一清さんが家に帰ってきて、ぼくがいないとわかったら、傘をなくしたことより、きっと怒られる。

 いまさらかもだけど、ぼくはかなり焦った。


「い、家にいるって、一清さんは言ってましたか?」

「いや、まだ仕事してるって。仕事場からかけてきたみたいだ」


 ちょっと安心して、ほっと息をつく。

 ぼくが家にいないことは、一清さんにはまだ知られてないかもしれない。

 ぼくなんかを心配して、豪さんが連絡するとも思えないし。


「それで、一清さんはなんて……」

「一清は、きみの保護者だ。きみを心配して、心当たりに電話してきたに決まってるじゃないか」

「心配──」

「人夢がいなくなったから知りませんかって」


 世の中、そんなに甘くはなかった。

 もちろん、いつまでも先生のところにおじゃましているわけにもいかない。必ずあの家には帰らなきゃだ。

 帰らなきゃなんだけど……。


「いつまでたっても帰ってこないきみを心配して、豪が広美に連絡を入れたらしい。その広美が一清に電話したんだそうだ」

「……」


 心臓が一際はね上がった。

 豪さんが──。


「とりあえず、篠原がここにいることは話した」

「……やっぱり怒ってましたよね」

「いきなりいなくなったと知らされたら、だれだって心配して、厳しい言葉の一つも出るさ。けれど、傘も持たずにきみがあのコンビニにいたのには、なにかしらの理由があってのことだろうし、一清だって、それを聞きもしないで、頭ごなしに叱るようなやつじゃない」


 大丈夫だと言うように、先生が優しく肩を叩いてくれた。

 ぼくは、自分の心にも頷いてみせ、カーペットに目をやる。

 そういえば、先生と一清さんは、大学の先輩後輩の間柄だと、広美さんが言っていた。

 でも、いまの話しぶりは、それだけの関係じゃない気もしてくる。

 呼捨てなのは、先生のほうが年上なんだから当たり前としても、豪さんや広美さんのことも親しげに呼んでいる。


「九時半ごろには仕事も終わって、それからきみを迎えに来るそうだ。そのときにいろいろと理由を訊くだろうから、きみも、あいつに遠慮なんかしないで、自分の思うことを言ったほうがいい。……って、聞いてるか?」


 肩を揺さぶられて、ぼくはハッとした。


「いまの先生の話、聞いていたか?」

「一清さんが迎えにくるって」

「そう。だから、言いたいことは、そのときにちゃんと言いなさい。黙っていてもなんの解決にもならないし、のちのちつらくなるだけだ。きみはこれから、彼らとは兄弟として生きていくんだ。それはきみも望んで、来たことだろう?」

「……」

「ただ、なにかあっても、一人で抱え込もうとしないこと」


 最後にそう念を押すと、先生はぼくから離れた。ワイシャツの袖をまくり、キッチンへ入っていく。

 先生の言いたいことはよくわかった。

 なにか言ってくれるのを待っているだけじゃだめなんだ。

 だけど、あの家に早く慣れようと、ぼくなりに努力もしていた。

 言いたいことを言うって、先生には簡単かもしれないけれど、ぼくは年齢も立場も違う。もしかしたら、お兄さんたちも、言いたいことを言ってほしいとは思っていないかもしれない。

 それでも、自ら望んであの家に入ったのは紛れもない真実だ。

 そして、そんなぼくを、お兄さんたちは快く迎えてくれた。

 口を引き結んだとき、お父さんの笑顔が脳裏をよぎっていった。お父さんが生まれ育ったこの街でなら、ちょっと大変なことでも頑張れそうな気がしたんだ。


「篠原。夕飯はまだだろう? 軽くなにか作るから、食べていきなさい」


 ぼくは、はっと現実に戻った。

 先生は前掛けをつけている。

 キャベツとモヤシがたっぷり入った焼きそばを、先生は作ってくれた。





 ぼくは、リビングのローテーブルで箸を動かしながら、豪さんが作るはずだった焼きそばを思い描いていた。

 夕ご飯は結局、一清さんの作った豚のしょうが焼きになったんだけど。

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