いと思っている。でも、やっぱりぼくは、勇気くんが一緒じゃなきゃ、いやだ。

 腹這いで、居間の畳の上に寝そべり、情報誌を読んでいたぼくは、また涙を飲み込んだ。

 時計を見上げれば、花火が打ち上がる時間まで、あと三十分だった。

 辺りが、やけに静かに感じられる。

 でも、ぼくには関係ない。かたくなにそう決め込んで、雑誌へ視線を落とした。

 お兄さんたちはみんな仕事でいない。お兄ちゃんもさっき出かけた。

 と、ぼくは思っていたけれど、いきなりだれかに足首を引かれ、振り返ると、そのお兄ちゃんがいた。


「なにすんの。ていうか、まだ出かけてなかったの?」


 ぼくが肘を立てて見上げると、お兄ちゃんはすぐそばにしゃがんだ。


「お前こそ。花火、見に行かねえのか?」

「行かないよ」


 ぼくは視線を外す。腹這いの体勢に戻って、言葉をぽつりと落とした。

 小さなため息が頭上に降ってきた。


「三津谷とか、健とか。友だちなんだろ? 誘ってくれなかったのかよ?」

「……」


 いつもだったら、そんなことを訊いてこないお兄ちゃんなのに、きょうばかりはやたら掘り下げてくる。

 こういうときこそ、ほうっておいてほしいのに。

 ちょっとイライラしたぼくは、つい声を高くして返した。


「ぼくのことなんかどうでもいいじゃん。それよりも、早くお祭りに行かないと有華さんにふられるよ!」


 言い切ってしまってから、しまったと、ぼくは口を塞いだ。

 お兄ちゃんが今夜、有華さんとお祭りへ行くことはもちろん、二人は親しい仲だと気づいているというのも、口にしてはいけないんだった。

 どうして知っているんだと、激しく追求されても困るから。


「あ? ユカ?」


 ところが、お兄ちゃんは追求するどころか、素っ頓狂な声を出した。


「なんだ、それ」

「え?」


 ぼくは体を返し、後ろのお兄ちゃんを見た。


「なにって……。健ちゃんのお姉さんで、美保さんの妹の有華さんのこと」

「いや、有華はわかってるよ。じゃなくて、俺が祭りに遅れると、なんであいつにふられるのか、それがわかんねえっての」


 合点がいかないという顔をして、お兄ちゃんはあぐらをかいた。

 ぼくはがばっと上体を起こす。


「え? ちょっと待って。お兄ちゃん、有華さんと付き合ってるんじゃ……」

「はあ?」

「美保さんが言ってたじゃん。あの子と早く仲直りしてって。連絡してって。プールにまで行ってるとも」


 一言、一言並べるたび、お兄ちゃんのまぶたは少しずつ閉じられていった。きれいにセットしたはずの頭をガシガシと掻く。


「それって有華さんのことでしょ?」

「ちげーよ」


 ぼくは愕然とした。

 勝手に先走り、勘違いして、またお兄ちゃんを怒らせてしまった。

 返ってきた低い声に、それをまざまざと感じた。


「ごめん……」

「あれは俺のダチのことだよ。あの子って美保が呼んだのは、あいつらがいとこ同士だから。男のケンカに口挟むなって話だけど、それもあいつがいちいちお節介焼くからで……」


 お兄ちゃんは最後に舌打ちをした。

 ぼくは申し訳ないと思いながら、そこの廊下で見た、あの幽霊のことを思い出していた。

 頬にほくろのあった背の高い──。

 お兄ちゃんと目が合った。ぼくがどんなことを考えていたのかしっかりと読めたとしか思えないほど、タイミングよく腰を上げる。


「さてと。その、またはた迷惑な誤解もとけたところで」

「お兄ちゃん」

「そろそろ出かけるわ。あいつも待ってるし」


 台所へと消えたお兄ちゃんを、ぼくはすかさず追った。


「やっぱり、あのほくろの人、幽霊なんかじゃなかったんだ。そのお友だちなんでしょ? ズルいよ、お兄ちゃん! 黙ってろだなんて、でたらめばっかり!」


 ピシャリと、玄関の戸が閉まった。

 だけど、これでわかった。

 お兄ちゃんは、ただからかっていただけなんだ。もしくは、あんな時間に友だちを連れて帰ってきたことを、一清さんに知られたくなくて、とっさに出た薄っぺらいウソなんだ。

 ぼくは、あがりがまちで地団駄ふんだ。

 一清さんがお葬式から帰ってきたとき、ためらわずに報告すればよかった。洗いざらい、ぜんぶ報告してやればよかった。

 思いきり頬をふくらませ、すでにひとりぼっちとなった玄関をあとにしようとしたとき、ドンと、大きな音が響いた。

 さっと見上げた天井にしびれが走る。

 ──いよいよ、打ち上げが始まったのだ。

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