どんなにぼくがわがままを言っても、どうにもならないこと。

 それでも、ああ言うのを止められなかった。

 言ってしまったら、あとは意地の一点張りで、お父さんとは口をきかなかった。

 すると、次の日、お父さんが仕事から帰ってこなかったんだ。

 ぼくはたちまち不安になる。


『おとうさんは、ぼくがなにもいわなかったから、おこってかえってこなくなっちゃったんだ……っ』


 考えれば考えるほど絶対にそうだと思えてきて、最後には、やっぱりお母さんに泣きついていた。


『おかあさん、おかあさんっ。おとうさんは、ぼくがきらいになったから、かえってこないの? わーん。ごめんなさい、ごめんなさいっ』


 朝になって帰ってきたお父さんは、一晩泣きはらしたぼくの頭を、ただただ優しく撫でてくれた。


「あのときは本当にごめんね、お父さん……」


 ぼくは、見慣れた角を曲がる車の中で、そう呟いた。

 一緒にしたら悪い気もするけれど、一清さんの言った豪さんの「素直になれない」って、こういう感じのことなのかな。

 そうだとしたらを思うと、ぽろりと笑みがこぼれた。

 ぼくは、もう一つの期待も胸に、近づく我が家の明かりを見つめた。




 玄関の戸を開けると、心配顔の広美さんと善之さんに迎えられた。

 ぼくは、まず二人に謝り、一清さんに促され、二階へ上がった。豪さんの部屋の前でひとり、開かれることのないドアに向かって、「ごめんなさい」を繰り返す。

 返事はなくても、それはそれで構わなかった。

 ぼくの心はとても晴れ晴れとしていたから。

 相手は聞き入れないだろうとわかっていても、なんとか声をかけてみる勇気。コミュニケーションを取っていこうと思う、大きな一歩。

 それをちゃんと出せた気がしたから。


「おい」


 何度目かの呼びかけを最後に、またあしたにしようと階段へ向かったぼくの背中に、大きな声がかかった。

 まさか反応があると思ってなかったから、びくっと肩をすくめ、ぼくは振り返る。少し開いているドアから、豪さんが顔を覗かせていた。


「いいか。これからもう二度と、あのチビ坊主に変なことチクんなよ。……それと」


 豪さんが部屋から出てきて、ぼくの目の前に立つ。

 高圧的な視線はまだまだ健在だけど、不思議と、あのときのような恐さは感じなかった。

 ぼくは、ただじっと豪さんを見上げていた。


「俺を『アニキ』と呼べ」

「……え?」


 唐突すぎる言葉に、ぼくが聞き返すと、豪さんは視線を泳がせながら、自分の部屋へ引っ込んでいった。


「アニキと呼べ」


 命令口調なのに、どこか照れくささも見え隠れしている。

 それがすごく豪さんらしいと思った。

 キツネにつままれて、ひょうたんから駒が出たような気分だけど、おかしさがお腹の底から湧き上がってきて押さえきれない。

 ぼくはその場でクスクス笑っていた。



 一つの家族として、ようやく迎えられるデイブレイク。

 百八十度から、もう一つ遠回りして、見えてきた新しい世界の夜明け。

 きっとあしたの朝は言える。

 ううん、絶対に言おうって思った。


「お兄ちゃん、おはよう!」


 と、とびきりの笑顔を添えて。

 豪さんは一体どんな顔をするだろう?

 それがいまから楽しみで、お兄さんたちが待っている階下へと、ぼくは軽やかに降りていった。




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