一清さんはぼくを見やったあと、三津谷さんにも目をやっていた。

 深いため息を吐く。


「わかった。向こうで待ってる」


 その向こうを、一清さんはあごでしゃくってから、ゆっくりと離れていった。

 その背中を目で追っていると、後ろで三津谷さんがぽつりと言った。


「人夢、ごめんな」


 ぼくは、ぱっと向き直る。すぐさま首を横に振った。


「なんで三津谷さんが謝るの」

「おれが余計なことをしたから。そのせいで、人夢は家を──」


 ぼくはさらに首を振った。

 さっき途中になった会話を思い出して、明らかにしゅんとなった三津谷さんの顔を覗いた。


「ねえ、豪さんに聞いて、ぼくを捜してくれてたって言ったけど、そのとき豪さん、ぼくが家を出たのは、三津谷さんのせいだって言ってたの?」

「……いや」


 ぼくの視線をかわすようにか、三津谷さんはそっぽを向くと、自分のおでこを指先でなぞった。


「あの人は、プールでのときも、人夢を捜してうちに来たときも、おれをなじることは一つも言わなかった」

「……」


 息が止まるかと思った。

 小林先生は、たしか、豪さんがぼくを心配して、広美さんに連絡したと言っていた。でも、ぼくを捜して、ましてや三津谷さんの家に行ったことはこれっぽっちも言わなかった

 そもそも豪さんは口にしなかったのかもしれない。

 早とちりして家を飛び出したことによって、一清さんや広美さん、直接には関係のない小林先生にまで迷惑をかけてしまったことばかり、ぼくは申しわけなく思っていた。誤解を受けた豪さんの気持ちになって、ちゃんと考えていなかった気がする。

 涙をこらえ、ぼくはもう一度、三津谷さんの顔を覗いた。一清さんの言う通り、そこに変わったところは一つもない。

 ぼくは唇を噛みしめた。

 あらぬ疑いをかけられたのに、ぼくを捜してくれた、豪さん。

 きっと、一番のお兄ちゃんになるだろう人だ。

 一清さんの言葉の本当を、ぼくは素直に見つめた。


「豪さんがうちに来たってことは、少なからずおれが関わってるんだと思った。それなら、やっぱプールで余計なこと言ったから、それが原因で、豪さんとなにかあったんじゃないかって……」

「違うよ。ぜんぶ、ぼくが悪いんだ……」


 声が震える。


「三津谷さんのことだって……。ぼくをどれだけ心配してくれたのか、なにもわかっていないくせに勝手に怒って……。なのに三津谷さん、ぼくのことを捜してくれてた……」


 三津谷さんは、ふいと背を向けた。

 そのことは、やっぱり怒っているんだと、ぼくはどきっとなった。背中を見つめていると、三津谷さんが坊主頭を掻いた。

 沈黙が流れる。

 不安でいっぱいになった口からは、もはや言葉になり損ねた吐息しか出ない。


「あれは人夢が勝手に怒ったんじゃない。いつか人夢は怒るんじゃないかとわかっていながら、おれは不機嫌を貫き通していたから、お前が謝る必要なんてないんだ」


 ぼくは眉根を寄せた。

 三津谷さんが、やけに堅い表情をして、くるっと振り返った。


「人夢はどうして、おれのことをいつまでも『三津谷さん』て呼ぶんだ? 健のことはすぐに『健ちゃん』て呼んだのに。おれだって名前で呼んでほしいって言ったはずなんだ。お兄さんたちとのことだって、おれが始めに相談してくれって言ったはずだ」


 せきを切ったように、三津谷さんは早口でまくし立てた。最後には、ぼくの肩をがしっと掴む。


「三津谷さん……痛いよ」


 思わず顔をしかめたら、さっと手が離れていった。


「わ、わりぃ」

「ううん。ぼくのほうこそ、ごめん。ぼく、自分のことばっかりで、三津谷さんの気持ち……」

「勇気」


 ぼくがキョトンとなっていると、三津谷さんは表情を緩め、「だから」と続けた。


「さっきみたいに『勇気』って呼んでほしいんだって」


 目尻や口角から徐々にあの笑みが広がっていく。

 気がつけば、その笑みはぼくにも移っていた。

 ──もう大丈夫。

 という言葉だけでは、そう言える根拠がたくさんほしかったのに、勇気くんの笑顔を見た途端、理屈ぬきですべての安心が得られた。


「わかった。でも、呼び捨てにするのはちょっとまだ……。だから、勇気くんて呼ぶよ」

「おう」

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