ごめん



「──あ? ユーレイ?」


 お兄ちゃんや善之さんはちゃんと帰ってきているのかな。そう気がかりになりながらも、朝食を終え、後片づけをしていると、二階から物音が聞こえてきた。

 大きな足音の正体はやはりお兄ちゃんで、台所に入るや、いつもと変わらない様子で冷蔵庫を開けた。

 そこでぼくは、ゆうべ見た幽霊のことを話した。

 暗に、お兄ちゃんの帰りが遅かったという非難も込めて。


「アホか。どうせ寝ぼけてたんだろ」


 ポカリのペットボトルを手にして、お兄ちゃんは思いきり笑い飛ばした。流し台で後片づけをしていたぼくの後ろから、コップを二つ取っていく。


「寝ぼけてない。この目でちゃんと見たんだ。ここにほくろのある人がそこの廊下に立ってるの」


 途中で洗い物をやめ、水滴の残る指先を頬に当てて、ぼくは廊下を指さした。

 お兄ちゃんの足がぴたっと止まる。

 手にしていたものを食卓に置き、お兄ちゃんはぼくの肩をガシッと掴んだ。いやに堅い眼差しが注がれる。


「……な、なに?」

「いいか、人夢。そのユーレイの話は兄貴たちにはするなよ」


 ぼくは首を傾げた。


「ああ見えて兄貴は怖がりなんだ。ユーレイの話なんかしたら、寝られなくなってかわいそうだろ?」

「……」


 あの一清さんが、寝られなくなるくらい怖がりだなんて、信じられるわけがない。

 それを示すべく、ぼくは目を据えてみる。


「とにかく見間違いだ、見間違い」


 お兄ちゃんは、食卓に置いたものを素早く取り、廊下へと向かう。

 そのTシャツの裾を捕まえた。


「なんだよ?」

「コップ……なんで二つもいるの」


 お兄ちゃんは明らかに視線を泳がせ、肘でぼくの手を弾いた。


「いちいちうるっせえガキだな。俺の部屋で、タチの悪ぃ酔っ払いが寝てんだよ」


 吐き捨てるように怒鳴ると、来るときよりも大きな足音を立てて台所を出ていった。

 その背中に向け、ぼくは「あかんべ」をしてやった。

 情状酌量の余地なんて知るもんか。ゆうべのことは必ず一清さんに報告する。

 もっと舌を出して、最大の「あかんべ」をしていたら、なにかを催促するようにロクちゃんが吠えた。廊下のガラス戸に前足をつけ、しっぽを振っている。

 ぼくは天井を見上げ、自分の部屋へと消えていくお兄ちゃんの足音をたどった。

 仕方ない、とため息を吐く。

 途中だった洗い物を終わらせ、ロクちゃんの綱を取ると、ぼくは玄関へ向かった。





 午後一時ちょっと前。

 ぼくは、ショルダーバッグの中身を確認して、自分の部屋を出た。

 勇気くんと平野神社へ行く旨を記したものを食卓に置き、家を出る。

 いつもの角を曲がり、公園に入ったら、勇気くんの声が背後から飛んできた。


「おっす」

「……こんにちは」


 ぼくの口から出てきたものは、なんとも他人行儀で、自分でもおかしかった。

 勇気くんもかすれた声で笑う。


「バスの時間まですぐだから、歩きながら話そうか」


 一週間ちょっと会わなかっただけなのに、勇気くんとそれまでどんな会話をして、どんなふうに接していたのか忘れてしまうくらい、ぼくはカチコチしていた。

 となりに並ぶべきか、後ろにいるべきかもわからない。

 でも、バス停に着くと、勇気くんがたくさん話しかけてくれて、緊張も徐々にほぐれていった。

 バスが来た。

 それほど混んでなくて、一番後ろのシートに並んで座れた。


「人夢は動物大丈夫だったよな?」

「うん。平野神社って、たしか鹿がいっぱいいるんだよね」


 乗り換えたバスのほうは結構な人で、ぼくらは今度、並んで立った。

 なにげなくとなりの勇気くんを見上げ、ぼくはちょっとした違和感を覚えた。

 会話をしながらも、その違和感の正体を探すけど、なかなか見つけられない。

 そうこうしているうちにバスが目的地へ着いた。ここは終点だから、乗車していた人がどっと降りる。

 ぼくらは並んで歩き、やがて見えてきた大きな鳥居をくぐって、にぎやかな仲見世通りを進んだ。

 有名な観光地でもあるから人出はかなりある。

 ぼくはたまにキョロキョロしながら、広い通りを歩いた。

 勇気くんは黙々と前を行っていて、少しでも気を緩めると、距離が開いてしまう。ぼくは、離れないようにしなきゃと小走りで横へついて、なんとか話題を探し話しかけた。


「ねえ、勇気くんはオバケとか信じるほう?」

「──は?」


 やっぱり、ちょっと唐突だったかな。

 勇気くんが面食らっている。


「オバケ? カッパとか座敷わらしとか?」

「えっと、そういうのじゃなくて……」

「ああ。こっち?」


 勇気くんは両手の甲を見せ、幽霊のジェスチャーをした。

 ぼくは、うんと頷く。

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