ごめん
一
「──あ? ユーレイ?」
お兄ちゃんや善之さんはちゃんと帰ってきているのかな。そう気がかりになりながらも、朝食を終え、後片づけをしていると、二階から物音が聞こえてきた。
大きな足音の正体はやはりお兄ちゃんで、台所に入るや、いつもと変わらない様子で冷蔵庫を開けた。
そこでぼくは、ゆうべ見た幽霊のことを話した。
暗に、お兄ちゃんの帰りが遅かったという非難も込めて。
「アホか。どうせ寝ぼけてたんだろ」
ポカリのペットボトルを手にして、お兄ちゃんは思いきり笑い飛ばした。流し台で後片づけをしていたぼくの後ろから、コップを二つ取っていく。
「寝ぼけてない。この目でちゃんと見たんだ。ここにほくろのある人がそこの廊下に立ってるの」
途中で洗い物をやめ、水滴の残る指先を頬に当てて、ぼくは廊下を指さした。
お兄ちゃんの足がぴたっと止まる。
手にしていたものを食卓に置き、お兄ちゃんはぼくの肩をガシッと掴んだ。いやに堅い眼差しが注がれる。
「……な、なに?」
「いいか、人夢。そのユーレイの話は兄貴たちにはするなよ」
ぼくは首を傾げた。
「ああ見えて兄貴は怖がりなんだ。ユーレイの話なんかしたら、寝られなくなってかわいそうだろ?」
「……」
あの一清さんが、寝られなくなるくらい怖がりだなんて、信じられるわけがない。
それを示すべく、ぼくは目を据えてみる。
「とにかく見間違いだ、見間違い」
お兄ちゃんは、食卓に置いたものを素早く取り、廊下へと向かう。
そのTシャツの裾を捕まえた。
「なんだよ?」
「コップ……なんで二つもいるの」
お兄ちゃんは明らかに視線を泳がせ、肘でぼくの手を弾いた。
「いちいちうるっせえガキだな。俺の部屋で、タチの悪ぃ酔っ払いが寝てんだよ」
吐き捨てるように怒鳴ると、来るときよりも大きな足音を立てて台所を出ていった。
その背中に向け、ぼくは「あかんべ」をしてやった。
情状酌量の余地なんて知るもんか。ゆうべのことは必ず一清さんに報告する。
もっと舌を出して、最大の「あかんべ」をしていたら、なにかを催促するようにロクちゃんが吠えた。廊下のガラス戸に前足をつけ、しっぽを振っている。
ぼくは天井を見上げ、自分の部屋へと消えていくお兄ちゃんの足音をたどった。
仕方ない、とため息を吐く。
途中だった洗い物を終わらせ、ロクちゃんの綱を取ると、ぼくは玄関へ向かった。
午後一時ちょっと前。
ぼくは、ショルダーバッグの中身を確認して、自分の部屋を出た。
勇気くんと平野神社へ行く旨を記したものを食卓に置き、家を出る。
いつもの角を曲がり、公園に入ったら、勇気くんの声が背後から飛んできた。
「おっす」
「……こんにちは」
ぼくの口から出てきたものは、なんとも他人行儀で、自分でもおかしかった。
勇気くんもかすれた声で笑う。
「バスの時間まですぐだから、歩きながら話そうか」
一週間ちょっと会わなかっただけなのに、勇気くんとそれまでどんな会話をして、どんなふうに接していたのか忘れてしまうくらい、ぼくはカチコチしていた。
となりに並ぶべきか、後ろにいるべきかもわからない。
でも、バス停に着くと、勇気くんがたくさん話しかけてくれて、緊張も徐々にほぐれていった。
バスが来た。
それほど混んでなくて、一番後ろのシートに並んで座れた。
「人夢は動物大丈夫だったよな?」
「うん。平野神社って、たしか鹿がいっぱいいるんだよね」
乗り換えたバスのほうは結構な人で、ぼくらは今度、並んで立った。
なにげなくとなりの勇気くんを見上げ、ぼくはちょっとした違和感を覚えた。
会話をしながらも、その違和感の正体を探すけど、なかなか見つけられない。
そうこうしているうちにバスが目的地へ着いた。ここは終点だから、乗車していた人がどっと降りる。
ぼくらは並んで歩き、やがて見えてきた大きな鳥居をくぐって、にぎやかな仲見世通りを進んだ。
有名な観光地でもあるから人出はかなりある。
ぼくはたまにキョロキョロしながら、広い通りを歩いた。
勇気くんは黙々と前を行っていて、少しでも気を緩めると、距離が開いてしまう。ぼくは、離れないようにしなきゃと小走りで横へついて、なんとか話題を探し話しかけた。
「ねえ、勇気くんはオバケとか信じるほう?」
「──は?」
やっぱり、ちょっと唐突だったかな。
勇気くんが面食らっている。
「オバケ? カッパとか座敷わらしとか?」
「えっと、そういうのじゃなくて……」
「ああ。こっち?」
勇気くんは両手の甲を見せ、幽霊のジェスチャーをした。
ぼくは、うんと頷く。
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