ハートビート



 夕暮れ間近のスーパーは、かなり混んでいた。

 そんなに広いところではない上に、タイムサービスが始まったからだ。

 スーパーの軒先に自転車を停め、ぼくは店内に入るとすぐさまマヨネーズを手にした。その足でレジに並ぶ。

 最初に帰ってくるはずの一清さんが、最近残業で遅いとはいえ、夕飯はやっぱり、いつもの時間にできてないといけない。善之さんのバイトの時間もあるし。

 ぼくは精算を終え、一目散にスーパーをあとにした。

 自転車のカゴに入れたレジ袋が、ときどき跳ねては、がさっと音を立てた。

 やがて、いつもの公園が目に入る。通り過ぎる瞬間にちらっと目をやった。

 木々のあいだからすべり台が見えた。その脇にだれかが立っているのも。ぼくは見覚えのある二人だった。

 思わずブレーキをかけた。公園の少し先で自転車を停めると、ぼくは一段と早くなる鼓動を押さえながら中を盗み見た。

 その途端に、奈落の底へと落とされる。


「……なんで」


 唇が震える。うまく呼吸ができない。目の前の光景が信じられなかった。

 泣いているのか、目元に手を当てている女の子と、その彼女の肩を優しく抱く男の子がいる。

 ……勇気くんと、久野さんだった。


「人夢くん?」


 そこに、後ろから声がかかった。ぱっと振り返ると、不思議そうな顔をした健ちゃんが立っていた。

 ぼくはとっさに、健ちゃんのTシャツを掴んで、さっき停めた自転車のところまで戻った。


「人夢くん? どうしたの?」

「ううん。なんでもない」


 俯いて、首を横に振った。


「そう……。あ、ちょうどいま、人夢くんちに行こうと思ってたんだ。ほら、花火大会のことで」

「ごめんね。ぼく……やっぱり行けない」


 すでに涙声になっていた。

 訝しげだった健ちゃんの声は拾わず、停めていた自転車に跨ると、ぼくはその場を去った。

 ひたすらペダルを漕ぐ。

 ぼくの頭には、公園で寄り添う二人の映像しか残っていなかった。

 顔を俯かせて泣く久野さんの肩を、勇気くんは優しく、自分のほうへと引き寄せた。

 あの二人が……なんて、始めからわかっていたことだから、ぼくが悲しくなる必要なんてない。

 涙が出る理由もない。

 ……なのに。やっぱり泣かずにはいられなかった。

 激しい動揺と闘いつつ、なんとかガレージに自転車を停め、玄関の戸を開けると、廊下にお兄ちゃんが立っていた。


「人夢、遅ぇ」


 ぼくは、手の甲でさっと涙を拭い、すぐさま靴を脱いだ。

 ごめんと謝りながら、お兄ちゃんの脇を抜けようとしたけど、手首を掴まれた。


「……ちょっと待て」


 足は止めずに、ぼくは腕を引いた。

 しかし、お兄ちゃんの力に勝てるわけがない。


「泣いてんのか? なんかあったか?」


 珍しく、お兄ちゃんが本気で心配している。

 だけど、いまだけはほうっておいてほしくて、俯いたまま、やたらと首を横に振った。ぐいぐいと腕を引く。


「なんでもないから……」

「なんでもねえなら、そんな声出すな。思いきり涙声じゃねえか。つうか、そうやってお前が泣いてるとこを兄貴にでも見られたりしたら、俺が怒られんだぞ」

「なにしてる」


 お兄ちゃんは、廊下の向こうから飛んできた声に驚いて、握力を緩めた。

 やっと手が離れる。


「いや、違っ。これは、こいつが勝手に……」

「なに焦ってんだ?」

「なんだ、善之かよ。驚かせんじゃねえって……おい。人夢!」


 ぼくは、お兄ちゃんの手から逃れて、台所に入ると、勢いよく戸を閉めた。

 もしかしたら、無理やり開けられるかもと思ったけれど、お兄ちゃんも善之さんも、静かに二階へと引き上げてくれた。

 今度は一人で、夕ご飯の支度を再開させた。

 それにしてもぼくは、なにに期待していたんだろう。

 もしかしたら、勇気くんも……なんて、絶対にあり得ないことなのに。

 それがもう悔しくて、みじめで、ばかばかしくて、仕方なかった。

 ──だったら、どうしてあのとき笑ってくれたの。

 目を合わせてくれたの。

 そう繰り返してみたところで、決して答えは返ってこない。

 すべてはぼくの、もともと叶うはずのない無理な、一方的な思い込みだったんだ。




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