四
健ちゃんは参考書を持った手を出入り口へと向けた。
「ケーキ屋って、あそこ?」
「うん」
「へえ。人夢くんもあの店好きなんだ」
「ぼくもって……健ちゃんもよく行くの?」
「いや、俺じゃなくて」
参考書を持った手を、今度は振る。
「うちのアネキが好きでさ。味もさることながら、めちゃくちゃカッコいいバイトが働いてるとかで」
「あ」
ぼくは、「アネキ」という言葉を聞いて、このあいだのスーパーでの一件を思い出した。
すぐ、お姉さんに会ったことを伝えると、健ちゃんはぽかんとした。
「……あ、ごめんね。話の腰折っちゃって」
「どっちの?」
「え?」
「俺のアネキ、二人いんの」
本屋さんにいるのも忘れて、ほくは声を上げてしまった。
慌てて口を押さえる。
「なに。俺にアネキが二人もいるのヘン?」
「変じゃないよ。いきなり大声出してごめん」
「でもさ、前にそんな話しなかったっけ? 俺にはアネキが二人いるって」
ぼくが「ううん」と返す前に、健ちゃんは「あっ」と口を開けた。またぼくの肩を掴む。
「もしかして美保(みほ)のほう?」
「うん」
健ちゃんの表情が曇った。
「美保、なんかヘンなこと口走ってなかった? つうか、どこで会ったの?」
「緑ヶ丘の新しいスーパー。土曜だったかな。お兄ちゃんと善之さんと買い物に行ってて、そこで会ったんだ。なんか──」
ぼくは口ごもった。
そのときの詳しい話をしていいものかどうか。なにやらもめていた感もあったし、お兄ちゃんに関することなら、なおさら滅多なことは口にできない。
「……お兄ちゃんと美保さんて同級生なのかな?」
「いや、美保のほうが二コ上。あいつ、いま短大生だから。もう一人のアネキの有華(ゆか)が、豪さんと同い年なんだ。しかも、おんなじ高校でおんなじクラス」
へえ、と口の中で呟いて、ぼくははっとなった。
もしかして、美保さんの言っていた「あの子」って、その有華さんじゃないだろうか。美保さんは妹を心配して、お兄ちゃんにああ言っていたのかもしれない。
有華さんとお兄ちゃんの仲を、健ちゃんに確かめてみようかと思ったけど、やぶへびにでもなったら困るから、やっぱりやめておいた。
「じゃあ、人夢くん。あの店に行ったあとでもいいんだけど、俺に少し時間くれる? 話があるんだ」
健ちゃんは持っていた参考書を、ぼくは小説を一冊買い、揃って本屋を出た。
「女子しか見えない……」
健ちゃんは歩きながらぽつりと言う。鼻の下も伸ばして、洋菓子屋さんを窺っている。
ぼくは、健ちゃんの「話」のほうが気になって、道路の真ん中で足を止めた。
「ねえ、話ってなに? もしなんだったら、いまでもいいよ」
ぼくが腕を取ると、健ちゃんはお店にも目をやり、頭を掻いた。急に真面目な顔をして、咳払いまでしている。
なんだか、言いにくそう。
こっちまでドキドキしてしまって、変な沈黙が続いた。
そこへ、ぼくらを割るように、男の人の声が飛んできた。
思わず揃って、声のしたほうへ振り返る。
洋菓子屋さんの裏手へ通じる脇道に、携帯電話を見つめて立っている男の人がいた。背が高く、若そうにも見える。
その人はどこかのドアを開け、すぐに道から消えた。
会ったことのある人な気がして、ぼくは目を釘づけにしていた。
「あれは店の裏口かな……。つうことは、あいつが例のバイトか」
健ちゃんがぼそぼそ言うのが聞こえ、ぼくは我に返った。
あの横顔はまだちらついているけど、健ちゃんに呼ばれて、そこから目を離した。
「再来週、花火大会あるでしょ。それ、だれかと行く予定ある?」
「……え?」
「とくに決まってないんだったら、俺と一緒にどう?」
思ってもいなかった言葉に、ぼくはなんの反応もできなかった。
花火大会があるのも完全に忘れていたし、もちろん、だれかと行くのも考えていなかった。
「ええと……」
「もしかして、花火にあんま興味ない?」
ぼくは、ぶんぶんと首を振った。
「だよね。花火が好きじゃないヒトなんていないよな」
「勇気くんは……どう思うかな」
「え?」
「どうせなら、勇気くんも誘おう」
ぼくが言うと、健ちゃんは目を見張ったあと、眉尻を下げ、苦笑いを見せた。
「いやだな、人夢くん。勇気は勇気で、ちゃんと行く相手がいるじゃん」
「……」
──それはわかってる。
相手が久野さんだってことも、二人は公認の仲なんだというのも。
ぜんぶわかってるつもりだ。
でも……。
「人夢くん、ごめん。そろそろ行かなきゃだから、来週くらいまでに考えといてよ」
ぼくは、すでになにも言えなくなっていた。
健ちゃんは片手を上げ、自転車に跨る。
小さくなっていくその背中さえ、ぼくには見えてなかった。
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