「信じる?」

「んー……まあ。自分の目で見たら信じるしかないと思うけど……」


 勇気くんがあごを撫でた。それから、かっと目を大きくする。


「もしかして見たことあんの?」

「うん」

「マジ?」

「ゆうべうちに出たんだ。ここにほくろのある、背の高い人だった」


 自分の頬をさし、頭の上に手をかざす。

 途端にゆうべのうすら寒い感覚がよみがえってきて、ぼくは首をすくめた。

 勇気くんは、またあごを撫でている。そして、空へ、キャップのつば越しにちらっと視線を送った。


「それってさ、普通にヒトなんじゃないの?」


 ぼくは思わず足を止めた。

 少し遅れて、勇気くんも立ち止まる。


「ヒト?」

「人夢が幽霊と思ったそれは、たまたま人夢んちに遊びに来ていただれかなんじゃないかな、と。ほくろとか、背の高さとか、はっきり見えてる感じもするし」

「でも、足はよく見えなかったよ?」

「そりゃあ、暗かったからでしょ。つか、行くよ」


 勇気くんは、またさっさと歩き始めた。


「それにしても人夢って、怖い怖いとか言いつつ、見てるとこはちゃんと見てるよな」

「でも、そのだれかってだれだろう?」

「いや。それはおれに訊かれても」


 たしかにと、ぼくは目を伏せた。

 勇気くんがため息まじりに言う。


「豪さんの友だちとか? さっきバスの中で、ゆうべ豪さんは友だちと夕飯食べてきて、だから自分はひとりだったみたいなこと言ってたじゃん。だれか連れて帰ってきたんじゃないの? そんな話しなかった?」

「しなかった」


 というよりも、ぼくは幽霊と思い込んでいたから、お兄ちゃんが友だちを連れてきたとは、発想すらしていなかった。

 まさしく目からウロコだ。

 冷静に考えてみれば、勇気くんの言った「普通に人」のほうが、ぼくも安心できるし、しっくりくる。

 ただ納得のできないことが一つ──。


「だったらお兄ちゃん、友だちが来てるって普通に教えてくれてもいいのに。幽霊を見たことは一清さんには黙っておけなんて、変なこと言ったりして」

「友だちを連れてきたこと知られたくなかったからでしょ」

「……どうして?」

「だから。おれに訊かれてもわかんねえって」


 急に、怒ったような声を勇気くんは出した。

 ぼくはただびっくりしていて、次の言葉なんか出なかった。

 気まずい空気が流れる。

 そうなると、ぼくはもう後ろに引っ込むしかなくて、金魚のフンみたく黙って歩いた。

 仲見世通りをすぎて、大きな松や梅、桜の木がきれいに植えられてある公園内に入った。

 鹿の姿も多く確認できるようになってきた。

 勇気くんのあとについていくだけのぼくは、ぐるぐると考えていた。

 ──なんでいきなり怒っちゃったんだろう。

 でも、このままの雰囲気でいるのも嫌だと思って、勇気くんに声をかけようとした。

 そのとき、後ろからグイとバッグを引かれ、足を止めさせられた。振り返ると、すぐ後ろに一頭の鹿がいて、ショルダーバッグをくわえていた。


「え……」


 恐る恐る引いてみてもびくともしない。

 ぼくは、ロクちゃんの世話をするうち、ある程度大きさのある動物も平気でいられるようになったけど、こんな予想外の事態には、やっぱり強く出れない。


「人夢!」


 離れつつあった姿がまた近くなる。

 大変な状況なのに、ちょっとほっとなった。


「待ってて」


 勇気くんはそう残すと、どこかへ行ってしまった。

 一人になって、ぼくなりに打開策を講じてみるけれど、ぜんぜん放してくれない。周りの人から、ちらちら見られているのにも焦った。

 なにかを手にして、勇気くんが戻ってきた。仲見世通りで売られていた鹿せんべいだ。

 それを目ざとく見つけ、鹿がカバンを放した。なかなかパッケージを開けられない勇気くんを鼻で突いて急かしている。


「ちょっと待てって。ちょっ」


 最初は笑いも混じっていた声が切羽詰まったものへ変わっていく。

 カバンを拭きながらぼくは顔を上げ、すぐさま目を丸くした。

 勇気くんの周りにすごい数の鹿が集まっていた。


「見て。あの子」

「やだ、大丈夫なの」

「モテモテじゃん」

「でも大変そう」


 あまりの人気ぶりに、苦笑いで通りすぎていく人たち。

 ぼくもちょっとおかしかったけど、笑っている場合じゃなかった。でも追い払うこともできず、傍観するだけになっていた。


「人夢。ほら」


 鹿を避けながら勇気くんがきて、鹿せんべいを差し出した。


「え?」

「お前のぶん」


 戸惑っているぼくの手を取り、鹿せんべいをぽんと乗せた。

 まだパッケージされている新しいのだ。

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