「タバコ吸ってくるって喫煙所へ行った。あ、お前。このカートはな、ピーマンの乗車禁止」


 ぼくが入れたピーマンを、お兄ちゃんが陳列棚へ返した。


「えー。じゃあ、きょうの夕ご飯、広美さんがチンジャオロースー作るって言ってたのに、作れなくなるじゃん」

「したら、にんじんジャオロースーにでもしてもらえ」

「……なにそれ。というか、チンジャオロースーのチンて、ピーマンて意味なの?」

「さあ。知らねえ」

「……」

「おい、人夢。魚は? タイ買おうぜ、タイ」


 ぼくが手を離してしまった隙に、お兄ちゃんはもう鮮魚コーナーへ行っていた。ピーマンを持ち、その後ろ姿を慌てて追いかける。


「待って、お兄ちゃん。今度はこっち」


 追いつくと、ぼくは無理やりカートを方向転換させた。


「おま、ちょっと待てよ。それこそ余計なもんだろ」

「余計じゃないよ。好きなの買ってきていいって、広美さんが言ってくれたんだから」


 お菓子の陳列棚へ向かい、なににしようかなと見て回ろうとしたら、ぼくの掴んでいたカートがいきなり動かなくなった。

 振り返ると、お兄ちゃんが白々しくそっぽを見た。それなのに、がっちりと手には力を入れている。

 ぼくがカートを揺らしても、思いっきり引っ張っても、当然びくともしない。


「……なんでっ、そんな意地悪するかなっ」

「んな力じゃあ、ぜんぜん進まねえぞ」

「ちょっと!」


 そのうち疲れてきて、やむなく手を離した。

 すると、水を得た魚のように、お兄ちゃんはカートを押し走っていった。


「はあ?」


 ……ほんと、いちいちつき合うのも疲れる。

 どうしたらいいんだろうと思案していたら、いま消えたばかりのお兄ちゃんが戻ってきた。


「人夢。走れ!」


 お兄ちゃんが叫んだ。後ろへ行けというふうに手を振っている。

 わけがわからず、突っ立ったまんまでいたら、お兄ちゃんがすれ違いざま、ぼくの手を掴んだ。


「なに、どうしたの?」

「いいから。後ろは見ないで急げ」


 見るなと言われても、気になるものは気になる。

 ぼくは走らされながら振り返ってみたけど、普通にお菓子を買っている人ばかりだ。特に変わったことはない。


「つーかまえた」


 陳列棚の切れ目で、お兄ちゃんが折れ曲がろうとしたとき、カートが激しい音を立てた。

 お兄ちゃんはぴたっと立ち止まる。もちろん、ぼくも。

 カートを掴んで、だれかが立ちはだかっていた。

 とてもきれいな背の高い女の人。茶色のショートボブで、青いワンピースを着ている。

 ぼくは初めて見るその女の人は、なぜかお兄ちゃんを睨みつけていた。


「なんで、あたしの顔見て逃げるわけ?」

「べつに」

「やましいことがあるんじゃないの?」

「ねえよ」


 お兄ちゃんは吐き捨てるように言ったあと、舌打ちをした。

 どうやら、お兄ちゃんの知り合いみたいだ。なのに、かなりの険悪ムード。

 ぼくはハラハラしながら、二人の顔を交互に見た。


「それよりあんた、どうして連絡してあげないのよ」

「おめえには関係ねえ。つうか、なんでいちいち首突っ込んでくんだよ」

「そうでもしてあげなきゃ、あんたたち、いつまでたっても仲直りしないからじゃない。ほんと、変な意地張り合ってるんだから」

「……」

「あの子、こっそりプールに行ってるのよ」


 ぼくの手首が締めつけられた。

 びっくりして肘を引くと、お兄ちゃんも、ぼくの手を握ったままだと気づいて、ぱっと放した。


「わ、わりぃ」

「あれ……。もしかして、キミ」


 その女の人が、ぼくに視線を移す。


「トムくんじゃない? トムくんでしょ?」


 それまでお兄ちゃんに目くじら立てていたのがうそのように、女の人は笑顔になった。

 とりあえず、ぼくは頷いた。


「やっぱりね。ケンの言ってた通りだもの。あたし、ミホっていうんだけど、トムくん。ケンって知ってるでしょ?」


 ──ケン?

 と、ぼくは呟いて、ちょっと考えてみた。でも、心当たりは一人しかいない。


「仙道の……健ちゃんですか?」

「そうそう。あたし、健のアネキなの」

「ええっ」


 ぼくはとてもびっくりして、健ちゃんのお姉さんだというミホさんをじっくり見た。

 そう言われてみれば、似てるような感じもする。

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