約束



「マジかよ。だったら、今夜は祝勝会で決まりだな」


 帰宅したぼくが台所の戸を開けると、そんな声が居間から飛んできた。

 善之さんだ。

 通りすがりに目をやると、善之さんは座卓にいて、すごくうれしそうに携帯電話の相手としゃべっていた。

 その声は、流し台で手を拭いているぼくへと、徐々に近づいてくる。


「もちろん来るなっつっても顔出すよ。……ああ。わかった。じゃあ、またあとで」


 携帯を食卓に置き、善之さんはニコニコして、ぼくに視線をくれた。


「三津谷が勝ったらしいぞ」

「え?」

「なんだ。聞いてないのか? きょう大会があって、人夢の学校が優勝したんだ」


 野球の試合があることすら、ぼくは知らなかった。

 しかし、優勝という言葉を思い出して、じわじわとうれしさが湧き上がってきた。しかも、勇気くんがピッチャーを務めた試合だ。


「本当に? すごいね!」

「これで全中に出れる。快挙だな。まあ、三津谷ならやってくれると、俺は思ってたけど」


 まるで自分のことのように、善之さんは喜んでいた。

 ぼくは、食卓の携帯を見やる。


「もしかして……いまの電話、勇気くんから?」

「いや、OB仲間から。そういえば人夢は知らないよな? 俺、三津谷の先輩にあたるんだ。野球部の」


 そこへ、今度は固定電話が鳴り、その音にすぐ反応した善之さんが居間に戻った。

 我が家で家電が鳴るのはすごく珍しい。お兄さんたちへの電話は、それぞれの携帯にかかってくるからだ。


「お前に電話だ。担任の先生から」


 善之さんに呼ばれ、ぼくはびっくりした。

 小林先生からと聞いて、にわかに緊張も走る。ゆっくりと受話器を取った。


「もしもし、代わりました」

「篠原? 急に悪いな。学校から緊急の連絡があるんだが、先生うっかりしてて、連絡網に篠原を入れるのを忘れていたんだ。それで今回は直接かけさせてもらった」


 ぼくは、はいと頷いた。


「もしかしたら、篠原の耳には入っているかもしれないが、きょう、三津谷の所属する野球部が中総体で優勝して、全国大会への出場を決めた。その壮行会を、あさっての金曜に行うことになったんだ。だから、あさっては、いつもの時間までに登校して、すぐに体育館へ集まってほしい」


 先生は口早にしゃべり終えると、ぼくの返事を聞いてから電話を切った。

 受話器を置いた途端、また電話が鳴った。息つく間もなく、もう一度、受話器を耳にあてがう。

 息を呑むような間が相手にもあって、ちょっとしてからしゃがれ声が返ってきた。


「──人夢?」

「はい……って、勇気くん?」


 それにしたって、ずいぶん声がかすれている。


「おう。久しぶり」

「どうしたの? 風邪でも引いた? すごい声だよ」


 勇気くんの返事がなく、ぼくは心配になった。

 具合が悪くて、野球の試合も無理して出ていたのだとしたら、それは、おめでとうの一言で片づけられなくなる。


「勇気くん?」

「みんな、人夢みたいなこと言うんだけどさ、おれの声、そんなに変か?」

「変じゃないけど、急に大人になったみたいな──」


 と口にしてから、ふと気がついた。


「もしかして……声変わりとか?」

「それもあるみたいだ。人が言うほど、おれは変わっていないと思うんだけど」


 そういえば、健ちゃんは小六のときにキたと言っていた。

 ぼくは声どころか、身長だってぜんぜん変わらない。

 それには個人差があって、自分じゃどうにもならないこともわかっている。だけど、二人に置いてかれた感は、やっぱり否めない。


「ま、応援で声を出しすぎたってのもあると思う」

「でも、よかった。具合が悪いとかじゃなくて」

「うん」

「ほんと、優勝おめでとう」


 勇気くんが受話器の向こうでクスッと笑った。


「知ってたんだ?」

「うん」

「あ、善之さんか……」

「とっても嬉しそうにしてたよ、善之さん。三津谷ならやってくれると思ったって」


 台所のほうをちらっと見て、ぼくは言った。

 しかし、善之さんの姿はない。


「ところでさ、人夢。あした、なにか予定とかある?」

「……え?」

「あしたの練習、午前中で終わりにするって顧問の先生が言ったから、久しぶりだし、人夢と会えたらいいなと思って。だから……」

「うん!」


 勇気くんが言い終わらないうちに、ぼくは大きく頷いていた。

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