三
ミホさんがぼくから視線を外し、また表情を変えた。頬を膨らませる。
「……逃げたわね」
ぼくも見回すと、お兄ちゃんの姿がなくなっていた。
「本当に自己中もいいとこ。トムくん、キミは絶対にあんな男になっちゃダメよ」
それじゃあ、と手を振って、ミホさんは歩き出した。その後ろ姿からも怒気がちらほら。
ぼくはカートに脱力して、ため息を吐いた。
でも、お兄ちゃんがいなくなってよかったのかもしれない。これでゆっくりと買い物ができる。ちゃちゃを入れられる心配も、余計なものを入れられる心配もない。
ぼくは急いで買い物を再開した。
カートの中のものとメモを照らし合わせ、指差し確認。買い忘れがないのを確かめてからレジへ向かう。
さすがに量も量だし、そろそろお兄ちゃんか善之さんを呼んでおきたい。
二人を捜してキョロキョロしたとき、お惣菜コーナーでオードブルのビラを見つけた。
『夏祭り合わせのご予約はお早めに!』
「……あ、そっか」
そのビラを見て、思い出した。
再来週、近くの大きな川で、花火大会が行われる。
屋台もたくさん出るから、川岸に大勢がこぞって場所取りをするんだ。
ぼくも家族で見に行った。お父さんから肩車をしてもらって、夜空に咲く大輪を夢中になって見上げた。
「人夢」
レジで清算を終え、買ったものをエコバッグに詰めていると、善之さんがやってきた。
「豪はどうした?」
ぼくは手を止めないで、首を横に振った。
「途中でどこかに行っちゃった」
「黙ってか?」
「うん」
「しょうがねえヤツだな」
タバコの匂いを漂わせた善之さんは、もう一枚のエコバッグを取った。ちょっとがさつな手つきで、ぼくを手伝ってくれる。
スーパーを出て、買ったものを車に乗せているところでお兄ちゃんが戻ってきた。
どこへ行ってたんだと、義之さんから注意されても、お兄ちゃんは答えず、蒸し風呂のようになってしまった車内へ真っ先に乗り込んだ。
その表情に、うきうきがもれている。もしかしたら、さっきミホさんが口にしていた「あの子」に連絡していたのかもしれない。
ぼくは、どんな感じの女の人かを想像しながら、熱気の収まった車へ乗り込んだ。
それから数日後の水曜日。ぼくは、駅前のアーケードにある馴染みの本屋さんに来ていた。
向かいの洋菓子屋さんにも、このあと寄る予定だ。このあいだスーパーへ行ったとき、お菓子だけ買い忘れていたから。
小説を物色しながら狭い通路を進んでいたぼくは、踏み台を視界に入れ、そのとなりにそびえ立つ本棚の一番上を見た。
あそこに並ぶ本はどんなものなのか、前々から気になっていた。
「あれ、人夢くんじゃん」
踏み台に乗ってすぐ、ぼくは声をかけられた。伸ばした手もそのままに下を見る。
健ちゃんだった。
「こんなトコで人夢くんに会えるとは」
ぼくも同じことを思ったから、踏み台から降りながら、「うん」と頷いた。
健ちゃんが首を伸ばし、店内を見渡す。
「もしかして……一人?」
「うん。健ちゃんは?」
「俺も一人」
満面の笑みを見せたあと、またキョロキョロした。
ここには初めて来たんだと思って、ぼくは奥を指さした。
「マンガならあっちだよ」
健ちゃんの目がわずかに丸くなる。
「ああー。ごめん。俺、マンガは読まないんだ」
「え?」
ガシッと、いきなりぼくの肩を掴み、健ちゃんは顔を近づけた。
「こう見えてすげえ文学派なの、俺」
それから健ちゃんは、いろんな作家さんの名前を挙げていった。あの作家さんのこの本が面白いとか、この本には感動したとか。
「──けど、きょうは参考書を買いに来たんだよね」
最後に、そうつけ加えた。
残念ながら、いま出てきた話の中に、ぼくがひいきにしている作家さんはいなかった。
でも、健ちゃんの意外な一面を知れて、感嘆していたのも事実。外見で判断しちゃいけないんだろうけど、マンガのほうが好きだろうと、勝手に思っていた。
「でさ、人夢くん。これから予定とかあるの?」
適当な小説を眺めていたら、参考書コーナーに行っていた健ちゃんが戻ってきた。
ぼくは、本を戻して頷く。
「向かいのケーキ屋さんに行こうかなって」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます