健ちゃんは参考書を持った手を出入り口へと向けた。


「ケーキ屋って、あそこ?」

「うん」

「へえ。人夢くんもあの店好きなんだ」

「ぼくもって……健ちゃんもよく行くの?」

「いや、俺じゃなくて」


 参考書を持った手を、今度は振る。


「うちのアネキが好きでさ。味もさることながら、めちゃくちゃカッコいいバイトが働いてるとかで」

「あ」


 ぼくは、「アネキ」という言葉を聞いて、このあいだのスーパーでの一件を思い出した。

 すぐ、お姉さんに会ったことを伝えると、健ちゃんはぽかんとした。


「……あ、ごめんね。話の腰折っちゃって」

「どっちの?」

「え?」

「俺のアネキ、二人いんの」


 本屋さんにいるのも忘れて、ほくは声を上げてしまった。

 慌てて口を押さえる。


「なに。俺にアネキが二人もいるのヘン?」

「変じゃないよ。いきなり大声出してごめん」

「でもさ、前にそんな話しなかったっけ? 俺にはアネキが二人いるって」


 ぼくが「ううん」と返す前に、健ちゃんは「あっ」と口を開けた。またぼくの肩を掴む。


「もしかして美保(みほ)のほう?」

「うん」


 健ちゃんの表情が曇った。


「美保、なんかヘンなこと口走ってなかった? つうか、どこで会ったの?」

「緑ヶ丘の新しいスーパー。土曜だったかな。お兄ちゃんと善之さんと買い物に行ってて、そこで会ったんだ。なんか──」


 ぼくは口ごもった。

 そのときの詳しい話をしていいものかどうか。なにやらもめていた感もあったし、お兄ちゃんに関することなら、なおさら滅多なことは口にできない。


「……お兄ちゃんと美保さんて同級生なのかな?」

「いや、美保のほうが二コ上。あいつ、いま短大生だから。もう一人のアネキの有華(ゆか)が、豪さんと同い年なんだ。しかも、おんなじ高校でおんなじクラス」


 へえ、と口の中で呟いて、ぼくははっとなった。

 もしかして、美保さんの言っていた「あの子」って、その有華さんじゃないだろうか。美保さんは妹を心配して、お兄ちゃんにああ言っていたのかもしれない。

 有華さんとお兄ちゃんの仲を、健ちゃんに確かめてみようかと思ったけど、やぶへびにでもなったら困るから、やっぱりやめておいた。


「じゃあ、人夢くん。あの店に行ったあとでもいいんだけど、俺に少し時間くれる? 話があるんだ」


 健ちゃんは持っていた参考書を、ぼくは小説を一冊買い、揃って本屋を出た。


「女子しか見えない……」


 健ちゃんは歩きながらぽつりと言う。鼻の下も伸ばして、洋菓子屋さんを窺っている。

 ぼくは、健ちゃんの「話」のほうが気になって、道路の真ん中で足を止めた。


「ねえ、話ってなに? もしなんだったら、いまでもいいよ」


 ぼくが腕を取ると、健ちゃんはお店にも目をやり、頭を掻いた。急に真面目な顔をして、咳払いまでしている。

 なんだか、言いにくそう。

 こっちまでドキドキしてしまって、変な沈黙が続いた。

 そこへ、ぼくらを割るように、男の人の声が飛んできた。

 思わず揃って、声のしたほうへ振り返る。

 洋菓子屋さんの裏手へ通じる脇道に、携帯電話を見つめて立っている男の人がいた。背が高く、若そうにも見える。

 その人はどこかのドアを開け、すぐに道から消えた。

 会ったことのある人な気がして、ぼくは目を釘づけにしていた。


「あれは店の裏口かな……。つうことは、あいつが例のバイトか」


 健ちゃんがぼそぼそ言うのが聞こえ、ぼくは我に返った。

 あの横顔はまだちらついているけど、健ちゃんに呼ばれて、そこから目を離した。


「再来週、花火大会あるでしょ。それ、だれかと行く予定ある?」

「……え?」

「とくに決まってないんだったら、俺と一緒にどう?」


 思ってもいなかった言葉に、ぼくはなんの反応もできなかった。

 花火大会があるのも完全に忘れていたし、もちろん、だれかと行くのも考えていなかった。


「ええと……」

「もしかして、花火にあんま興味ない?」


 ぼくは、ぶんぶんと首を振った。


「だよね。花火が好きじゃないヒトなんていないよな」

「勇気くんは……どう思うかな」

「え?」

「どうせなら、勇気くんも誘おう」


 ぼくが言うと、健ちゃんは目を見張ったあと、眉尻を下げ、苦笑いを見せた。


「いやだな、人夢くん。勇気は勇気で、ちゃんと行く相手がいるじゃん」

「……」


 ──それはわかってる。

 相手が久野さんだってことも、二人は公認の仲なんだというのも。

 ぜんぶわかってるつもりだ。

 でも……。


「人夢くん、ごめん。そろそろ行かなきゃだから、来週くらいまでに考えといてよ」


 ぼくは、すでになにも言えなくなっていた。

 健ちゃんは片手を上げ、自転車に跨る。

 小さくなっていくその背中さえ、ぼくには見えてなかった。




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