ハートビート
兄と姉
一
となり町にある最近できた大型スーパー。その青果売り場で、両手にそれぞれキャベツを持ち、ぼくは悩んでいた。
もちろん、どっちにしようかってことじゃなく、いくつ買おうかってことに。
夏休みに入って、早くも一週間になるきょう。仕事で忙しい広美さんに頼まれて、ぼくは、お兄ちゃんも一緒に、善之さんの運転する車でこのスーパーへ買い出しに来ていた。
じつは、我が家の財布のひもは、広美さんが握っている。
てっきり、長男である一清さんが握っているものと思っていたけれど、よくよく観察していると、食材の買い出しも、おこづかいをくれるのも、大体が広美さんだ。
ある日、そのことをお兄ちゃんに話したら、「サラリーマンの兄貴より、自営業の広美のほうがわりと自由に動き回れるから」と言っていた。
ぼくは、どうしても一清さんと接することが多かったし、こうして改めて広美さんの立場を考えてみて、縁の下の力持ちって言葉がぴったりだと思った。
お店に出て、スタッフさんも動かして。家に帰ればご飯を作って、弟の面倒も見る。
一番すごいと思うのは、どんなに大変であろうと、あの柔軟な物腰を崩さないところ。
お兄ちゃんも、なにかあると広美さんにまず相談する。一清さんに訊けばいいことも、とりあえずは広美さんに訊く。
そんなふうに、お兄さんたち独特の縦社会を考えてみたとき、ぼくはいつも、次郎さんはどんな人なのか気になった。
きっと……いや絶対に、お兄さんたちに負けず劣らず素敵な人なんだろうと思う。
だけど、お兄さんたちと初めて顔を合わせたときを思い出すと、次郎さんのこともなかなか訊きづらかった。次郎さんの名前を一清さんが出しただけで、なごやかな空気ががらりと変わった。
キャベツを持ったまま、そうして長考に走っていたぼくだったけど、背中になにかが当たって、はっと我に返った。
とっさに身を引き、横を確認する。
中年の女の人がこっちをじろじろ見ていた。
「す、すみません」
キャベツを持ったのに、ずっと動かなかったから、変なやつに思われたんだ。
ぼくは、キャベツをカートに入れようと振り返った。
しかし、知らない顔ばかりが並んでいる。
なんと、さっきまで一緒だった二人がいない。しかも、カートはお兄ちゃんに任せていた。
お兄ちゃんだけならまだしも、善之さんまでいなくなるなんて、ぼくは思ってもみなかった。
キャベツを抱えたまま、だだっ広いスーパー内を迷走する。
生鮮、乾物、お菓子やカップめん売り場。乳製品コーナーを覗いて、最後に、お弁当やお惣菜が置いてあるところも回ったけれど、二人の姿は見えなかった。
ぼくは、じだんだ踏んだ。
諦めるわけにもいかないから、キョロキョロしていると、精肉売り場に試食コーナーが設けられているのに気がついた。アルバイトらしき若い女の人が、笑顔でソーセージを配っている。
そこに、見覚えのありすぎる背中があった。
ぼくは小走りで向かう。
お兄ちゃんは、試食コーナーの女の人になにやら話しかけていて、そのかたわらにあるカートはとんでもないことになっていた。
「ちょっと!」
「おう、人夢」
悪びれる様子もなく、お兄ちゃんは手を上げてみせると、近くのくずかごにつまようじを捨てた。
「なに? これ」
ぼくは、カートにキャベツを入れ、中に積まれてあるパックを取った。
「なにって。肉」
「それは見てわかるから。そうじゃなくて──」
こんなにたくさん入れて……。
お兄さんたちはたしかに大食いだ。それでも、常識の範囲内っていうものがある。うちは相撲部屋じゃないんだから。
「松坂、米沢、神戸、村上……。ていうか、牛肉は買わないんだよ。ぜんぶ戻してきて」
「ああ?」
急にお兄ちゃんの目つきが鋭くなった。
でも、おあいにくさま。ぼくはいままでのぼくとは違うんだ。
それに、当たり前のことを注意されただけでそんな顔するなんて、大人げないにもほどがある。
ぼくは負けじと、お兄ちゃんを見返した。
「……わかったよ。戻してくりゃいいんだろ」
そう言って背を向けたお兄ちゃんも、いままでとはどこか違うみたいだ。
それにしても、あれだけ広美さんから、余計なものは買ってくるなと口を酸っぱくして言われたのに。
もしかしてお兄ちゃんは天然だろうか?
でも、頭はいいはずなんだ。お兄ちゃんの通う高校は、この辺で一番の進学校だから。
「そういえば善之さんは?」
カートの中をキャベツだけにして、最初の青果売り場へ戻る。またどこかへ行かれるとかなわないから、カートの端を掴んだまま、お兄ちゃんを従え、ぼくは買い物を続けた。
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