ミホさんがぼくから視線を外し、また表情を変えた。頬を膨らませる。


「……逃げたわね」


 ぼくも見回すと、お兄ちゃんの姿がなくなっていた。


「本当に自己中もいいとこ。トムくん、キミは絶対にあんな男になっちゃダメよ」


 それじゃあ、と手を振って、ミホさんは歩き出した。その後ろ姿からも怒気がちらほら。

 ぼくはカートに脱力して、ため息を吐いた。

 でも、お兄ちゃんがいなくなってよかったのかもしれない。これでゆっくりと買い物ができる。ちゃちゃを入れられる心配も、余計なものを入れられる心配もない。

 ぼくは急いで買い物を再開した。

 カートの中のものとメモを照らし合わせ、指差し確認。買い忘れがないのを確かめてからレジへ向かう。

 さすがに量も量だし、そろそろお兄ちゃんか善之さんを呼んでおきたい。

 二人を捜してキョロキョロしたとき、お惣菜コーナーでオードブルのビラを見つけた。


『夏祭り合わせのご予約はお早めに!』


「……あ、そっか」


 そのビラを見て、思い出した。

 再来週、近くの大きな川で、花火大会が行われる。

 屋台もたくさん出るから、川岸に大勢がこぞって場所取りをするんだ。

 ぼくも家族で見に行った。お父さんから肩車をしてもらって、夜空に咲く大輪を夢中になって見上げた。


「人夢」


 レジで清算を終え、買ったものをエコバッグに詰めていると、善之さんがやってきた。


「豪はどうした?」


 ぼくは手を止めないで、首を横に振った。


「途中でどこかに行っちゃった」

「黙ってか?」

「うん」

「しょうがねえヤツだな」


 タバコの匂いを漂わせた善之さんは、もう一枚のエコバッグを取った。ちょっとがさつな手つきで、ぼくを手伝ってくれる。

 スーパーを出て、買ったものを車に乗せているところでお兄ちゃんが戻ってきた。

 どこへ行ってたんだと、義之さんから注意されても、お兄ちゃんは答えず、蒸し風呂のようになってしまった車内へ真っ先に乗り込んだ。

 その表情に、うきうきがもれている。もしかしたら、さっきミホさんが口にしていた「あの子」に連絡していたのかもしれない。

 ぼくは、どんな感じの女の人かを想像しながら、熱気の収まった車へ乗り込んだ。





 それから数日後の水曜日。ぼくは、駅前のアーケードにある馴染みの本屋さんに来ていた。

 向かいの洋菓子屋さんにも、このあと寄る予定だ。このあいだスーパーへ行ったとき、お菓子だけ買い忘れていたから。

 小説を物色しながら狭い通路を進んでいたぼくは、踏み台を視界に入れ、そのとなりにそびえ立つ本棚の一番上を見た。

 あそこに並ぶ本はどんなものなのか、前々から気になっていた。


「あれ、人夢くんじゃん」


 踏み台に乗ってすぐ、ぼくは声をかけられた。伸ばした手もそのままに下を見る。

 健ちゃんだった。


「こんなトコで人夢くんに会えるとは」


 ぼくも同じことを思ったから、踏み台から降りながら、「うん」と頷いた。

 健ちゃんが首を伸ばし、店内を見渡す。


「もしかして……一人?」

「うん。健ちゃんは?」

「俺も一人」


 満面の笑みを見せたあと、またキョロキョロした。

 ここには初めて来たんだと思って、ぼくは奥を指さした。


「マンガならあっちだよ」


 健ちゃんの目がわずかに丸くなる。


「ああー。ごめん。俺、マンガは読まないんだ」

「え?」


 ガシッと、いきなりぼくの肩を掴み、健ちゃんは顔を近づけた。


「こう見えてすげえ文学派なの、俺」


 それから健ちゃんは、いろんな作家さんの名前を挙げていった。あの作家さんのこの本が面白いとか、この本には感動したとか。


「──けど、きょうは参考書を買いに来たんだよね」


 最後に、そうつけ加えた。

 残念ながら、いま出てきた話の中に、ぼくがひいきにしている作家さんはいなかった。

 でも、健ちゃんの意外な一面を知れて、感嘆していたのも事実。外見で判断しちゃいけないんだろうけど、マンガのほうが好きだろうと、勝手に思っていた。


「でさ、人夢くん。これから予定とかあるの?」


 適当な小説を眺めていたら、参考書コーナーに行っていた健ちゃんが戻ってきた。

 ぼくは、本を戻して頷く。


「向かいのケーキ屋さんに行こうかなって」

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